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 元の駅前に降りた彼はスマホを取り出し、引越し業者へと電話を入れた。  T市で別れてから、すでに四時間近くが経過している。  電話はすぐに繋がった。 「あ、石上さんですか、今どこなんです。もうとっくに荷物は運び込みましたよ」  少し苛々とした口調だった。 「すいません、二時間以上前に最寄り駅に着いたんですけど、どうしてもアパートが見つからなくて」  そこまで話したところで、電話口の声が変わった。 「もしもし、不動産会社のAです。いつまで待たせるんですか、引越し業者も次の約束があるらしいので、これで返しますよ。いいですか!」  強い口調でそう言われ、彼はそれでいいですと返事をするしかなかった。  その後で、A氏へアパートの場所がわからない旨を詳しく伝えた。 「そんな馬鹿な話はないですよ、あなた相当な方向音痴なんですね」  呆れたような声が返ってくる。 「わかりました、わたしもいつまでもここには居られないんで、車で駅前まで迎えに行きましょう。すぐに着きますんで、西口から出てすぐの信号の所で待っていてください。お願いしますよ」  A氏の嫌味が込もった言い方に〝カチン〟ときたが、状況を考えると仕方がないと諦めるしかない。 「わかりました、お願いします」  彼は怒りを抑え、小さな声でそう返事をする。  バス停のあるロータリーから高架下出入口の脇に、確かに信号が見える。  彼は指示通りに、そこで車が来るのを待った。  しかしいくら待っても、迎えの車は来ない。  二十分もした頃、スマホが鳴った。 「いい加減にしてください、どこに居るんですか。信号の所で待っているように言ったはずですよ、早く来て下さい」  いきなりA氏の怒鳴り声が聞こえて来た。 「なんなんですかその言い方は、わたしはちゃんと信号の脇に立ってるよ。あなたこそちゃんと来てるのか、車なんかどこにも停まってないぞ」  彼も感情的になり、そう怒鳴り返す。 「言ってる意味がわからない、こっちは十分以上前から信号の先で待ってるんだよ。駅の階段の脇だ、屁理屈言わずに早く来てくれ」 「だから言ってるだろ、俺も始めからそこで待ってるって。あんたも会社の車も、影も形もない。そっちこそ場所を間違えてるんじゃないか」  しばしトゲのある不毛な会話が続く。  そこで彼は思いついた。 「それなら写メを撮ってメールしようじゃないか。そっちも送ってくれ」  憤りを抑え彼は駅から降りてきた出入口上に書かれている、『M親水公園駅西口』の文字が見えるように自分の姿も写し込んだ写真を撮って、ショートメールを送信した。  間を置かず彼のスマホにも、写メ付きのメールが届いた。  自分が送った構図とほぼ同じ角度で、見覚えのあるA氏の顔と駅名が写っている。  お互いそれを確認したあと、これがどういう状態なのか理解しようと努めた。  どちらも同じ時間に、同じ場所に居る事には間違いない。  なのに、その姿を見ることが出来ない。  彼の頭は混乱の極みに達し、漠然とした違和感がいまや完全なパニック状態へと変化していた。 「うーん、不思議だがどうにもなりませんね。とにかく次の仕事がありますんで、わたしはこれで引き揚げます。石上さん、あなたは自力でアパートまで行ってください。鍵は閉めてありますんで、ご安心を」  それだけ言うと、A氏は一方的に電話を切った。  その後なん度も電話をかけたが、着信拒否にでもしてあるのか繋がることはなかった。  彼は見知らぬ外国にひとり置き去りにされたかのような、うら寒い孤独感を味わっていた。
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