伸明 38

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ユリコ…  藤原ユリコ…  私の宿敵(苦笑)…  そして、ナオキの前妻…  また、ジュン君の母親…  私をクルマで、ひき殺そうとしたジュン君の母親だ…  思いがけない名前が、出て、驚いたが、さもありなんと、思った…  ここで、名前が出るとは、予想が、できなかったが、さりとて、名前で出ても、驚くことも、なかった…  あのユリコだ…  どこで、なにをしているか?  わかったものでは、ないからだ(爆笑)…  だから、驚かなかった…  すると、和子が、  「…あの藤原ユリコさん…以前、私から、安値で、株を買わされたのが、悔しくて、仕方がないみたい…」  と、笑った…  私は、それを、聞いて、以前、あのユリコが、五井の株を買い占めたのを思い出した…  五井のグループ企業の株を買い占めて、このユリコに、高値で、買い戻させようとしたのを、思い出した…  が、  この和子は、ユリコの言い値に、従わなかった…  ユリコの言い値を無視した…  ユリコが、手に入れた五井の関連企業の株を3倍で、引き取らせようとすると、この和子が、2倍で、引き取ると、言った…  そして、ユリコの背後に誰がいるか?  たしか、ヤクザの高尾組とか、いう名前を口にした…  高尾組は、経済ヤクザ…  その高尾組を出資者として、ユリコは、五井の関連企業の株を買ったらしい…  そして、当たり前だが、その高尾組にユリコは、儲けさせなければ、ならないし、借金なのだから、いついつまでに、ユリコは、高尾組に、借金を返済しなければ、ならない…  その情報を、この和子は、どこからか、掴んで、ユリコに言った…  ユリコの弱みを暴露した…  結果、ユリコは、屈服した…  和子に屈服した…  きっと、それが、悔しくて、仕方がなかったに違いない…  プライドの高いユリコのことだ…  自分が、負けたことが、悔しくて、仕方がなかったに、違いなかった…  私は、今、それを、思い出していた…  「…それで、アナタのお父様に、目をつけた…」  ユリコが、説明する…  「…アナタのお父様は、藤原さんの提案に飛びついた…うまくいけば、架空の投資話に乗って、減らしたお金も、取り戻すことができると、踏んだ…だから、乗った…」  「…」  「…でしょ?…」  和子が、説明する…  長井さんは、その説明に、ぐうの音も出ない様子だった…  ただ、悔しそうな目で、和子を睨みつけていた…  「…でしょ?…」  和子が、もう一度、繰り返した…  が、  長井さんは、なにも、言わなかった…  「…」  と、黙っていた…  すると、突然、和子の怒りが爆発した…  「…さっさと、答えなさい!…」  と、大声で、長井さんを叱った…  それまでの大人の対応が、ウソのように、激しく、叱った…  途端に、長井さんが、ビクッとした…  明らかに、動揺した…  そして、それまで、和子を睨んでいたのが、ウソのように、  「…その通りです…」  と、小さな声で、答えた…  か弱い声で、答えた…  目には、うっすらと、涙が、流れ出していた…  明らかに、役者が違った…  大学を出たばかりの若い女と、その父親をはるかに、超える年齢の女…  五井の分家の娘と、五井の女帝…  その差だった…  あるいは、  人生経験の差…  くぐってきた修羅場の差…  かも、しれない…  この和子が五井の女帝と呼ばれ、五井を仕切ってきた…  先代の五井家当主、諏訪野建造を支えてきた…  その経験が、差を作る…  埋めようのない差を作る…  そういうことかもしれない…  私は、思った…  私は、考えた…  すると、  「…アナタの陰には、あのユリコがいる…」  と、ゆっくりと、和子が言った…  「…藤原ナオキさんの元の妻がいる…」  和子が、予想外のことを、言った…  すでに、私は、当然、知っていたが、予想外のことを、言った…  なぜなら、なぜ、このタイミングで、ナオキの名前が出るのか?  わけがわからなかったからだ…  「…あのユリコ…藤原ナオキに、必死になって、接触を試みた…」  「…エッ?…」  思わず、声に出してしまった…  いけないと、わかっていても、つい、声に出してしまった…  我ながら、大人げない…  が、  和子は、私を叱責することなく、私を笑って見た…  「…寿さんが、驚くのも、無理はない…」  楽しそうに、笑いながら、私を見た…  そして、  「…だから、藤原さんは、逮捕された…」  と、続けた…  「…エッ?…逮捕?…」  と、またも、声に出してしまった…  すると、今度は、私ではなく、長井さんが、  「…どういう意味ですか?…」  と、聞いた…  和子に聞いた…  「…五井は、警察を退職した人間を数多く、受け入れてます…」  和子が、説明する…  「…いわゆる、天下りね…警察庁を定年退職したお偉いさん…例えば、警視総監だったり、神奈川県警のトップの本部長だったりした人間…そんなお偉いさんを、五井の各企業の顧問として、迎えている…」  「…」  「…当然、その見返りはある…」  「…どういう見返りですか?…」  と、長井さん…  「…例えば、誰かが、逮捕されたりするのを、事前に知ることができる…」  「…どうして、できるんですか?…」  「…警察のつながりよ…」  「…つながり?…」  「…警察のお偉いさんも、いずれは、定年退職する…だから、天下り先を確保しなければ、ならない…それで、すでに、天下りをした退職者と、つながっている…情報を提供してくれる…」  「…」  「…藤原ナオキは、そのリストに上がっていた…だから、こちらから、天下りした退職者の方を通じて、逮捕させた…あのユリコが、接触できないようにした…」  「…」  「…そして、同じく、脱税の疑いで、逮捕されるかも、しれないと、懸念があった、伸明は、すみやかに、追徴課税を払って、難を逃れた…世の中、そういうものよ…」  和子が、笑いながら、説明する…  私は、その内訳を知って、仰天した…  まさか…  まさか、ユリコが、ナオキの逮捕に関係しているとは、思わなかった…  直接、関係しているわけでは、なかったが、ナオキの逮捕に、ユリコが、関係しているとは、夢にも、思わなかった…  だから、唖然とした…  唖然として、和子を見た…  すると、当然、和子も私の視線に気づいた…  「…寿さん、驚いたようね…」  「…ハイ…驚きました…」  「…寿さんは、あのユリコと仲が悪いですものね…」  和子が笑った…  実に、楽しそうに、笑った…  それを、見て、私は、あらためて、この和子は、見抜いている…  全部を見抜いていると、思った…  私のことを、全部、見抜いていると、思った…  私とナオキの仲…  私と、ユリコの仲を見抜いていると、思った…  そして、それを、思うと、あらためて、役者の差を思った…  長井さんと、和子の役者の差ではない…  この私、寿綾乃と、和子の役者の差だ…  あまりに大きな差…  仮に、私が、和子の年齢に達しても、和子のようには、なれまい…  地位がひとを作るというが、私が、これまで、経験したのは、FK興産のみ…  もちろん、若いときには、他で、バイトをした経験はある…  他で、働いた経験はある…  しかしながら、従業員を千人も擁するような、会社で、社長秘書として、働いた経験はない…  しかも、FK興産を創業以来、私は、社長のナオキのそばにいた…  身近で、ナオキを支えてきた…  要するに、従業員が、片手の指で、足りるぐらい少なかった時代から、千人を擁する企業になるまで、ナオキを支えてきた…  これは、人間でいえば、赤ちゃん…  生まれたときから、成人するまで、間近で、見守ってきたとも、言える…  だから、文字通り、愛着があるし、ハッキリ言って、ナオキの右腕として、FK興産をここまで、大きくした自負がある…  が、  しかしながら、所詮は、従業員千人程度の会社…  この和子のように、四百年も続く老舗企業ではない…  たかだか、創業十五年程度の会社…  おまけに五井は、五井グループの従業員全員の数は、数十万に達するに、違いない…  FK興産と比べるまでもない、大企業…  そんな大企業を仕切る和子と、私とでは、比べるまでもない…  仕切る人間の数が、全然、違うのだ…  だから、当然、気苦労もまた、私の比ではあるまい…  この寿綾乃の比では、あるまい…  そして、その気苦労が、ひとを育てる…  ひとの器を大きくする…  その結果、誰にも、引けを取らない人間を作る…  どこに出しても、おかしくない人間を作る…  そういうことだ…  そして、私が、そんなことを、考えていると、  「…リンと接触したのも、あのユリコの命令ね…」  と、和子が言った…  が、  長井さんは、  「…」  と、黙ったまま、答えなかった…  うんともすんとも、答えなかった…  すると、またも、和子の怒りが爆発した…  「…聞かれたことには、さっさと、答えなさい!…」  と、怒鳴った…  途端に、長井さんが、蚊の鳴くような声で、  「…そうです…」  と、答えた…  それを、聞いて、和子は、納得したようだ…  私を見て、ニコッと、笑いかけた…  それから、  「…女の恨みは、怖いものね…」  と、笑った…  「…あのユリコさん…私に株を安く買い叩かれたことを、まだ根に持っているみたい…」  と、言って、笑った…  「…怖い…怖い…まだ、根に持っている… 女は、怖い…執念深くて、怖い…」  と、言って、自分のカラダを手で抱いて、おおげさに、震える姿を見せた…  それから、すぐに、真顔になって、  「…でも、それでは、ダメよ…」  と、言った…  私は、つい、  「…どうして、ダメなんですか?…」  と、聞いてしまった…  「…過去は、過去…いつまでも、ひとつの過去に縛られていちゃダメ…過去にとらわれていては、ダメ…」  和子が、答える…  それから、長井さんに向かって、  「…それは、アナタも同じ…」  と、言った…  「…どう、同じなんですか?…」  「…アナタが、お金持ちだったのは、過去の話…アナタは、もはや、一般人…お金持ちでも、なんでもない…」  と、和子が、冷徹に告げた…  その途端、長井さんは、号泣した…                <続く>
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