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龍と女と
『わたしに嫁ぐ、それは、能わぬ。こちらに参る時に消えた我が力が元に戻りし今、この世界に存在せぬはずの過分な力、つまりはわたしが居ることはよろしくはないのだ。何ごとにも、適切な量、というものが存在する。賢きお前は想像できよう? お前はこちらで生まれた、生あるもの。仮に、だぞ。連れて行ったとして。この世界とあちらとの界の境を超えられず、お前のその命は絶えるやも知れぬ。いや、絶えるだろう。そのようなことは、ならぬ!』
実を申すならば、界を超えようとするならば、命が絶える前に女の身体に相当以上の負荷が掛かり、見るも無惨な状態になることが予想されたのだが、それは言うに及ばず、と龍は考えた。
「それでも、一瞬は、お側に。そのあと、この花嫁衣装をお連れ下さいまし。家族、寺子屋の子達、お寺の皆様までもが整えを」
『仮に! 魂がわたしと共に行けたとしよう。わたしの故郷には、人はおらぬ。在るものは、幻獣のほかには、幻獣に親しきもののみ。寂しさを感じずにはおれまいて』
万が一、よりも可能性が限られてはいるが。
幻獣王様が女を異世界への転生者と見なし、受け入れて下されたとしても。
わたしがいたあの世界には、人は、いない。
龍は、知っている。
女は、知識と、学ぶことが好きだ。
知識であれば、異世界においても、与えてはやれる。学ぶことも。
こちらの世界の過去や、未来も。そう、それ、だけならば。
しかし。
女は、人のことも、この世界も、大いに好んでいるのだ。
家族と別れ、人のいないところに行くなど、寂しいに決まっている。
そう。それでよいのだ。
真の心は、わたしには分かる。
嫁になりたいなどとは、今一瞬だけの、迷い。
小さき頃に邂逅した異世界のものへの、憧れに似た、惑い。
少しでも、女の心の中に。
この世界に残りたいという思いがあれば。
それを理由に、諦めさせる。
……諦めさせて、みせる。
『ならば、問う。わたしと共に来るならば、お前は、全てを失うぞ。それでも良いのか?』
問うた龍が、何故か感じた、僅かな哀しさ。
いや、これは。別れの悲しみ。じきに、忘れる。そう思いながら。
すると、女が、言う。
「貴方様が、おられます」
その言葉には、一片の曇りもなく。
『むう』
龍は、ただ一言。
唸る。
何度、女の胸中を覗いても。
在るのは、龍への思い、のみ。
何度も何度も、龍は、視る。
そして。三日三晩ほどが経っただろうか。
龍も、鯉の古老も、間あいだに女を休ませ、水や食料は与えていた。
それでも、異世界からきた龍との精神の感応。数分間で干からびてもおかしくはない。
龍は、言う。
『降参だ。わたしの背に、のれ。そして、鯉よ、否、鯉殿。其方の地に、新たな水場を起こしておく。後を頼めるだろうか』
鯉の古老に伝えた。
「御意にございます」
古老は、鯉の身でありながら、それと分かる明らかな笑顔を見せ。
女の笑顔は、それ以上である。
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