六月の雫

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 早く、九時になって欲しい。  全てが終われば良い。  そうすれば、この言葉にできない気持ちもなくなる筈だ。  僕は必死に願った。  この地獄の様な時間が早く過ぎるようにと。  だが、地獄の時間はまだ始まったばかりであった。  九時前に、僕は怪しまれない程度でYホテルの近くでうろうろした。  そして、アイツが、のうのうとホテルに入って行くのを見た。  にやりと笑う。  入っていけばあの二人は袋の鼠である。  後は母が来るのを待つだけだ。  九時過ぎに母はやって来る。  何も疑っていないなかった。  アイツとRに裏切られた事も、息子に騙されている事も、何もかも。  ここで母を止めて、全てが嘘だといえばどれほど良かったのだろう。  アイツに、出来るだけ母と平和に別れる様に頼み、僕はこの事を墓場まで持っていけたのならば……母の瞳は、彼女がこの世を去るまでずっと輝いたままでいられたのに。  母はエレベーターに乗り込んだ。  僕は階段を駆け上がる。  誰にもバレない様に、そっと廊下の様子を見た。  エレベーターが三階に着く。  母に気付かれるのではないかと思う程、心臓の音が激しく鳴り響いた。  興奮、恐怖、期待、後悔。  あまりにも沢山の感情が渦巻いていた。  母は軽く305号室のドアを叩く。  中から物音がして、暫くするとドアが開かれた。  中から顔を覗かせたのはアイツと……母を姉と呼んで慕っていたR。  パジャマを着たまま、二人はその場に固まった。  アイツの絶望の顔を見るつもりであった。  扉が開かれる前まで、その目的に揺らぎはなかった。  だが───。  一瞬で何もかも分かってしまった母は崩れる様にしてその場に倒れる。  アイツの絶望の顔を見る余裕などなかった。
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