月、仰す

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  月、仰す

 寝殿より地続きとなっている濡れ縁に腰を下ろし、ぼんやりと夜空を眺めていた月弓(つくゆみ)は「なんとまあ、面倒なことになった」とぽつり溢した。  物憂げにしてみせる月弓を、傍らに座していた瀬織津(せおりつ)姫が物言いたげにじとりと見つめている。  降りそそぐ流星は次々と音もなく砕け、宙にしだれ木を描いている。  縁の下でゆらゆら波うつは天の川。  その波に揺られながら、夜の眷属たちは船楽をゆるりと楽しむ。音色を背景に、対屋では貝合わせや和歌に励むものもいる。  夜輝溢るる此処は天上、夜の食国(おすくに)。  月弓こと月読命(つくよみのみこと)の神域である。  星屑が月弓の手のひらへ落ち、雪のように解けた。  流る星は儚い。人の生に例うほどに。或いは、神々の空疎な(えにし)の如く。  手のひらを見つめながら月弓は「あの姫の様子は?」と問うた。 「惚けた様子で赤子を見つめておりましたよ。よそ子を見るような瞳で。一切を忘しておりますもの、当然です」 「赤子を此処に置いてはおけぬ」  仰ると思いました、と瀬織津姫が肩をすくめる。  瀬織津姫はあの姫に同情的だ。我が子を抱く感慨すら奪われ、なんと憐れ。そもそもあの姫を断罪したことすら、天津神らの傲慢だと思っている。  対して月弓は合理的で、己が務めを能率的に果たす。神々の調和の為には、多少の犠牲や詭弁は仕方がないと思っているのだ。  天津と国津の諍いごとはいつの世も絶えず、見かねた天照大御神は神々の協調、調和の役目を月弓に任せた。訳あって此処に身を置く瀬織津姫と共に、何か事が起こるたび両者の落としどころを探り、仲介してきた。  今回も例に漏れず間に入ったが──とした姫が、まさか子を身籠り戻るとは。それも、人の世で。 「人間を天には置けぬ。あの姫を育てた人間がいたろう。そうだ、そやつらに渡すがよい」 「赤子は半神でございますが。いくら天津神らの顔を立てろと申しましても、既に姫の禊は終わっておりますし、これ以上は大山津見神も我慢ならないでしょう」 「しかしその赤子は新たな諍いの種となるぞ」  瀬織津姫は再びじとりと月弓を見た。そしていかにもわざとらしく頬に手を添え、月弓さまはやはり天津寄りのお考えでございますねと小首を傾げる。些か咎める含みに、月弓は目を眇め瀬織津姫を見遣り、唇の片端を持ち上げた。そういうそなたは国津寄りだろうて、と皮肉めいた口調で返す。 「よいか、これはにするほうが賢明。天と地の安寧のためよ」  あら、安寧などいつありましたでしょう、と言う瀬織津姫の言葉を、月弓は聞こえないふりをした。
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