序 章 1

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序 章 1

 強大な異教徒国家『ザンガー朝・フェリキア』と国境を接する、大陸東部を領土とする国があった。  その名を『聖サイレン国』という。  一度は亡んだ国を再興させ、大陸屈指の大国にまでのし上げたのが〝聖王ルーク・フォン=サイレンⅠ世〟である。  幼き頃祖国滅亡とともに、彼は新興国家『ガルディア大公国』の人質となる。  やがて超大国『ヴァビロン帝国』に交換人質として移り住み、幾多の苦難を乗り越え独立を勝ち取り、やがて祖国『サイレン』を復活させた。  この二国に於ける人質としての長い年月は、成長期の彼のおおきな負担となったが、また人生形成の上で重要な出逢いと経験を与える場ともなった。  ヴァビロンでは生涯の師とも仰ぐべき〝ライディン・ド=マーベル枢機卿〟と出会い、ガルディアでは〝覇帝オーディン・ド=アレクサンドロス〟との邂逅があった。  ライディンからは王道という、国を治めるのに最も重要な基礎を学んだ。  そうしてオーディンからは覇業とはなにか、戦で勝利を得るにはなにを捨て、なにを摑むべきなのかと言った、知識では手にすることの出来ないものを教えられた。  このふたりとの出会いが、国を亡くした孤児が三国鼎立の一角を担う大国を樹立させるための、重要な鍵となったのである。  そんな彼の祖国が『サイレン大公国』と呼ばれた小国の頃に、ルークの祖となる〝リム・サイレン家〟にとっての重大事件が発生した。  それはサイレンという国の屋台骨が大きく揺れるほどの、国家開闢以来最大の内戦だった。  この内戦は、隣国ジェニウスにまで大きな影響を与えた。  それは王弟による王権簒奪という、大事件であった。  後の世の歴史家はサイレンに於けるその重大事を、〝トールン大乱〟と名付けた。  この大乱がなければサイレン大公三家の中で最も家格が低く、力も持っていなかったリム・サイレン家が、公国の中心となることはなかったはずである。  すなわち、ルークの運命そのものがどうなったか分からないことになる。  また小国ながら歪な軍事国家と言ってもいい、奇異な形態となっていたサイレンを正常な形に戻すことにもなった。  いまとなってはこのトールン大乱という騒動は、歴史に刻まれる重要な出来事として記録されている。  しかしサイレンがルークの手により大国となっていなければ、一小国の内戦など歴史に残ることもなく忘れ去られるべき事柄でもある。  これは鶏が先か、卵が先かという不毛な問答にも似ている。  いずれにせよそれまで〝トールン大乱〟は、歴史書としての正式文書である『正志・三国史』にも、庶民向けの読み物『三国興亡志』にも、ほんの僅かの記載があるばかりで、歴史を学ぶ者以外にはあまり詳しいところまでは知られていなかった。  それが誰もが知る逸話として世に出たのは、読み本としての三国興亡志の最高傑作であり、決定版とも言える〝ガイナ・ダーレス〟という劇作家が書いた大著『聖大陸興亡志』が未曾有宇の評判を取り、大陸中に出版されてからであった。  はっきり言ってこの戯作といっていいほどの低俗な本は、事実から大きく逸脱した読者を喜ばせるための、ご都合主義に凝り固まった青本(庶民の間で読まれる、粗雑な紙に印刷された簡易本)のなかの一冊でしかなかった。  しかしこれが読者の大評判を得、瞬く間に世間に広がった。  そうしているうちに、いつしかこの物語で語られる幾多の逸話が、あたかも真の歴史ででもあるかのように人々は錯覚してしまった。  年月を重ねる毎にその傾向は強まり、いまでは三国鼎立時代とは『聖大陸興亡志』で語られる物語と同意になってしまっている。  お断りしておくが、これから語られる〝トールン大乱〟は正志ではなく、その物語本を元にしています。  事実がどうであったは、時空を越えたこの世界に生きるわたしには判断できません。  本来本編に組み込まれた逸話ですが、ここに独立した外伝として語ってゆきたいと想います。  一小国であるサイレンで勃発した、史上希に見る夥しい犠牲者を出した内戦と、その後に開催された〝トールンの大審判〟という悲喜劇に興味のある方はどうかご一読願います。  最後にひと言、みなさまの大事なお時間をこの長い物語を読むために費やされたとしても、けして後悔はさせません。  この物語は、面白いことを保証いたします。  では、ご覧下さい。
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