あたたかい手

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あたたかい手

部屋に戻った俺はすぐに鞄の中身を漁った。入っているのは、スマホに黒いカバーの手帳とボールペンが入った小さなペンケース、入社祝いに親から貰った財布と、パスケースそれから水の入ったペットボトルだ。 電源を付けようとしたがスマホはうんともすんとも言わなかった。流石に丸一日水の中に放置されれば壊れても仕方がない。期待はしていなかったが、最近買ったばかりの新機種だった為例えこの世界で使えないとしても壊れたのは残念だった。手帳とボールペンは乾けばもしかしたら使えるかもしれないがこれも期待はしないでおこう。あとは財布とパスケース。これも乾かして置いておこう。この世界の通貨とは異なっているだろうが念の為だ。 あとは水。 俺はペットボトルのキャップを捻ると、勢い良く中身を飲み干した。 正直昨日から何も口にしていなかったので既に限界だった。 「ーーーっはあ、」 水を飲んだ事でより思考がクリアになった。空になったペットボトルにキャップを締め直し鞄へ戻す。袖で濡れた口元を拭う。俺は本棚へ向き直ると、現状を打破するべく何かヒントになる事は無いか探す為、日記を再び開いた。 全てに目を通し終える頃には、日がどっぷりと暮れていた。 書かれている内容は、あまりヒントになりそうなものは無かった。同じ日々の繰り返し。来る日も来る日も神子の奇跡で人を治し続けた。そんな内容ばかりだった。 あとは神殿にコントロールされた神子の生活の不便さ、形骸化された儀式への不満。それから、元の世界への郷愁。残念ながら、二十そこそこの年齢で召喚された神子たちは寿命尽きるまで元の世界へ戻る事は出来なかったらしい。 元の世界へ戻る方法が分かれば良いと思ったが、そう都合良くはいかない。 日記の最初のうちは、皆日本に残した家族や友人、学校や仕事への心残りを語っていたが、時間が経つに連れ諦めやがてこの世界での事しか書かなくなっている。 中には王族と婚姻を結んだ者もいた。 供物さえ捧げ続ければ問題は無いらしい。歴史と比べたわけでは無いので神子の一方通行の視点しか分からないが、この時期は王家の威信が弱くなっており神子と結婚する事によって権威を高めたようだ。政治的な側面はあれど、神子とその王族は両思いだったようなので問題無かったのだろう。 流石に全ての日記に目を通す時間は無い。そそまで大きな本棚では無かったが、こうして読んだ日記を積んでみると結構な量だった。今日読んだ分は全体の三分の一程度だ。残りは明日以降にするべきか。 「神子様、間も無く時間です」 ここ二日ですっかり聞き慣れたコーニーリアスの声に立ち上がる。いつものように鍵が開錠される音を聞くと、コーニーリアスが扉を開けるより早く内側から扉を開いた。 「・・・では向かいましょうか」 「分かってる」 コーニーリアスは昨日と同じように燭台や籠を持っていた。後ろ手に扉を閉めると、俺はヴィクターを一瞥し、歩き出したコーニーリアスの後ろをついて行く。 昨日と同じ様に儀式の間を開くと、コーニーリアスは蝋燭に火を灯し三つの杯を台座へ置いた。慣れた手付きで塩と酒で杯を満たし、籠を手に立ち上がる。 「それでは神子様、私は昨日と同じ様に廊下で待機しておりますので」 ニコリと微笑みそう言うと、コーニーリアスは部屋の外へ出て行った。 ギィッと重みのある音と共に扉が閉じられる。 シンと室内が静まり帰れば、自分の心臓の音ばかりがうるさく響いた。 ぎゅっと目蓋を閉じれば、思い浮かぶのは血を流す男の姿。大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。俺は目を開くと、台座の前で膝を折り踵の上に尻を置いた。膝を緩く開き祭服の裾からゆっくりと手を差し込む。 覚悟を決めまだ固さを持たない性器を握り込む。仕事が忙しかった所為で、自慰をした記憶は随分と遠い。ぎこちない動きで指を上下させるが、暫くその動きを繰り返しても芯を持つ兆しが見えない。 それもそうだろう。 精神的なストレスと、儀式を成功させなければならないと言うプレッシャー。その上人の命がかかっている。快感なんて拾う余裕もなく、ただ時間ばかりが迫って来る。がむしゃらに指を動かせば、乾いた表皮が痛みを訴えた。 己の情けなさに思わず表情が歪む。あれだけの啖呵をきっておいてこの様だ。 しかし無慈悲にも祭壇に組み込まれた時計は二時十分前を指していた。他の時計のように音を立てて時を刻まない事がいっそう俺の中の焦りを追い立てた。 「、くそ」 俺は石造りの台座を殴りつけると、空の杯を睨みつける。丈夫な台座は俺の力で殴ったぐらいではびくともしない。睨んだところで杯の中身が満たされるわけでも無い。 ぐっと拳を握り締めると、今朝鎧を殴った所為で出来た傷から再び血が滲んだ。 「・・・」 不意に思い出されるのは、淡い朝日を反射させる銀の鎧姿。 この世界に呼ばれてから何もかも思い通りにいかず、コーニーリアスの鼻を少しでも明かせるのならと選んだ男。階段から落ちた俺を助けてくれたヴィクターなら、得体の知れない他の騎士よりかは俺に寄り添ってくれるのでは無いかと期待した。 俺が今考えているのは、騎士としての彼の誓いや尊厳を踏み躙る事かもしれない。 ・・・それでも。 僅かな逡巡の後、俺は捲っていた服の裾を戻しその場から立ち上がると、廊下へ続く扉を開いた。室内よりやや明るい蝋燭の光が扉から室内へ漏れ入る。 そこには予想通り扉に控える二人の姿があった。 「神子様、まだ時間には早いようですが」 言葉の背後にやや嘲りを含んだコーニーリアスの問いを無視し、俺は扉の前に控えているヴィクターの腕を掴んだ。僅かに血流の戻った指先にひんやりとした冷たい金属の感触が伝わる。 兜に覆われたヴィクターがどんな表情を浮かべているのかは知らないが、二人の戸惑いは空気で伝わってきた。 先に俺の意図に気付いたのはコーニーリアスの方だった。 「神子様、一体何のつもりですか!?」 悲鳴の様に叫ぶコーニーリアスの声を無視しヴィクターを扉の内側へ引き摺り込む。 俺の力じゃ本当なら叶わないだろうが、意思を汲んでくれたのだろう。ヴィクターが抗う事は無かった。 俺の騎士だからか、あるいは彼の性格ゆえか。対面に向かい合うヴィクターはじっと俺の言葉を待っている。緊張と罪悪感で喉はカラカラに乾いている。ごくりと唾液を飲み込む程度ではその渇きが癒える事は無い。 俺はこれからこの男へ疾しい願いを口にする。 「ヴィクター、・・・助けて」 口から溢れた懇願は、まるで自分の声ではないかの様に弱々しかった。 「助けて、と言うのは」 僅かな無言の後、ヴィクターは口を開いた。俺は掴んでいたヴィクターの腕を解放すると勢いよく頭を下げる。 「こんな事を頼むのは迷惑だと思う。だけど時間がないんだ、儀式を手伝ってほしい」 「頭を上げてください。勿論俺にできる事なら何でもします。ただ、儀式の手伝いと言うと、一体何をすれば良いのでしょうか」 「ッ」 ヴィクターの問いは最もだが、俺は首元にナイフを突きつけられたかのような感覚に襲われた。ヴィクターは儀式の内容を知らないんだ。 コーニーリアスは、儀式は神と神子の神聖な行為だと言っていた。儀式の内容を知っているのは、もしかしたら石板を読める神子だけなのではないか。石板は日本語で書かれていて、部屋に残されていた日記も日本語だった。神殿は日本語を読めなかったから、日記を敢えて捨てなかったのでは無いか。嫌な仮説が脳裏を過ぎる。 今ここでヴィクターに儀式の内容を伝える事で、神子にとって不都合が生まれるかもしれない。それは過去の神子たちの尊厳を傷付ける事になるかも。 ぐっと祭服を握り締める。血の滲んだ手に、不意に手が重ねられた。鎧に守られたその手は、体温が伝わるはずもないのにどこか優しく温かかった。 「神子様、顔を上げてください」 ヴィクターの言葉にゆっくり頭を上げる。 こちらを怯えさせないよう配慮された優しく穏やかな声音。 勢いよく頭を下げたせいで乱れた髪を、ヴィクターは壊れやすい硝子細工でも触れるかの様に優しく整えると、徐に頭部を覆う兜に両手を掛け素顔を露わにした。 短く切り揃えられた明るい金髪に、新芽を連想させる鮮やかな目。こめかみに大きな傷が走っているが、表情が穏やかなお陰で恐ろしい印象は与えない。 「大丈夫です。この世界の事で、あなたが気負う必要は無い。あなたが望む願いを叶え、その御身だけでなく心まで守る事が守護騎士の務めです」 「心まで・・・守る・・・」 「そうです。俺はあなたの守護騎士なのですから」 その言葉にゆっくりと心が解けていくのを感じる。祭服を強く握りしめていた手はいつの間にか解かれていた。 素顔になったお陰で、柔らかな色の目にはこちらを思いやる感情ばかりが浮かんでいる事が分かる。無機物や上位存在を見るような視線とも違う。 これは人に向ける目だ。 俺は息を吸うと再び口を開く。 唇の震えは、とうに止んでいた。 「ーーーっは、」 俺よりも体温の高い手が優しく性器を包み込む。鎧を全て取り去ったヴィクターは騎士らしく鍛えており、背後から回した腕は俺の身体を支えてくれる。台座の高さに合わせ互いに膝立ちの状態だがそのお陰で体勢は安定しており、下肢から与えられる快感に集中出来た。 さらには石造りの地面で膝を痛めないよう、ヴィクターは自分の服を脱ぎ敷いてくれている。 後ろから触れるのも、俺の身体を出来るだけ目に触れないようにと言う気遣いからなのだろう。 「ふ、っう、ッ」 儀式の手段のを口にした時、ヴィクターは少しの嫌悪も悪感情も面に出す事は無かった。ただこちらを思い遣る言葉と共にほのかに微笑むだけ。 その優しさは今俺に触れている手からも十分伝わってきた。指先の動きに荒々しさは無く、決して無理に追い立てようとはしなかった。 太く節くれだった指がそっと先端を撫でる。無骨な印象とは裏腹にその動きは丁寧で、少しでも反応した部分があればそこを重点的に刺激した。 ぬるま湯のような、どこか真綿で首を絞められるような快感だ。 どろりと思考が溶かされ、徐々に自分がどこにいるのかさえ危うくなっていく。 「ん、っ、」 「・・・神子様、声を我慢してはいませんか」 性器に触れている手とは反対の、腹に回されている手が身体を辿り徐々に上がると、そっと唇に触れた。ヴィクターは優しく唇を撫でると二本の指で固く閉じられた歯列を割る。 「ッ、は、あぁっ、ッ」 平たい指の腹が舌の表面を撫でる。乾いた表皮のざらりとした感触に背中がぞわりと粟立った。指先の指紋の溝一つ一つさえ感じ取れるほどに身体は高められている。 「何も恥じる事はない。あなたはただ俺の手にだけ集中していてください」 「っ、あっ、あぁッ」 舌の上下を二本の指で優しく挟まれ声が抑えられなくなる。しかしそれを気にするより早く性器へ加えられる刺激が増し思考が一気に拡散する。 自分で触れた時には乾いて痛みさえ感じていた箇所が、今ではヴィクターの手によりぐずぐずに溶かされ水音を室内に響かせていた。 普段なら羞恥を抱くだろうその音も、口の端から溢れ顎に伝い落ちる唾液も、与えられる快感に支配された頭では気にする余裕も既に無くなっていた。 「は、あ、ッあぁぁ、っ!」 内腿がひくりと小さく麻痺し、足の指先に力が入る。視界が白く明滅した次の瞬間、性器からとろりと白濁が吐き出された。 「っはあ、っは、っ、」 どくどくと血液の循環する音と己の呼吸音が耳元で響き煩わしかった。 霞み掛かる思考をなんとか振り絞り杯に視線を向けると、体液が杯の底を僅かに満たしている様子が目に映る。 ーーー間に合った。 相変わらず無音で音を刻む時計の秒針は二時一分前を指していた。
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