龍と異世界の泉

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龍と異世界の泉

『ここは……』  若き龍は、目を開いた。  そして、そこが、己の故郷、幻獣界とは異なる世界であることをすぐに理解した。  ここは、そう。異世界。  何故なら、空気が、違う。  魔力を持つものが生きる世界の、あの独特の空気。それをほぼ、感じないのだ。  精霊の気配は……ある。精霊獣もいるのかも知れない。  だが、聖霊や聖霊獣、自分のような龍にも似た霊獣、幻獣には。 『恐らくは、会えまいな。ここは、話に聞く異世界であろう。幻獣界で普通に午睡に励んでいたはずが。……界の狭間にでも、落ちてしまったか』  界の狭間。  何らかの理由で生じる、界の穴。  別の世界、次元に通じるというが、まさか、自分がはまってしまうとは。  精霊王様、聖霊王様とも親しく交わられるほどに偉大なるお方、幻獣王様がお治めになる龍の故郷、幻獣界。  異世界を渡る高位の精霊殿、精霊獣殿達も稀にはあられるとは聞くが、自分はまだ、(よわい)数百年程度。鱗の色を名として名乗る年にも満たぬ若輩者。  そのような栄誉に属する資格があるはずもない。  つまりは、本当にたまたま、だ。  ……帰りたい。  だが、帰る(すべ)は、あるのだろうか。  高位殿に見つけて頂ければよいが、この世界にいらして頂けたとしても、たまたまこの地、この時代になり得るのか。 『異世界人の転生にでも立ち会えれば……』  望郷の思いから、つい、可能性が更に低いことも考えてしまった。  幻獣界からこの地……異世界へ。または、異世界から幻獣界への転移、転生。  それは幻獣王様方が幾重にも重ねて備えられねば、叶わぬこと。  しかも、命あるものは狭間の衝撃に耐えられぬ。  ……姿があるのは、わたしが、龍であるからか。  龍は幻獣界のもので、竜は地上にも生きるものである。両者は遠くもなく、近くもない存在だ。  いずれにせよ、この世界には龍、そして竜は限りなく少ないと思われた。どちらかと言えば、竜ならばもしかしたら、というところか。  ふと、見てみれば、鱗の色が、常とは異なる。  色が、薄い。  幻獣としての力が消耗しているのだろう。  恐らくは、地竜、水竜、または飛竜ほどの(りき)のみではなかろうか。  やはり、地上に近い存在になっているのであろう。  そのように推察していたら、気配を感じた。 『この泉のものか』 「龍様。どうか、私達が御身にお仕えしますことをお許し下さいませ」  泉に長く住むという、古老の鯉であった。  竜ではなく、龍と。ならば、相当な知恵のものである。 『許すも許さないも、わたしの方こそ、異世界よりいきなり現れ、其方達の住まいを荒らしたものぞ。それを……良いのか?』  龍の名は、年を重ねたものが鱗の色をそれとして名乗る。異世界ならば、竜も同様。  こちらの世界の龍や竜もまたそうであるのかは不明であるが、それを伝えても鯉から寄せられる敬意は深く、そして澄んでいた。 「無論にございまする」  鯉は再び、礼をする。  水質のよい、異世界の泉。  古老の鯉は、この地を治める殿様は清廉潔白、人にしておくには惜しい、よきものと伝えた。  この泉を管理している名主(なぬし)も、民から慕われるよきもので、泉に生きるもの達をむやみに捕るようなこともないという。 『食するために、を恨むものはこの泉にはおりませぬ。(わし)が村の網にかかりますと、「泉の主にすまぬ」と村のものたちが自ら、泉にかえしてくれますしのう』  ……ふむ。  理由もなく異世界に転移してしまったことはともかくとして、悪くはない地ではあるようだ。  しばらくは、この泉に居候しようか。  こちらでも幻術が使えるようならば、己が姿に術を掛けねばな。  そう思った、刹那。 「龍様にあられますか!」  しまった。人の声だ。  静かに暮らしているこの泉のもの達に迷惑は掛けられらぬ。  場合によっては、人の意識を奪わねば。  叫ばれるか、他のものを呼ぼうとされるのか。  どちらだ。  龍の双眸が、声の主を見る。  すると。 「なんて、なんて、お美しいの!」  ただ、ひと言。  声の主、若い娘は、うっとりとして、立ち続けていた。 『いきなり、何を……』  龍が、心の声、念話でそう伝えるまで、ずっと。
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