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過ち
荒んだ感情に反し、表面はひどく落ち着いていた。壁についていた手を下ろし、兜に覆われた目元をじっと見上げると騎士がぐっと息を詰まらせる音が聞こえる。
「俺はこの世界に来てまだ三日目だし、ヴィクターと話した時間なんて本当に短いけど、それでもあの人が優しい人だって分かったよ」
当然そこには俺が神子と言う存在だからと言う前提があるのは分かっている。
だけど初めてこの世界に来た時、階段から落ちた俺を助けたのも。儀式を遂行する為助けを求めた時それに応じたのも。そして何より、心まで守ろうとあたたかい言葉を与えてくれたのも。
彼が選択して俺に与えてくれた優しさだ。
「この世界に落ちて出会った誰よりも俺の事を案じてくれたのはヴィクターだ。その彼が俺に相応わしく無いと言うなら、他の誰も相応わしくなんてならない」
俺の言葉に対し騎士が何か言葉を返す事はなかった。俺の反応が予想したものと違ったとか、神子のイメージが壊れたとか思われたのかもしれない。返事がなかった事は別に良い。言いたい事は伝わっただろうから。
それよりもヴィクターがどこに行ったのかだ。
休憩しているだけなら良い。ただ彼の性格を考えると、俺が目を覚ました時部屋の外に控えている気がする。そうでないと言う事はこの場にいれない何か理由があるように思った。
俺は無言で固まったままの騎士の腕を掴むと、ぐっと距離を詰めて問いかける。
「ヴィクターのいる場所へ連れて行ってほしい。あんたはどこにいるか知ってるんだろう?」
「えっ、いやぁ」
最初にヴィクターの名前を出した時の反応といい、誤魔化そうとする今の反応といい、この騎士はヴィクターがどこにいるか知っているはずだ。誤魔化すと言う事はやはり俺に知られるとまずいと言う事だろう。
「ちょっと難しいというか・・・」
「・・・分かった」
「本当ですか!」
「連れて行ってくれないと言うのなら一人で探しに行く」
「ちょ、待っ、待ってください。それは困ります!」
困ったように頭を掻く動作をする騎士を無視し、俺は祭服の裾を翻し歩き出す。
ヴィクターを見下げた物言いは許し難いが、この男の鎧の色は黒。最初に付けられていた騎士も黒い鎧だった。黒い色がやたらと高貴とされるこの世界でその色を纏っているという事は、この騎士もまた神殿でそれなりの地位にあるんだろう。
少なくとも、ヴィクターの居場所を伝えて良いか判断できる程度の権利は持っているはず。
口では駄目だと言いながらも、無理矢理俺の行動を制限しようとはして来ない。それならこちらは勝手に行動するまでだ。
「困ると言うなら教えてほしい。ヴィクターはどこにいる?」
「ッだから、神子様が居場所を聞いてきても教えるなって言われてるんですよ!そのヴィクターに!」
「・・・え?」
予想外の言葉に、思わず間の抜けた声を上げる。その反応に騎士は口元に手を当てると、しまったとばかりにおろおろとした動きをしだす。
「いや、違っ、わないけど、ああもう!俺はこう言うの苦手なんですって。神子様、単刀直入に言います。あいつは訳あって今ここにはいないですが、決してあなたの騎士を降りたとかじゃないんでそこは安心してください」
最初と打って変わり騎士のヴィクターへの扱いがどこか親しみを含んだものに変わった事が気になったが、それ以上に彼が騎士を降りた訳じゃ無いと聞き安堵する。
何も言わずに役目を投げ出すタイプには思えなかった為可能性は低かったが、それでも昨夜の出来事がやはり嫌になって守護騎士をやめると言われる可能性もあると考えていた。
「あいつはやること済ませたら戻って来るので、あなたはここで待っていてください」
騎士の両手が説得する様に肩へ乗せられる。表情は伺えなくとも、騎士の声は真剣そのものだった。
言う通りにしてこの場で待つべきか、無理を押して探しに行くべきか。これと言った当てがあるわけではない。闇雲に探して見つかるとは思えなかった。心の内で葛藤する。その考えが伝わっているのか、騎士はじっと俺の言葉を待った。
「・・・でも」
「神子様、お目覚めですか」
しかしそれを遮ったのは、この三日ですっかり聞き慣れた声だった。
「コーニーリアス」
「体調が回復されたようで何よりです。目が覚めたのであれば食事になさいますか。この世界に来てから何も口におられないでしょう。軽めのものを準備させましょう」
にこりと微笑む姿に胸が再び騒めき立つ。
コーニーリアスがこの場にいる事は何らおかしな事じゃ無い。神殿内を自由に動き回る事をさせたくないんだろう。この部屋から出る時、必ずと言って良いほどにコーニーリアスは姿を現した。とは言えこの世界に来て俺がこの部屋を出たのは数えられる程度だが。
「・・・ああ、それとも件の騎士の姿がなければ安心して食事もままなりませんか」
肩に置かれたままだった騎士の手を払い除け、コーニーリアスへ詰め寄り胸倉を掴む。
「ヴィクターに何をした?」
俺の言葉にコーニーリアスはうっそりと微笑んだ。胸倉を掴まれていながら余裕を崩さないその様子に苛立ちが募る。己よりやや上の位置にある顔を睨みつけるが彼の表情は変わらず飄々としたものだった。
「何をした、と言うのは人聞きが悪い。彼は今、騎士として受けるべき罰を受けているだけです」
「神殿長!」
コーニーリアスの言葉を遮ったのは騎士だった。しかしそれを歯牙にも掛けずコーニーリアスは言葉を続ける。
「罰?」
「ええ、儀式の間に足を踏み入れた罰ですよ」
どくりと心臓が嫌な音を立てる。
胸倉を掴む手から思わず動揺が滲む。コーニーリアスは俺の反応に気を良くし、目を細めると笑みを深めた。
「蛮族街の人間なんて捨て置けば良かったんです。あなたの決断が結果的にヴィクターを傷付ける事になった」
乾いた空気が勢いよく喉を通る。
昨夜の儀式はヴィクターの助けがなければ成功しなかった。儀式の間に入る事で罰を受ける事をヴィクターが知らなかったとは思わない。俺が彼の腕を掴んだ時には、既にこうなる覚悟を決めていたんだろう。
怪我人を癒し気を失った俺を部屋まで連れ帰り、身体まで清めた後。彼は自ら罰を受けに行ったのか。
「大丈夫、この世界をあなたはまだ何も知らない。間違った判断をしてもしょうがないのです。今後は正しい判断を私に任せてあなたは神子として奇跡をただ振るうだけで良いのですよ」
己の胸倉を掴む手を優しく包むと、コーニーリアスは優しく語りかける。俺にとって悪魔の囁きにも等しいその言葉は、麻痺した思考にじわりと染み込んだ。透明な水に墨を一滴落とした様に、その言葉はじわじわと思考を侵食した。
俺は思わず顔を伏せ視線を地面へ向ける。
あいも変わらず真っ黒で陰気な石造りの地面が、はめ殺しの窓から差した日差しを鈍く反射している。その光を拒絶する様に、俺はそっと目を閉じた。
黒い鎧の騎士は、ヴィクターは俺の元へ戻って来ると言っていた。
「コーニーリアス」
「ええ、神子様」
期待に僅かに上擦った声でコーニーリアスが返事をする。俺は包まれた手をぱしりと振り払うと、顔を上げコーニーリアスの目を真っ直ぐと見据えた。
「それは出来ない」
「は・・・、」
「確かにお前の言う通り、言われた通りに全てを委ねれば楽なんだろうな」
「では」
「でもそれはヴィクターの決意を足蹴にする事になる」
あの夜、俺が儀式を遂行すると決意した様に、ヴィクターもまた罰を受ける事を承知の上で選択した。俺がここで意思を曲げればヴィクターは何のために罰を受ける事になったのか、それこそ分からなくなる。
だからこそ俺がここで折れるわけにはいかない。
俺が儀式の間にヴィクターを連れ込んだのはコーニーリアスにとって渡りに船だったに違いない。俺の意思を折って都合よく操るために。この世界の事を何も知らない俺では間違った決断を今後もしかねないからと。
「俺は自分の決断に責任を持つよ」
忌々しいとばかりにコーニーリアスはギリッと歯噛みするが、すぐに笑みを顔へ貼り付けた。
「もちろん、我々神殿は神子様のご意思を邪魔しようなどと考えておりません」
「それなら俺をヴィクターの元へ連れて行ってくれるか」
「・・・それがあなたの望みであるなら。しかし神子様は繊細でいらっしゃる。もし卒倒などされてはこちらとしても良心が咎めますゆえ」
どの口でそれをほざくのか。
俺の事を繊細だと言うが、それは罪人が切り捨てられた時の取り乱し様を言っているのか儀式を一人で済ませなかった事を指摘しているのか。どのみち皮肉を込めて口にしている事に変わりはない。
本心では少しも繊細だと思っていないだろうに、よくもいけしゃあしゃあと宣える。
「連れて行ってくれるのか、そうじゃないのかどっちだ?」
「・・・分かりました。神子様がそうおっしゃるのであれば」
「お待ちください神殿長、ヴィクターはそれを望みません」
黒い鎧の騎士は足を前に進めると、コーニーリアスから庇う様に背後へ俺の姿を隠した。
「本来であれば彼は神子様に己が罰を受けている事も隠したかったはず。そのヴィクターの意思を無碍にし、さらには神子様が己を責めかねない物言いを重ねた事、神殿騎士として口を挟まざるを得ません」
「口を慎むのはあなたの方でしょう、アドルフ。ヴィクターの元へ連れて行く事が神子様の望みです。あなたが口を出す事ではない」
「しかし、」
「神子様、ご案内いたします」
コーニーリアスは騎士の言葉を遮ると、さっと歩き出した。俺もその後ろをついて行こうと足を進めるが、腕を騎士に掴まれた事で動きを止められる。
「神子様、部屋でヴィクターをお待ちいただけませんか」
騎士の声は至って真剣だった。
薄々気付いていたがこのアドルフと呼ばれた騎士はヴィクターと親しい間柄なんだろう。初め俺の騎士に相応しくないと言った割に、ヴィクターに対する親しみが言葉の端から伺える。コーニーリアスが現れてからはもう隠す気も無かった様に思う。
もしアドルフが本当にヴィクターの友人であるなら、彼に罰を受ける決断をさせた俺を見定めるつもりで"ああ"言ったのかもしれない。
「・・・俺がヴィクターに"そう"させたのなら、最後まで受け止める義務がある」
「あなたが気に病む必要はないとあいつなら言うでしょう」
「それでも」
ヴィクターは罰を受ける事で俺が自分を責めると分かっていた。だからこそアドルフに頼んでまでその事を隠し通したかったんだろう。
だけど俺はその優しさを受け取る事が出来ない。
一度それを受け入れてしまえば今後自分自身を信用出来なくなる。似た様な事が起きた時、俺は二度、三度と彼の寛容に甘え委ねてしまうだろう。
だから俺はこの目に焼き付けないといけない。
ーーー俺の所為で犠牲になったもの全てを。同じ過ちを犯さないために。
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