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第1話 ぬり薬 其の一
「──夜のお誘いがさ、ひと月ないって、どうだと思う?」
そんなこと何気なく言ってから香彩は、昼間の食事処に爆弾を落としてしまったのだと自覚した。
座敷の奥の一番端に場所を取っていたことが幸いしたのだろう。
被害は同じ卓子で共に食事を取っていた二人に限られていたが、ある者は食べ物を喉に詰まらせて、ある者は飲み物を盛大に吹き出し、噎せていた。
「ちょ……汚いなぁ、摩那斯。大丈夫? 療」
香彩が療の背中を軽く叩きながら、じと目で摩那斯を見遣る。
ある程度息が落ち着いてから、摩那斯が両手の拳で卓子を力強く叩いた。
「あんたがいきなり変なことを言うからやろ! しかもこの真っ昼間に!」
「その手の話題は嫌いじゃないけど、流石にオイラも昼間からはどうかなーなんて」
「うん、流石に僕もさ……こんな明るい時間に話すものあれかと思ったんだけどさ。縛魔師の後輩がね、悩んでるんだよね。療ともなかなか時間合わなかったし、今日は摩那斯もいるから、何か話が聞けるかなって……思って」
何かふたりそういうの、詳しそうだし。
昼餉の粥の匙を置いて、少し神妙な顔付きになりながら、香彩はふたりにそう言う。
備え付けの布巾で卓子を拭く摩那斯と、まだ喉に違和感のあるらしい療が、茶を啜りながら顔を見合わせた。
元来こういった話題が好きな二人だ。
少し驚いた顔をしていたが、声の調子を落として話題に乗っかるのに、時間は掛からなかった。
「まずそのふたりって、付き合ってどれくらいですのん?」
「三ヶ月くらいって言ってたけど……」
香彩の言葉に療と摩那斯が、ああ、と天を仰いだ。
そしてこれは駄目だとばかりに、療と共に首を横に振る。
「付き合って三ヶ月、しかも一ヶ月前から身体の関係がないって……付き合ってすぐに手を出した感じかぁ」
「あー……ただでさえ三ヶ月目ぇ~言いますと、お互いに慣れてきて、素の姿が見える時期ですのに」
「そうそう、付き合い始めの新鮮味がなくなって、倦怠期突入ってやつ」
「せやせや! 思うてたんと違うかった~言うて、目が醒める時期ですやん」
「……それか、すごく大事にしてるか、だよね」
「彼女と閨だけじゃなくて、もっと彼女との時間を大事に取りたいとか、確かにそういうのもありますけど、稀ちゃいます? 大概は付き合って直ぐに、めっちゃとにかくやることだけやって、そろそろ飽きてきたとか、そういうのでっしゃろ?」
「あー……うん。あんまり言いたくないけど、オイラもそっちかなぁって思う。後輩さんには気の毒だけど」
話が盛り上がる中、療が香彩を見る。
「やっぱり、そうだよね」
僕もそうかなって思ったんだけど、なかなか言い出せなくて。
そう話す香彩は大きなため息をついた。
息が若干震え始める。
「え?」
「は?」
再び昼餉の続きを食べ始めようかと思っていた、摩那斯の手が止まった。茶を啜る療は、湯呑みを傾けようとしたまま、その動きを止める。
「あ」
知らず知らずの内に大きな深翠の瞳から零れ落ちるのは、大粒の……。
「──って、あんたの話やったんかいな!」
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