龍と名主の娘

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龍と名主の娘

『仕方ない。話してもよいぞ。ただ、わたしのことを他のものに話してはならぬ。誓えるか?』   龍の許しが得られるまでは口をつぐむ、という強い意志を示す目に、根負けをした龍。  仕方ない、と、心の声、念話で言葉を送ると、娘は笑顔になった。 「ありがとうございます! 龍様のことを誰かに? そんなこと、絶対にいたしません! あ、あたしは……」 『己の名は名乗るな。ただし、それ以外はよい。話せ』 「分かりました! それじゃあ、あたしの家は……」  娘は名主の娘で、父の代わりに泉の見回りに来ていたのだった。  龍が、名乗ろうとする娘を制した理由。  それは、自分と(えにし)ができてしまうのはよくない、と考えたからだ。  この若い娘が、いつか天に帰る時。  その時に、この世界の天ではなく、龍の世界、異世界の天に紛れてはいけないという、思いやりである。  もしも、必要になることがあるならば、その時に。  古老の鯉から名を聞けばよい。  龍は、そう思っていた。 「龍様、こんにちは! 今日は……」  その後も、娘は月に数回、泉に来た。  まだ、古老からは、娘の名を聞いてはいない。  娘には兄がいて、兄の妻も、「あなたは賢いから、たくさん学んで、あたし達の子どもに色々教えてあげて」と、言ってくれているようだ。  無理に、嫁がせようとされたりはしてはいないらしい。  実際、娘の知識は深い。 「龍様、これ、よその国の言葉の本なのです」  そんな風に龍に言う娘に、龍は言葉を訳してやることもあった。  龍は、言葉を理解しているのではない。  だが、本に残る、紙や文字のインキに宿る精霊達の微かな気配を読めば、中身は分かるのだ。 「龍様、すごい! あたしも、船で異国に行けたらなあ」 『ならば、いつか、わたしの背にのせてやろう。異国までとの約束はできぬが』  ……しまった。   龍は、思った。  そして、慌てた。  わたしは今、何を言った? 「本当ですか!」  またもや、龍は驚いた。  娘の姿に、だ。  娘は、女になっていた。  あんなに小さかったのに。  着物も大人の女が着るものになっていた。  (かんばせ)も、花のようで。 『うむ』  何故だ。私は何故、冗談だと伝えぬ?  何故だろうか。  龍は。  いつか、娘が、いや、女が。  天に帰る前に。  ……自らの背に、のせてやらねば。  そう、思ってしまったのだ。 ※インキ……インクのこと。
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