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不意に生暖かい風が吹き、周囲の木々がさわさわと騒めく。幽霊でも出そうな雰囲気だ。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と心の中で念仏を唱えながら自然と歩みが早くなる。
しかし、何者かの視線を感じて足を止めた。
右前方の木の影だ。誰かいる。これは殺気……殺気を放っているということは幽霊ではあるまい――。
「何者だ……某になにか用でござるか?」
声をかけてしばらくすると木の裏手から見知った顔が現れた。
巨体に似合わず策謀を巡らせる意地の悪そうな顔をした狡猾な男、両手に手斧を握っており、相変わらず死んだ魚のような濁った目をしている。
「ザンザ殿と言ったか、なにゆえここに……」
問いかけてもザンザは勿体ぶるように何も言わなかった。なにやら怪しげな雰囲気だ。やがてザンザは不敵に笑う。
ザンザはカンナをあんな目に遭わせた御仁だ、警戒するに越したことはない。某は、いつでも抜けるように木刀に意識を移した。いきなり斬りかかってきても警戒していれば対処はできる。こちらは木刀、あちらは手斧だ。ただ攻撃速度は上回っても得物の強度は比べるべくもないので、そこは考慮しなければならないが。
正直、あまり関わり遭いたくない手合いなので、無視して素通りできたらいいのだが、この手の手合いがわざわざ待ち伏せていたということは、おそらく因縁。背後を見せようものなら斬りかかってくる可能性もある。
ザンザに対する個人的な恨みはないがカンナをあんな目に遭わせたことについては、武人としては尊敬できない。それにやり方が汚かった。わざわざカンナを挑発し、冷静になれない状況を作った上での過剰攻撃。力を高め合うための決闘ではなく、単なる殺し合い。それはカンナも同じだっただろうが、そう仕向けたのはザンザだ。わざわざカンナの兄を貶めてまで挑発した、あの行いは許せない。
だがそれが許せないと、某が怒り、復讐するのもまた違う。ただ一つ言えるのは、カンナの見舞いよりも先に某を追ってきたということは、きっとザンザという男はカンナをあんな目に遭わせても、なんら気にしてなどいないのだろう。それが無性に悲しかった。
ザンザの殺気に怯えてカア、カアと、カラスが鳴き声をあげて飛んでいく。ザンザは依然、口を閉ざしたまま……。
「用がないなら、行くでござるぞ」
「まて……」
ようやく口を開いたかと思えば、それは地を這うように低い声。ザンザは道を塞ぐように立ち、行かせる気はないようだ。
「あのとき、お前、俺の邪魔をしたな」
邪魔をした。それはカンナを救ったことを言っているのだろうか? この男はカンナを殺す気だった。仮にも同僚である仲間を、どうしてそこまで人の命を蔑ろにできるのか。
せめて人を思いやる、ほんのわずかな動揺すらこの男にはない。自然と拳に力がこもった。
この程度の器しかない者が冒険者とは――。某が二人の戦いから感じた未来への展望が、ゆっくりと音を立てて崩れ落ちていく。
強くなれると思った、今よりもさらに、しかし、この男が求めているのは単なる力だ、それで人を救うことも、自身の命を守ることもできるのに、ただ人を恐れさせるためだけの力。
それが正しい、正しくないの前に、つまらない。つまらない男だ。某は視界にザンザを入れておくのも億劫になった。溜息を吐く。
「某はカンナ殿を助けただけでござる」
「それが俺の邪魔をしたってことなんだよ、それでいったい何をしやがったんだ? あのとき、どうやって俺のストーンウォールを破壊した?」
某も無我夢中でどうやったかなど憶えていない。説明しようとしても無理だ。もう一度、行えと言っても、できるかどうかもわからない。あのときはカンナを助けたいという一心しかなかった。いわばその他は何も考えていない、雑念がない状態だったとは言えるだろう。だがそれだけだ。あまりにも情報が少ない。
「ビビッて口がきけねえか?」
考え込んでいるのを怯えていると勘違いされた。ザンザが苛ついている。びびっているとこちらを挑発してカンナのように冷静でなくしたいのか。しかしザンザになにを言われても何も感じない、重く受け止めるべき言葉がどこにもない。今のザンザを見ていても空虚だという感想しかない。
そもそもザンザが先回りできたのは、某をずっと付けてきたからだろう。だとしたら某が受付嬢から仮登録証を受け取ったところも見たはずだ。受付嬢も言っていたが冒険者同士の私闘は厳禁。それをわかった上で喧嘩腰なのだ。
「やめておこう、某も晴れて冒険者になったばかり、冒険者同士の私闘は厳禁でござろう――」
「ああ、そうだ……ったなっ!」
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