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 かれこれ四十分ほど歩いたが、目的のアパートの場所が分からない。  T市を出てから、すでに二時間以上が経過していた。  新居の住所を書いたメモをなんども取り出し、その都度スマホの地図アプリへ入力する。  それを頼りに進むのだが、十日前に不動産屋と行ったはずの三階建ての小綺麗なアパートが見つからない。  しびれを切らした彼は、一旦『M親水公園駅』まで戻りバスに乗ることにした。  下見の際に不動産会社の担当者から、 〝ほら、ここがバス停です。アパートまで近いでしょ、二分もかかりませんよ〟  帰りの営業車の中から、歩道に設置された停留所の看板を指差されたのを覚えていた。  確かにアパートの前面の道を一度右に曲がり、三十メートルほど歩くと広いバス通りにつき当たり、すぐのところにバス停はあった。  迷いようのない、単純な道程だった。  教えられたバス停の名前も覚えている『○○六丁目』だ。 「バスなら間違いようがないだろ、ちくしょうとんだ時間を食っちまった」  いまいましげに独り言ち、彼は駅まで戻った。  駅前でバスを待っていると、十五分ほどで目当ての車輌が来た。  バスの乗車時間は、不動産屋の説明通りなら十分かからないはずだ。  車内案内を聞き逃すまいと、彼は集中してアナウンスを聞き続けた。  しかし十分どころか十五分、二十分乗っても、覚えていたバス停の名がコールされることはなかった。  そうして三十分近く走った頃、バスは終点へと着いた。  彼は料金を支払い、降りる際に運転手に尋ねた。 「すいませんがこのバスの路線に、『○○六丁目』という停留所はありましたか。どうやら聞き逃して降り損ねたみたいで」  それに対して運転手は、瞬時も躊躇うことなく答える。 「そんなところはないよ、乗るバスを間違ったんじゃないんですか」 「えっ、そんなはずは――」  呆然としている彼を可哀想に思ったのか、続けて声を掛けてくれる。 「戻るんならこのまま乗ってて良いよ、十分もすれば出発するから。帰りの運賃も特別ただにしてあげる。ほんとは規則違反だけどさ」  五十絡みの気のよさそうな運転手が、笑顔でそういう。 「ああ、はい。お言葉に甘えさせていただきます」  ここで降りても仕方のない彼は、うな垂れたままバスの最後部座席に坐った。  運転手の言うとおり、しばらくすると元来たルートをバスが戻ってゆく。 〝いったいどうなってんだよ。おかしいじゃないか、単純な道のはずだろ。どうなってる、どうなってる〟  トラックのクラクションを聞いて以来感じていた違和感が、ここに来て急速に増大してゆく。 〝俺のアパートは、どこにあるんだ〟  彼の頭の中は得体の知れない(もや)がかかったようになり、パニックを起こしかけていた。
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