3.愛の思い出

1/1

82人が本棚に入れています
本棚に追加
/9ページ

3.愛の思い出

 1,2か月が経った頃、バーニック伯爵はモニカに、マイルズ・グリーソン男爵令息の身上書(しんじょうしょ)を手渡しながら婚約の件を伝えた。 「は?」  モニカは()頓狂(とんきょう)な声を上げた。 「いや、普通に(イヤ)ですけど」 「バカもんっ!」  バーニック伯爵は怒鳴った。 「嫌とか言える歳か!?」 「ひどいわ! 娘の幸せとか考えずに結婚させちゃうわけ?」  モニカが言い返す。 「うるさい、うるさい、うるさいっ! お前はさっさと結婚しろ!」  バーニック伯爵はまた声を張り上げた。 「結婚して赤ん坊でもできたら、そのうち『ああ~幸せだな』とか思うものなんだから」 「なによ、そんなの嘘! 結婚は人生の墓場(はかば)って顔してる人、いっぱいいるわよ! 変な価値観押し付けないでよね!」  モニカは手に持っていた身上書(しんじょうしょ)を床に叩きつけた。 「あっ! こらっ!」  バーニック伯爵が(あわ)てて拾い上げる。 「とにかく、私は誰とも絶対に結婚しませんから!」 とモニカは言い捨てて、すごい勢いで部屋を飛び出して行った。 「許さんっ! 何があろうとマイルズ殿との縁談は進めるからな!」  バーニック伯爵は顔を真っ赤にして、モニカの背に向かって大声を出した。  何よ、何よ、何よ!  モニカは泣きそうな顔をして(こぶし)をぎゅっと握った。  絶対(イヤ)よ。  誰よ、マイルズって。  アルベルト以外の男の人とは絶対に結婚なんかしないんだから。  アルベルト……。  モニカは自室に戻ると、ベッドに()()した。  アルベルトとの思い出が(いや)(おう)でも浮かぶ。  モニカはある日のアルベルトとの馬の遠乗りの日を思い出した。  あの日モニカは、お気に入りの山の岩場に行こうと、アルベルトを誘ったのだ。  初めはなだらかな丘陵(きゅうりょう)地帯を行くが、途中からは木の多いところを抜けていく。  細い尾根道(おねみち)辿(たど)っていくと、急に木がごっそり姿を消し視界が開ける。そこは岩場の露出(ろしゅつ)した(がけ)になっていた。  (がけ)に端に大きな岩が埋まっていて、頭の部分を土からはみ出して空に突き出していたのだ。  その岩からは眼下(がんか)の緑の谷を一望(いちぼう)でき、またとなりの山の全貌を眺めることができるので、モニカのお気に入りだったのだ。  二人は御供(おとも)も連れず、気ままに出かけた。  しかし、途中まではとても天気がよかったのに、急にぶ厚い雲が太陽を隠したかと思うと、ゴロゴロと(かみなり)が鳴りだした。雨もぽつぽつ降り始めた。  二人は嫌な予感がしていたが、木々を抜けて(ひら)けた岩場に出た瞬間、(あん)(じょう)、ピカっと空を切り裂く稲妻(いなづま)が走った。  臆病(おくびょう)なモニカの愛馬は、(おび)えて足を止めた。  (かみなり)となると、岩場も、木々の少ない丘陵(きゅうりょう)地帯も怖い。  まだ木々の中にいた方がましかもしれない。とはいえ、木にも(かみなり)は落ちる。  雨もだいぶ激しく降り出した。 「モニカ。横道に()れよう」  アルベルトは冷静に言った。 「(かみなり)が近い。沢沿(さわぞ)いへ下りる。沢筋(さわすじ)横土(よこつち)(えぐ)られている場所があるから、そこで雨も(しの)げるだろう」  モニカは少し躊躇(ためら)った。 「沢筋(さわすじ)は雨で水が増えたとき危なくないかしら」 「水の湧き出し口から比較的近い場所だ。雨が激しくなるようなら考えるが」  その時、またゴロゴロと空気を震わす音が聞こえた。  馬がさらに(おび)えて首を垂れた。  その様子を見てモニカは(うなず)いた。 「そうね。わかったわ。とりあえず行きましょう、馬が動くうちに。落雷(らくらい)に巻き込まれてもつまらないしね」  モニカとアルベルトは馬を降り、道を(はず)れると、比較的歩きやすそうな場所を探してそろそろと慎重に(さわ)の方へ下りて行った。  木々のおかげで斜面はしっかりしていたが、馬がいるとめんどうだ。 「モニカ大丈夫(だいじょうぶ)か」 とアルベルトは心配そうに声をかけたした。 「大丈夫(だいじょうぶ)よ。誘ったの私だもの。悪かったわね」 「(かみなり)は仕方ない。ははは。いつまで馬がおとなしくしてくれるかな。こんなところで馬に機嫌(きげん)(そこ)なわれると厄介(やっかい)だね」  しかし、アルベルトの予想は当たってしまった。  モニカの馬の性格は他の馬より臆病(おくびょう)だったので、歩きなれない悪道(あくどう)で、耳を落ち着きなく動かしたり、首を振ったり、歩みを止めたりした。  そのうち雨は本降(ほんぶ)りになってしまった。  アルベルトは遠慮(えんりょ)するモニカと(なか)ば強引に馬を交換すると、モニカの馬を引きずって、なんとか横穴(よこあな)まで辿(たど)り着いた。  少し(さわ)から離れた足場の良いところに馬をつなぐと、二人は一先(ひとま)ずほっとした。  そして、横穴(よこあな)(もぐ)り込むとできるだけ雨を避けて奥まで入り、二人はぴったりと寄り沿って座った。  モニカの耳には、しとしと降り落ちる雨の音や(さわ)を流れる水の音と、アルベルトの呼吸音が聞こえてくる。  と、途端に、またゴロゴロ、ゴロゴロゴロ……と太く長く(かみなり)が響いた。 「(かみなり)をやり過ごすまでの辛抱(しんぼう)だから」  アルベルトは安心させるように(やわ)らかく言って、そっとモニカの肩を抱いてやった。  モニカはドキっとして心臓が急に早く高鳴りだした。  ああ。アルベルトの体温が伝わってくる。  ふと見上げたアルベルトの横顔。耳が少し赤かった。  ずっと好きでよく遊んでもらったけど、こんなに近くに座るのは初めてかもしれない。  ふとアルベルトがモニカの方を見た。  二人の目が合った。 「何見てんの」  アルベルトは()れて口を(とが)らせた。  モニカがドキドキして何も答えられずにいると、 「めずらし。モニカが弱って見える」 と、アルベルトはそっと目を細めて笑った。 「もう」  モニカはそう言うと、仕返しにぐいっとアルベルトの腕を引っぱった。 「あ、あぶなっ」  アルベルトは思わず倒れかかりそうになって、腕を土壁(つちかべ)についた。腕で()()って体を支える。 「モニカ、ちょっといたずらが過ぎるだろ」  アルベルトが驚いて目を上げたとき、モニカはいきなり、無防備(むぼうび)なアルベルトの(くちびる)にキスをした。  アルベルトは驚いて目を見開いた。  (あわ)てて唇をずらしてモニカの目を見る。  モニカは急に恥ずかしくなり、真っ赤にした顔を(そむ)けた。 (ぎゃあああ、やっっっちゃっっった! なにしてんの、私!)  耳まで真っ赤になる。そして、どうしたものかと(くちびる)をぎゅうっと結んだ。  アルベルトは「そうか」と思った。そしてモニカの心がいじらしくなった。  思わずアルベルトの口元(くちもと)(ゆる)む。 「モニカ、ごめん。顔を上げて。」  アルベルトはそっとモニカの(ほお)に手を伸ばした。  モニカは自分からキスしたくせに、びくっとして肩を(すく)ませた。 (いや、恥ずかしすぎて無理だろっっ!) 「モニカ」  アルベルトは真面目な顔でモニカを(のぞ)き込んだ。 「大丈夫(だいじょうぶ)。」  モニカの()を冷や汗が流れた。目をぎゅっと(つむ)る。 (何が大丈夫(だいじょうぶ)なのよおっっっ。恥ずかしすぎて死ぬっ)  アルベルトは、モニカがきっと心の中でオロオロしまくってしているのだろうと思って、可笑(おか)しくなった。 「モニカ。大丈夫(だいじょうぶ)だって。同じ気持ちだから」 「え?」  はっとしてモニカが顔を上げると、アルベルトの少し()れた微笑(ほほえ)みにぶつかった。 「いいってことだよね」  アルベルトはそう言ってモニカの腕を(つか)んで体を引き寄せた。 「えっ、ええええっ」  モニカが(自分で()いた種なのに)()()った。 (嘘っっ、これアリだったの!?) 「(かみなり)もよい仕事をするもんだね」  そう言ってアルベルトはモニカの(こし)に手を回し、口づけた。 (あ……)  モニカはアルベルトにキスをされて心臓らへんがぎゅっとした。  好きだって気持ち、伝わってくれた。アルベルトもこんなに優しくしてくれる。  そして、そのままアルベルトの肩に手を回し、身を(まか)せた。  二人はしばらくお互いに気持ちを確かめるように(くちびる)を重ねていた。  そのとき、何というタイミングだろうか、急に、パキッ、カサッと沢沿(さわぞ)いを歩く気配がした。 (誰っ!?)  二人は思わず体を離した。  アルベルトも咄嗟(とっさ)のことで驚きながら、モニカを守ろうと身をすっと前に身を乗り出した。  ガサッカサカサッ パキッ  足音はこちらへ近づいてくる。 (こんなところに誰が……)  モニカは乱れはないか、ささっと髪を()でつけ、胸元(むなもと)を正した。  と。  横穴(よこあな)の二人の前に現れたのは、イノシシの親子だった。  母イノシシが2匹のウリ坊を連れている。 「イ、イノシシ!?」  モニカは思わず声を上げた。  母イノシシは子供らを雨宿(あまやど)りさせようとこの横穴(よこあな)に連れてきたに違いない。  先客を(ねた)ましそうな目つきで見た。   「あははっ」 とアルベルトは笑った。 「イノシシと考えていることが全く同じだったとは」  アルベルトはイノシシに向かって 「すまなかったね」 と優しく声をかけた。  せっかくお互いの気持ちを確かめあっていたのにイノシシに邪魔された、とモニカはむすっとした。 (くそうっ。イノシシめっ。鍋にしてくれるっ)  アルベルトはそんなモニカのほっぺたをつんつんと(つつ)いた。 「そんな顔しなくても。イノシシに言ってもしょうがないだろ」  それでもモニカがしゅんとしていたので、アルベルトは「はははっ()ねないの」と笑ってモニカの肩を抱いてやった。  イノシシの親子はしばらく二人の前をうろうろしていたが、やがて(あきら)めたのか姿を消した。 「雨宿(あまやど)りさせてやろうだなんて、母イノシシの愛情も深いものだな」  アルベルトのモニカを抱く手に力がこもった。 (あ……、アルベルトの手……。まあイノシシに邪魔されたけど、アルベルトが抱っこしてくれてるからいいか)  モニカは気を取り直した。  二人は黙ったまま、満ち足りた気持ちで雨を眺めていた。  やがて雨が止んで、輝くような木漏(こも)()が二人のいる(さわ)まで差し込んできた。 「晴れたね」  アルベルトが(つぶや)いた。  ふと(さわ)の方に目をやったとき、紫の花が岸辺に群生(ぐんせい)で咲いているのが見えた。  クロッカスに似た紫の花は光を浴びてピッカピカだ。  きれいだな、とモニカは夢見心地(ゆめみごこち)で思った。  私、この日のこと、絶対に一生忘れない。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!

82人が本棚に入れています
本棚に追加