龍と花嫁御寮

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龍と花嫁御寮

 ああ、静かだ。  この泉は、やはり、居心地がいい。  龍は、ゆらゆらとその身を揺らしていた。  寺と城。上空に、龍。  あの事件は、意外なほどに騒ぎにならなかった。  龍に謝意を持たれた殿様が、お触れにて、『空を賑わせし龍の御方は、この地の水の為に天から来られし。騒ぐこと、お姿を見んと望むこと、()むべし』と示してくれた為である。  絵に彩色を施したものも立てられ、子どもらは絵芝居のように楽しんでいたという。  そのことを女から聞いた龍は、『天は天でも、異なる世界の天からであるがな』と苦笑したのであった。  それでも、静かなのはありがたい。  山を越えたよその領地の辺りでは、日照りが……などと伝えられた時にもこの地には雨が適宜降ることがあり、民達も「逆に天変地異の前の平らかさか」と疑問視していたらしく、「龍様のおかげであったのか。めでたいことよ」と安堵したそうである。  それに伴い、元々、名主とそれからたまに網を仕掛けにくるものくらいしか訪れなかったこの泉。  今では、女以外は、全く訪れなくなっていた。  何故か、と言うと。  この泉ではなく少しだけ離れた所にある川の方が豊漁で、更に、「龍様のお住まいならば」と、名主の命で網を掛けることが禁じられたからである。  そう言えば、あの寺と城との騒ぎからは、もう何年が経っただろうか。  ふと、龍は考える。  そもそも、わたしがこの世界に来てからは、どれくらいになるのだろうか、と。 『わたしには、ごく僅かな時の流れではあるのだが、人の年月ならば相当であろうか。今では力も戻っておるのに、異世界へと戻らず、すまなんだ』 「何を仰せられますか。いつまででも、いらして下さいませ」  古老の鯉とのやり取りも、もう何度目だろう。  そんな時に。 『……女か』  気配を感じた龍が、泉から顔を出すと。 「龍様、見て下さい」  ああ、女は、見事な花嫁衣装を身に纏っていた。  そうだ、女。今では、花よりも実になりそうな美しさ。 『ついに、か。ならば』   もしかして、遠くに嫁ぐのなら。  背にのせてやろうか。  そう言い掛けて、龍は考え直した。 『花嫁衣装で、何故、ここに来た?』  そう、ここはあの泉。  力が戻り、異世界に帰るべく旅立つはずだった龍。  古老の鯉を初めとした泉のもの達は驚きながらも大歓迎であった、泉への、再度の来訪。  だが、古老には、恐らくは知られていたのだろう。  龍が、この女への別れを伝えてから、と思っていたことは。  それに加えて、もう一つ。  龍は、この地の水場を守るものに未だに会えずにいたのだった。  精霊、精霊獣。または、そのようななにかのもの達。  とにもかくにも、枯れぬ水場を託せるもの。  それに会わずば、新しい水場を起こすことは叶わない。  新しい水場。正しくは、枯れぬ出水(イヅミ)を、だが。  ……今は、それよりも。 『花嫁御寮(はなよめごりょう)が、介添えもなく。一世一代の晴れの日に、何をしておるのだ』   龍は、眼前の女に問うた。  だが。もしかしたら、この賢い女は。  (わたし)がこの地を、この世界を離れることに、気付いたのか。  ならば。  やはり、一瞬でも、この背にのせてやるべきか。 『別れの挨拶ならば……』  わたしの背にのりながら、すればよかろう。  そう伝えようとした龍に、女は言う。 「この衣装は、龍様の御為(おんため)に。あたしを、龍様にもらって頂くためにございます! 家の皆も、その心づもりでおります!」 『何を言うのだ!』  あまりのことに。  龍は、叫んだ。 ※花嫁御寮……花嫁の美称。
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