一 かぐや姫の娘

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 若草色の袿へ袖を通し、嫗が懸帯を締める。  袖口や裾から覗く桃花色の単が、色名のとおり花のよう。腕を持ち上げ袖を眺め、千古は頬を綻ばせる。翁媼が用意してくれた壺装束が、心を幾許か慰めてくれた。  日は瞬く間に過ぎ──今日が都へ発つ日。  身支度を整え、翁媼に連れられて屋敷の表へ出ると、既に何頭もの駄馬へと荷物は載せ終わっていた。外郭に沿って見送りの下人たちが並び、門前には迎えの紫の糸毛車が停められている。  いよいよ、と千古は実感した。僅かに緊張を帯び、笠を持っていた両手に力がこもる。 「身体に気をつけるんだぞ」「着いたら文をちょうだいね」と口々に言う翁媼に、お二人もお身体に気をつけて、と手短に返す。あまり長く別れを惜しむと、涙が零れてしまいそうであったから。  二人と屋敷に背を向け、糸毛車へ向き直る。  糸毛車の周りには、何人もの随身。そのなかでも一際目を引く青い狩衣が視界に入り、千古ははたとその人物に見入った。  はっとするほどの長身。誰もが振り返る精悍な顔つき。けれど伏せがちで涼しげな目元が、なんとも儚げで。その姿は、朝露に濡れる露草を思い浮かべる。  あまりの稀男ぶりに、若い下女たちがひそひそと色めきだっているのが分かる。千古も、まるで絵巻から飛び出してきた貴公子のようだと、目を奪われてしまった。  ぱちりと、二人の視線が交わる。見つめ合ったまま男はおもむろに千古へと近づいてきて、口を開いた。 「蔵人所陰陽師、月見山(やまなしの)結々周(ゆゆちか)と申します。帝の命により、お迎えに上がりました」  肩書きを聞き、千古は分かりやすくぎょっとした。彼は帝専属の陰陽師。つまるところ、陰陽師の頂。  陰陽師といえば占筮だけではなく、様々な学問に通じているときく。その頂点ともなれば、彼はとても博識な人物に違いない。何故そのようなかたが自分の迎えに、と訝ると同時に、色々とお話を伺ってみたい、と千古の好奇心が駆り立てられた。  けれど先ほどから視線を送られ続け、たじろぐ。本当にかぐや姫の娘なのか、と疑われているのだろうか。面映く思って、話を繋げることも叶わず、目を伏せてしまった。  伏せていた目線の先に、手が差し出される。糸毛車までのこの短い距離を、送り届けるつもりらしい。千古は躊躇いながらも、そっと、手を重ねる。 「扇子や被衣はお持ちですか?」 「都に着いたら、歩く際はこの市女笠を被るつもりではおりますが」  千古が持つ笠はふちに枲の垂れ衣があるものだ。几帳のように、すっぽりと千古を覆い隠してくれる。それを確認した結々周は、そうしたほうがよろしいかと、と頷く。 「高貴な女性は、身内の者以外に顔を見せるものではありませんから」 「そのようですね。ですが……私は貴族ではございませんし」 「これからあなたは宮仕えをされる。簡単に素顔を見せては貞節に関わります。それに」  糸毛車の目の前まで来たが、一向に握られた手が離れない。  戸惑いながらゆっくりと視線を持ち上げると、変わらず結々周は千古を見つめていた。 「そのように無防備な美しさを晒しては、かぐや姫の二の舞となりましょう」  言葉を失う。  ようやっと手が離れ、糸毛車へと乗るよう促される。  暫し茫然と握られていた手を見つめ──爪が食い込むほどに、きつく握った。遅れてようやく、千古の中でが駆け巡っていったからだ。  ──なんて、なんて意地悪なかたなの! 私が美しくないのは見て明らかなのに、わざわざそんな言い方をなさるなんて。  近くに控えたままでいた結々周を()め付けると、はっきりとした声音で、千古は言い放った。 「かぐや姫の二の舞と仰るなら、既に晒されたあなたこそ、いずれ身を滅ぼすこととなるのでしょうね」  結々周は驚いたように目を見開く。  千古の冷やかな視線に何を思ったか、やがて表情を柔らげると「そうなる予感がいたします」と、緩やかに唇を弧にする。  千古はつんと顔を逸らし、糸毛車へ乗り込んだ。握り拳を作ったまま、結々周の言葉を反芻する。そうなる予感、お次はどういう当て言か。見た目の美しさに反して、なんとまあ嫌味な男。  しかし──他者にとって自分が『かぐや姫の娘』である限り、このさき都で、宮中で、幾度も同じような出来事があるのかもしれない。  ──先が、思いやられる。  悩ましい千古を乗せ、糸毛車は西の都を目指す。  そこで何が待ち受けているのか、分からぬままに。
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