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ただあなたの心を守りたいだけ
初めてその方と出会った時、空から天使が舞い降りたのかと思った。実際には、神より遣わされた神子様でそう遠くない存在だったわけだが。
この国の人間と比べると、小さく華奢な身体。ミルクのように僅かに黄みを帯びた白い肌に、神子の証である艶やかな黒い目と髪。
頬は丸く、鼻や口は小ぶりだが目は大きく顔立ちは幼い。目元の涙ぼくろが神子様の儚い姿を引き立てていた。高貴な黒い祭服がより神子様の魅力を引き出している。階段から落ちた神子様を助けるため抱き上げたが、あまりの恐れ多さに腕が震えそうになるほどだった。
本来なら口を出せる様な立場では無いのに、突然この世界に連れてこられた神子様が不憫で不相応にも身分が上の騎士に対し口を挟んだ。その判断は正しかったと思うが、その後神子様の後をもっときちんと知ろうとしなかった事に後悔したのは翌朝の事だった。
祈りの間へ集められた俺たちは、神子様が奇跡を起こすと知らされ表には出さずとも皆内心浮き足立っていた。俺のような立場の人間では神子様の姿さえ目にする機会なんて皆無に等しい。
現に前代の神子様が存命だった時、俺はその姿を神殿に務めてから一度も見た事は無かった。当然奇跡を目にするのも初めてだ。
しかし神殿長に連れられた神子様は戸惑っているご様子だった。神殿長に伴われ、神子様は細長い絨毯の敷かれた道を進む。その美しく厳かな姿を目にした騎士たちからはほぅっと息を吐く音が聞こえてきた。しかし正面を向いて歩きつつも神子様の目の奥には警戒心が潜んでおり、見た目に反しどこか野生の猫のような鋭さがあった。
この場にいる多くは神子様の外見に目を奪われ、その光の鋭さには気付かないだろう。
しかし椅子に浅く腰掛けた神子様は、椅子の豪奢な意匠のアンバランスさも相まってひどく儚く見えた。だが神子様を守る守護騎士も椅子の横に仕えている事だ。俺の様な末端の騎士が気を揉んでも詮無い事だ。
いったいどのような奇跡を起こされるのか、俺の思考はすぐにそちらへ移った。
しかし俺の予想を裏切る様に、祈りの間の扉は開かれた。
この場に相応しくない薄汚れた蛮族街の罪人など、この場に連れてきてどうするつもりなのか。尊い神子様の目に触れて良いような人間ではないだろうに。おそらく神殿長の指示だろう。同僚の騎士が蛮族街の罪人を捕らえた事は耳にしていた。
「そこの騎士が連れている男は、蛮族街の住人です」
「・・・蛮族街」
「ええ、まあ、一言で言えば犯罪者が集う街の住人です。その者も例に違わず犯罪者で、王都で薬の密売を行っておりました」
「それで、俺にこの者をどうしろと」
俺がそんな事を考えている間にも、神子様と神殿長の間で会話が交わされる。
「・・・やめろ」
「大丈夫ですよ、神子様。奇跡の起こし方は神子様であれば考えるより容易く施せると聞き及んでおります」
「やめろと言っている!」
「心配する必要はありません。あの騎士は経験も豊富で剣の扱いに長けておりますゆえ、死なない程度の加減は得意なんですよ」
「黙れ、コーニーリアス、お前!最初からそのつもりだったな!」
神殿長が言葉に含ませる意味に気付いたのか、神子様は唐突にその場を立ち上がろうとした。しかしそれを制したのは他でもない、そばに侍っていた守護騎士だった。神子様の行動を制限するなんて本来ならあって良い事ではない。神子様の華奢な身体を拘束する鎧にふつふつと怒りが込み上げた。
神殿長が神子様に何を見せるつもりなのか流石にこの状況で予想出来た。
しかしそれと同時に、神子様が何故ああも必死になるのか理解し難い。たかが蛮族街の罪人の命一つに、どうしてそこまで怒れるのか。
神子様の振り上げた拳が、鎧に守られた騎士の兜を殴る。暴力なんて無縁だとすぐに分かる傷一つない手は、その衝撃ですぐに痛々しいものへ変わった。兜の下で思わず表情が歪む。
騎士と言う立場ゆえ昔から怪我が出来る事は少なくなかったが、神子様の身体に傷が出来るのはまるで自分の事以上に痛みを感じられる様だった。
そこでああ、と気付いた。神子様にとってあの罪人の命は俺が思っている以上に重いものなのだと。
自分が仮に同じ状況に置かれたとして、自分の所為で蛮族街の人間が殺されようとどうも思わない。
しかし神子様はそうじゃ無い。
慈悲深く、そしてこの世界ではひどく"繊細"だ。
その柔らかな心はこのままではきっとすぐに擦り切れてしまうに違いない。
ーーー俺がその心を守りたいと思った。
しかし思考に耽るほんの暫時の後、罪人は無情にも俺と同じ銀の鎧の騎士によって切り捨てられた。神子様の大きな目がさらにこぼれ落ちそうな程開かれる。
騎士の拘束が解かれると、神子様は椅子から降りよろよろと罪人の元へ近付いた。へたりとその場に座り込み震える手で罪人に触れるが何も起こらなかった。
顔を伏せている所為で、髪で隠れて表情は伺えない。もしかしたら涙を流しているのかも知れない。
今すぐ駆け寄ってその頬を濡らしているであろう涙を拭って差し上げたかった。
「神子様、その者を助けたいですか」
「・・・」
「今宵、今度こそ儀式を行うのです。その者はまだ息がありますので、明朝までは恐らく保つでしょう」
神殿長はそんな様子の神子様に近寄るといつも通りの飄々とした様子で声を掛けた。神殿長の老いた手が神子様の肩へ触れる。それを見て俺は思わず神子様に触れるなと叫びたくなる。
しかしそれより早く神子様はその手を払うと、その場でしっかりとした足取りで立ち上がった。
予想に反し、ここから見える神子様の頬は濡れていなかった。それどころかその目は強く輝き神殿長を睨んでいる。神子様が儚いなんて言ったのは誰だ。
「・・・儀式はやる。それから、明朝までって言ったな。それまでにこの男を死なせたら許さないから」
ーーー闇を尊ばれるこの世界であろうと、こんなにも目を奪われるほど強く輝いている。
眩いほどの力強いその姿に兜の下で思わず目を細める。
だからこそ彼の口から俺の名が呼ばれた事に、呼吸が止まるほど驚いた。
「ヴィクターが良い」
ドクンと胸が高鳴る。
コーニーリアスの提案を遮り放たれた言葉は、神子様から俺に与えられるには最も相応しくない言葉だった。
貴族の嫡男として産まれ、しかし明るい髪色の所為で家を継ぐ事も叶わなかった。
・・・闇の神から愛しい人間を奪った、光の神と同じ唾棄すべき髪色。
追い出される様に神殿騎士の職に就き既に十四年が経った。いつまでも末端騎士のまま、このままくだらない生涯を終えるのだと思っていた。
まるで夢にでも揺蕩っているかの様に思考が散漫し浮つく。神殿長に名を呼ばれ鈍くなった足で歩みを進める。そばに寄ればなおさら、その身体の頼りなさが際立った。頭二つ分近く身長差がある。しかしそんな小さな身体に反し、神子様が強い意思を持っている事はこの短い時間で分かっている。
「今この場より、あなたを神子様の守護騎士に任命する。命を賭して神子様を守りなさい」
「謹んで拝命いたします」
膝をつき誓う。
それと同時に、静かな室内に金属が擦れる高い音が連続して響いた。騎士たちが剣を抜き掲げているのだろう。
しかしそんな事は既にどうでもよかった。他の騎士も、神殿長も、地面に倒れた男も、この場に相応しくない血の匂いさえ。
この主を守ると決めた。
この方以外は・・・どうでも。
その後は治療院へ向かった後、召喚の間へ足を運んだ。召喚の間は神子様と一部の許された神官しか入室出来ない場所だ。神子様付きの守護騎士とは言え騎士である俺ではその部屋へ入る資格は持たない。俺が入室を拒むと、神子様の目は僅かに不安げに揺れた。規則を破って守護騎士の任を解かれたら元も子もない。
俺は決死の思いでその場に止まると扉の前で神子様が出てくるのを待った。
中で一体何が行われているのか、俺が知る術は無い。
神子様が出てくるまでそう長い時間は経っていなかったのだろう。しかし俺にとってその時間は随分と長く感じられた。
部屋の中で神子様は神殿長と二人きりだ。神殿長が直接神子様を害するとは思わないが、祈りの間でのやりとりの件もある。どうしても神子様の身を案じずにはいられない。
神子様が部屋から出てきた時は本当に心臓が止まるかと思った。水に濡れた所為で祭服が肌に纏わり付き、身体のラインを露わにしていた。想像していた以上に頼りないその肢体は、神子様をより儚く見せている。
本当なら何があったのかとその場で詰め寄りたかった。しかし騎士にすぎない立場では、神子様の行動に口出しする資格は無いのだと己へ必死に言い聞かせた。
神子様を自室へ送り届けた後、扉の前に控えながらひっそりと俺は覚悟を決めた。
神子様は自分でどうにか出来る事は誰にも頼らず無茶をする人だ。
召喚の間から出てきたあの人が見覚えの無い鞄を手にしていた事から、恐らくそれを取り戻す為ずぶ濡れになったのだと容易に想像できる。ただ一言取ってこいと命じてくれれば俺が取りに行くのに。
だからこそこの先神子様に頼られた時は、一瞬の躊躇いもなく手を伸ばそうと決めた。
そしてこの時の判断は間違っていなかったのだと、この後すぐに思う事になる。
儀式の間から出てきた神子様に腕を引かれた時、振り払う事も出来た。しかし俺は自分の意思でその部屋へ足を踏み入れる事を決めた。
規則を破った自分へこの後どのような罰を与えられるか理解した上で神子様を優先した。
「ヴィクター、・・・助けて」
悲壮な覚悟に濡れた目に見つめられ、断る選択など浮かぶ筈もなく。
儀式の手段には確かに驚いたが、決して嫌悪感など抱かなかった。俺は自分の上着を脱ぐと床へ敷き、神子様を膝たちにさせる。俺が触れやすいよう祭服を捲り上げようとした神子様を止め、片腕で腹を支えると裾へもう片方の手を忍ばせる。太ももを辿り下着を纏わない隠部へと触れる。
傷つけぬよう細心の注意を払いながら、まだ芯を持たないそこへ指を伸ばすと腕の中の神子様の身体がびくりと小さく震えた。他人に触れられる事に慣れていないのだろう。
決して性急な動きにならないよう、少しの痛みも与えないよう気をつけながら刺激を与える。しばらくして快感に小さく声を漏らすようになった神子様は、羞恥心からか声を我慢しているようだった。緊張をほぐす為しっとりと潤った唇を指で割り、舌へ触れる。優しく上顎を撫でれると快感に堪えるように胸元へ後頭部が押しつけられた。
神子様の身体から力がうまく抜けたタイミングを見計らい、下半身に触れている手の動きを激しいものへ変える。神子様の太ももがびくっと小さく麻痺した瞬間、先端に力を加え絶頂を促した。
予想通りに吐き出された白濁が杯の底を満たす。
全てを吐き出した事を確認し口内から指を引き抜くと、とろりと唾液が糸を引いた。
快感の余韻でぼんやりと潤んだ目で杯に視線を向ける神子様の姿は、こんな状況で無ければ煽情的でひどく欲望を煽られていた事だろう。
しかし神子様の今の境遇を思うと、俺の心の内に浮かぶのは庇護欲ばかりだった。今だって無事に儀式を全うしたと安堵の息を吐く姿は痛々しく思うほどだ。
儀式を無事に終えた神子様はすぐに意識を切り替えると、力が入らないであろう足で立ち上がりこちらへ向き直った。
「おかげで儀式が成功させられた。ヴィクターのおかげだ。きっとこれで奇跡を起こせる。・・・人の命が助けられる」
「神子様、俺は・・・」
蛮族街の人間の命を助ける為に、神子様が心を擦り減らす必要など無い。
しかしその言葉を口にする事は、神子様の決意を足蹴にする事に等しい。この国の、いや、この世界のどの人間とも違う。神子様の価値観は、ひどく繊細で理解し難い程に慈悲深い。
だからこそ俺がそんな事を口にすれば、神子様は傷付かれるのだろう。そしてそれを隠そうとする。
「勿体ないお言葉です。神子様の騎士として務めを果たせた事、誇りに思います」
こうして騎士の領分を侵さない範囲の言葉しか返せない事が、今は歯痒い。
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