龍と殿様

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龍と殿様

「殿、お逃げ下され! 御身(おんみ)に! 龍が、龍が!」   城内にて。  いつもは冷静な家老が、慌てて、こけつ(まろ)びつやってきた。 「何ごとか。いや、よい」  我々が、と留めようとする者達を制し、殿様は、自らが動いた。 「ほう、これは」  楼閣(ろうかく)格子窓(こうしまど)に近付くと、窓の外に浮かぶのは。  紛う方無き、龍であった。 「逃げ場などは、なさそうだの」  笑う、殿様。 『愚かな子に比べ、勇なるものぞ』  格子窓が、からりと音を立て、開く。  (あたか)も、自ら龍を迎えるかの如く。 「あやつが何かを?」   愚かな子、は一人しか思い浮かばぬ。  嫡男は唯一の男児ではあるが、無辜(むこ)の民に害を成す者は許さぬと、謹慎という名の出家を命じたのであるが。 『其方(そなた)が預けようとした寺にて、狼藉を。寺子屋に居た娘……手習師匠(てならいししょう)をその手にできぬからと、幼子を人質に。よって、ここまでの道すがら、寺の庭に転がしてきたぞ。ああ、そうだ。よき刀は、無事だ』  善良な寺のもの、そして、龍が大切に思うあの女……娘や子ども達は全員無事だ。  刃を突きつけられていた子ども達の代わりになると叫んでいた女。  龍の姿を見て、驚き、そして安堵していた。  ……あの表情は、実に笑えた。  龍も、さすがに、呵々(かか)、と笑う場ではなく、控えはしたが。  それに、寺の僧侶も、実にまっとうなものだった。  祈祷(きとう)をしながら、僧兵達を指揮しておった。  そもそも、出家の為にやってきた領主の息子が帯刀していたばかりか、いきなり寺子屋を襲ったのだ。  それを予想しろというのが、酷である。  それでも、領主から託された責任から、愚かなものを罰する気でおったのだろう。 「あの龍のお方さまは、子ども達をお助け下さる方であられるぞ。騒ぐでない!」  見事な眼力だった。  おかげで、龍だ! などと騒がれることもなく、皆を救えた。  そして、恐らくは刀の材となった玉鋼(たまはがね)に宿る精霊の声を聞いたものが打ったであろう、よき刀も。  よき刀。  愚かなものが、寺に送られるどさくさに、城から持ち出したのだろうか。 『この汚辱(おじょく)の手から救うて下さりましたこと、誠にありがとう存じます』と龍にこそりと(ささや)いていた。  愚かなものは、龍が何かをするまでもない愚物であった。  空に浮かぶ龍と龍が落とした威嚇の雷への恐怖から、失禁寸前。  赤子の手を……などと申せば赤子に失礼なほどであった。  寺の中で体中から水分を出されては、清めるのもたいへんだろうと、庭に転がしてきたのである。 「……愚かな。分かり申した」  驚くべきことに、殿様は龍の言葉をすべて信とし、速やかに追っ手を差し向けた。 「向かうべき場所は、を預けしあの寺ぞ。決して我が子と思うな。卑劣なる(とが)を犯せし奴とみなせ。嫡男として扱うは厳禁ぞ」と。 「「「ははっ!」」」  家老を筆頭に、あっという間にこの場を辞したもの達を見送る、龍と殿様。 『……礼を言う。そうだな。では、この地の水を守るものに、枯れぬ水場を求めておく。いずれ必ず、新たな水は湧く。適切な量を、争わずに使うように。それを守れば、水場は枯れぬ』 「ありがたきお言葉。民と、そして、あの刀をお救い下されましたこと、ありがとうございます」  そして、龍は、殿様が許される限りの角度で頭を下げたのを見た。 『……よい。人も、刀も。其方のもとに在ればおだやかにあれようぞ。……では』  龍は、再び、飛ぶ。    あの泉の近くに、水源があった。  龍でなければ、分からぬほどの。  然しながら、とてつもなく、澄んでいた。  あの新しい泉を、起こしてやろう。  そして。  出水(いづみ)よ、どうか。  あの女を、守ってくれ。  ……異世界へと戻る、わたしの代わりに。  ※楼閣……高く、りっぱな建物。  ※格子窓……細い木、または竹などを縦横   に組んで取り付けた戸や窓。  ※呵々……大声を上げて笑う様子。
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