85人が本棚に入れています
本棚に追加
/9ページ
4.縁談のお相手
さて、モニカが散々婚約を拒否したのにバーニック伯爵は、マイルズ・グリーソン男爵令息を屋敷に招待した。
豪華な客間でニコニコ顔で出迎えるバーニック伯爵。
その横で、無理やり並ばされたモニカとモニカの従弟のフランクは、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
(結婚は絶対しないって言ったのに!)
(モニカは自分と結婚するはずなのに!)
マイルズは精悍な若者で、背が高く逞しい体つきだった。アルベルトやフランクよりずっと背が高い。そして真面目で誠実そうな顔つきをしていた。
モニカの横で異母妹のメリッサが首を傾げる。
これほどの男性なら王都でも話題になっておかしくないはず。
どうしてこれまでほとんど社交界で噂を聞かないのかしら。
誰か他に心を決めた女性でもいるか、よっぽど中身に問題があるか、どっちかね。
マイルズはそんなバーニック家の者の心中など全く知らず、バーニック伯爵の前に立つと、微笑みを浮かべて恭しく礼をした。
「お久しぶりです、バーニック伯爵。お招き感謝いたします。この度はお嬢様をわたくしめにくださるそうで」
(誰があんたなんかと!)
(誰がお前なんかに!)
モニカとフランクは心の中で同時に突っ込んだ。
しかしバーニック伯爵は満面の笑みをたたえ腕を大きく広げて歓迎した。
「いや~本当に、よく来てくださった、マイルズ殿! こんな嫁き遅れで申し訳ないが、末永くよろしく頼む!!」
「いえ」
マイルズもにこにこしている。
「ありがたいお話ですよ。自分もこれまで女性には縁がなく、いたずらに歳を重ねてしまいました。今回こんな格式高いバーニック伯爵家からお話をいただきまして! もう身に余る光栄だとしか」
「さあさあ、マイルズ殿! こちらがそのモニカです。さ、モニカ、挨拶せんか!」
バーニック伯爵はモニカの背を勢いよくバンっと叩いた。
「う……」
モニカは口を開けなかった。
歓迎の言葉を言えば婚約が成立してしまう。
かといってこのような畏まった場ではマイルズを厳しく突き放すようなことも言いにくい。
モニカが出方を窺い困っていると、マイルズは優しく微笑んだ。
「戸惑っていらっしゃいますよね。でもよいのです。時間をかけて受け入れてくだされば」
(受け入れないわよ!)
モニカは顔をぷいっと背けた。
「これっモニカ!」
バーニック伯爵がきつい声で叱った。
しかしマイルズはモニカの心中など微塵も気づいていないように、まっすぐモニカの目を覗き込んだ。
「モニカ様。私は堅物で女性に気の利いた一言も言えません。でも、あなたを大切にいたしますよ。……今回もあなたがお好きなものと聞いたので、これを」
マイルズはさっと従者に合図した。
従者がなにやら大きな籠を持ってくる。
バーニック伯爵夫人とメリッサが思わず身を乗り出してその籠の中身を見ようとした。
「何これ!? やだかわいい~ウリ坊? あれ、でも死んでる?」
「はい。モニカ様はジビエが好きと聞きまして!!!」
マイルズはえへんと胸を張りながら得意気に笑った。
「え? イノシシ?」
モニカは思わず眉を顰めた。
しかしバーニック伯爵は笑顔を作ると、
「おおっ! これはマイルズ殿! うちの娘の好物を知っているとは!」
と大袈裟にマイルズの手を取った。
「そうなんですよ、モニカは秋になるとジビエばっかり! 毎日でも食べさせてやってくだされ! なに、お金は心配なさるな、うちからたんまりお送りしますから! ジビエの蔵を立てましょうぞ!」
フランクはバーニック伯爵の態度にムカムカした。
(さりげなくお金のちらつかせて、どんだけモニカを押し付ける気なんだ)
モニカも腹の中でキーっと怒っていた。
(好物って、すご~く子供の時だけよ! あの日以来、ジビエでもイノシシ肉は食べないことにしたんだから! ってゆーか、なんでこいつが私の好物を知ってるのよ!)
マイルズはモニカの睨みつけるような目線を勘違いして、
「あ、モニカ様。もしかして、なんで私がジビエのことを知ってるのかと驚いておられますか? ふふふふ。なんと今回、サスマン侯爵家のアルベルト様に聞いてまいりましたからね!」
と鼻を天狗にして宣った。
その名を聞いて、モニカは凍り付いた。
アルベルトがこいつに好物とか教えたの!?
いや、ちょっと待って、私がイノシシ肉食べるのやめたこと、アルベルトは忘れちゃったの?
くそ、アルベルトめ!
「もう結構ですわ」
モニカは体裁など全て忘れて、低い声で言った。
そしてモニカはドレスをひらりと翻すと、呆気にとられるマイルズを置き去りにして、さっさと客間を出て行った。
「モニカ!」
慌ててフランクが後を追う。
「こら~モニカっ! 客人の前で!」
バーニック伯爵は顔を真っ赤にしてカンカンに怒った。
バーニック伯爵夫人は急いでマイルズに駆け寄って宥めようとした。
「申し訳ありませんわ! あの子だいぶ頭がおかしいんですの! でも普段はここまでじゃありませんのよ。どうぞ、どうぞ、あの子を見捨てず、さっさとマイルズ殿のグリーソン男爵領に連れてってくださいまし!」
マイルズはこの展開についていけず完全に狼狽えてしまった。
なぜモニカはこうも気分を損ねたのか。何が気に障ったのか。
それからマイルズはようやく何か言わなければならないと気づいたが、何を言っていいのかわからない。
「え……と」
(なるほどねえ)
とモニカの異母妹のメリッサはマイルズを見て思った。
(このどことなくズレてる感じね?)
これなら女に縁がないのも納得だわ。
あんまりモテないから、今回こうしてバーニック伯爵自ら名指しで娘を貰ってくれと言われて、有頂天になっちゃったんでしょうね。
メリッサは「お異母姉様もお気の毒ね」とふふと笑った。
私ならこんな男性と結婚したらイライラすると思うわ。
そのとき、バーニック伯爵夫人が
「マイルズ様?」
と小声で話しかけた。
「あ、すみません、はい」
マイルズはおずおずと答える。
「あの、もしよろしかたら、こちらを……」
バーニック伯爵夫人はマイルズの手に何やら握らせた。
そして耳元に顔を寄せるとさらに小声で言った。「惚れ薬ですわ。結婚は決まっているのですもの。いがみ合った夫婦生活など嫌でしょう? 多少、薬に頼ってもよろしいんですのよ?」
マイルズはがばっと弾けるように飛び上がると、バーニック伯爵夫人から離れた。そして誇りを傷つけられたように睨みつけた。
「とんでもない! こんな物には頼らない。私はモニカ様に誠実に向き合って、きちんと正面から受け入れていただく!」
「あら」
バーニック伯爵夫人はがっかりした顔をした。
馬鹿正直め。
しかしすぐに気を取り直すと、バーニック伯爵夫人はさも善人のように微笑んだ。
「そうですわね。でもこれは恋のお守りとしても使えますのよ。どうぞお持ちになって」
お守りと言うのは嘘だけど、手元にあれば使う気になるかもしれない。
バーニック伯爵夫人は心の中でいやらしく笑った。
最初のコメントを投稿しよう!