1.サフラン畑

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1.サフラン畑

 モニカ・バーニック伯爵令嬢は、およそ貴族令嬢とは思えぬ出で立ちで、()()で精を出していた。  精を出していたというのは少々前向き過ぎる言い方かもしれない。  どちらかというと、ただむやみやたらと(くわ)を振り回している……? 「くっそ~! アルベルトめ!」  さっきからモニカは、ずっと好きだったアルベルト・サスマン侯爵令息への悪口が止まらないのだ。  モニカは(くわ)を振り上げ、力いっぱい土に突き立てた。 「私という者がありながら、別の女と結婚するってどういうことよーーー!!!」  さっきからずっとこんな調子で(たがや)しているため、農地の土は深くふっかふかになっている。 「うん、いいね! その調子だ、モニカ! いい感じで(たがや)せてるぞ。農地拡大だ!」  モニカの従弟(いとこ)のフランク・ランバートがモニカに満面の笑顔を向ける。 「フランク~~~!!! 土のことはどーでもいいのよ! (なぐさ)めてくれてもいいじゃない!」  モニカはキーっと怒った。 「モニカ。アルベルトのことは言ったってしょうがないだろ」  フランクは苦笑した。 「それに、俺はおまえの畑づくりを手伝わされている身なんだからな。むしろ俺を(ねぎら)ってくれ」 「なんて言い方するの!? 私を可哀(かわい)そうだとは思わないの?」  モニカはフランクを(なじ)ろうとしてまた(くわ)を振り上げたが、ふと思いついた。 「いや、待てよ、アルベルトの結婚は人づてで聞いただけなんだから、もしかしたら嘘ってことも……」 「それはないんじゃない」  フランクはさらっと言った。 「俺も聞いたから」 「うわあああ~。アルベルト~!」  モニカはまた涙目になった。 「いい加減アルベルトのことは忘れろって。婚約してたわけでもなかったんだし。そもそもモニカの前から消えてもう3年にもなるだろ」 「消えたとか言わないで。なぜかわからないけど、もう会わないって言っただけよ」 「そう。会わないって言って3年だぞ!? モニカのことなんかもう完全に忘れてる」 「絶対忘れてないわよ! フランクのバカっ」 「バカって……」  フランクは一瞬むっとした顔をした。 「アルベルトはこうしてこの花をくれたのよ。私はこんなに大事に育ててるの……」  モニカは(うら)めしそうに、足元に咲くクロッカスに似た紫色の花を見た。 「ああ、知ってるさ! どんなに大事に育ててきたか。俺はモニカからこの花の手入れを(まか)されて、この3年間、ずっと枯れないか見張ってたんだからね。そして、この花は、今や畑にまでなった!」  フランクは口を(とが)らせた。 「だって……。だって!」  モニカは涙目になった。 「あの日。大好きだった少年のアルベルトが急に『もうお会いできません、さようなら』って言って私の(てのひら)の中にこの紫色の花を押し付けたのよ。彼の苦しそうな顔をいまだに覚えているわ。私はアルベルトの思い出を失いたくなかったんだもの」 「分かってるよ、モニカ」  フランクはため息をついた。 「そして、モニカが大事に育て増やしたから、このサフランは利益を生む一大商品(いちだいしょうひん)になったと」 「商品とか言うな!」  モニカは怒った。 「俺にとっては商品だよ。3年前に(うるわ)しの少年が思い出に差し出した紫の花……って規模じゃなくなってるだろ、どーみても! 見ろよ、このサフラン畑!」 「そ、それは途中からフランクが商売っ気を出してサフランを追加したからでしょ!」  モニカは(こぶし)を握って言い返した。  フランクはもう一度ため息をついた。  そう。この広大なサフラン畑こそが、モニカのアルベルトへの愛の深さ。  俺も、よく3年もこの畑づくりに付き合ってきたものだ……。  まあ、モニカの悲しむ顔を見たくなかったし、モニカの一途(いちず)さを踏みにじるのも嫌だった。  だから、不本意(ふほんい)ながら、他の男の思い出の花をこうして一緒に世話してる。  3年前まで、そう、少女のころのモニカにとってアルベルトがどれだけ大事な存在だったか、俺は隣で見てきたからよく知ってる。  フランクが10年前、ここ叔父のバーニック伯爵領に引き取られた頃、ちょうど時期を同じくしてサスマン侯爵家のアルベルトは、この遠縁に当たるバーニック伯爵の領地に静養に来た。  生まれてからずっとこの辺境の地にいたモニカは、フランクのこともアルベルトのことも歓迎してくれた。しかしアルベルトへの歓迎ぶりは特別だった。モニカにとっては王都から来たアルベルトがとても珍しかったようだ。  もともとモニカは好奇心旺盛な娘だったし。  モニカより二つほど年上のアルベルトは聡明で何でも知っていた。そして王都の礼儀作法を全て身に着け洗練されていたし、物腰も柔らかくイケメンだった。  さらにとても優しかった。  モニカが誘えば馬の遠乗りにも付き合ってくれたし、お茶にも付き合ってくれた。  面白い本をモニカに(すす)め、一緒に内容を語ったりもしていた。  そう、当時はモニカとアルベルトは毎日一緒に過ごしていたのだ。  アルベルトにとってもモニカはたぶん大事な娘だったのだと思う。  遠乗りで馬から落ちたモニカを背負って、血相を変えてバーニック伯爵家へ届けてくれたのもアルベルトだった。  継母(ままはは)と何やら喧嘩して屋敷を飛び出したモニカを、家中(かちゅう)の者で一晩中探し歩いたときも、結局見つけたのはアルベルトだった。  あの時フランクは、モニカが行方不明になり生きた心地がしていなかったので、モニカが見つかって心からホッとしていた……はずだった、本当は。  しかし、アルベルトの胸にしがみつくモニカを見たとき、フランクはホッとするどころか胸が痛くて苦しくなった。見つけたのが俺だったらよかったのに、と何度も思った。  当時領内では、もうモニカとアルベルトは婚約するんじゃないかともっぱら噂されていた。  領内で公認の仲だったのだ。  なのに、急にアルベルトは、3年前のある秋の嵐の夜、『もうお会いできません、さようなら』とモニカに告げ、バーニック伯爵領を去っていったのだった。  突然のことに呆然(ぼうぜん)としていたモニカの手の中に、この紫色の花を押し付けて。  モニカはアルベルトが去ったことを分かっていなかった。  毎日「アルベルトは?」と(たず)ね、「もう領内にはいらっしゃいません」と侍女が答え、アルベルトが訪ねてこない日を何日も重ねて、ようやくモニカは理解したようだった。  アルベルトが去ったということを。  数日間、モニカは紫の花を眺めてぼんやりしていた。  水をやるのも忘れていたので、そのうち花が(しお)れかかってきた。  それでモニカははっとしたらしい。 「フランク! たいへんよ、私の花が枯れてしまう! なんとかして!」 と泣きながらフランクに頼って来た。  そしてフランクがこの花の責任者になった。  フランクはモニカのために、庭師と一緒に花を調べ、この紫の花がサフランという名前だと言うことを知る。  運よく球根付きだった。  フランクはその花を土に植えてやった。  花が終わりかけた頃、モニカが泣きべそをかきながら 「枯れたら終わり? 種は取れるの?」 と庭師に聞くと、 「種はできませんがね。球根で増やせますよ。」 と庭師が答えた。  モニカの目が輝いた。 「毎年咲かせられるのね! じゃあ想いだって永遠だわ!」  それ以来ずっと、フランクはこのサフランの花を育てるのを手伝わされている。  最初は数本だったサフランの花は、一年ごとに株を増やし、そして、3年もすればけっこうな数になった。  だがフランクはモニカのアルベルトへの想いまでには付き合えない。 (えーっと、なんで俺こんな花の世話に忙殺(ぼうさつ)されてるんだっけ……?)  アルベルトが残した花を前にして、フランクは度々(たびたび)はっと(われ)に返る瞬間があった。そのときの(むな)しさは格別だ……。  フランクは「俺は商業的にサフランを育てているのだ」と自分に言い聞かせた。  サフランの花の赤いめしべが香辛料として使えるから。  料理や美容やらに絶大な人気を(ほこ)るのに、めしべしか収穫できないサフランはグラム当たりの価格がたいそう高い。  フランクは我ながらこのアイディアが気に入った。  そうだ、これは商売だ! 俺が育ててるのは恋敵(こいがたき)のアルベルトの思い出なんかじゃない!  畑で栽培する価値が十分にある、スパイス!  わはははは、これは商品だのだ!  そしてフランクは、どうせ世話するんだし、と別の区画に大量にサフランを追加し、ついにこうして、畑と呼べる規模まで広がったのだった。  さらに、バーニック家のサフランは、モニカの手前、使用人も世話に手を抜けず、おかげで色付きも香りも最高級。とても値が付いた。  ……だって、それ以上どうできるというのだ?  アルベルトへの思いを断ち切れと俺がこの畑を焼き払えば、モニカが俺のものになるとでも?  そんなことは絶対にない。  モニカがアルベルトを忘れられるまで、付き合うしかないじゃないか。
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