こっけん、こっけん。

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 ***  そんな話を聞いてしまったせいか、私はそれ以来音楽室のピアノがどうしても気になるようになってしまった。  この学校にはなんとグランドピアノが二つある。第一音楽室にあるピアノは比較的新しいのだが、第二音楽室のピアノはかなりの年代物。それでなんとなく、私は第二音楽室のピアノの方が怪談の主役だったのだろうなと思っていたのである。  実際、第二音楽室のピアノが使われているところを私は一度も見たことがなかった。  音楽の授業は基本的に第一音楽室でやるし、第二音楽室では金管バンドの練習をするけれどピアノを演奏することはない。たまーにパーカッションパートがピアノを担当することもあるのだが、その時は準備室からもっと小型のキーボードを出してきて弾くのでやっぱり出番がないのである。 ――そもそも、音出るのかな。  ある日、私はみんなが帰った後で、第二音楽室のピアノにこっそり触ってみることにしたのだ。蓋が少し怖かったので、左手で蓋を持ち上げながら右手でちょっとだけ鍵盤を触ってみることにする。案の定埃まみれで、ろくに手入れされていないのは明白だった。調律もちゃんとされていないのか、音の調子もやや狂っているような気がする。  せっかくのグランドピアノなのに、なんだか可哀想。少し同情した時、ふとあることに気付いたのだった。 「あれ?」  ドの♯(レの♭とも言う)にあたる部分の黒鍵が、引っ込んでしまっているのである。こういう現象はたまに見たことがある。白鍵と違い、ぴょこんと飛び出しているのが黒鍵だ。それがなんらかの不具合で押されたまま戻らなくなってしまう状態である。強く弾きすぎたりとか、あるいはちょっとした故障で起きると知っている。 ――変だな。あの黒鍵、最初からひっこんでたっけ?  それは、私が触っていない鍵だった。それとも、最初から引っ込んだままだったのに、気づかなかっただけなのだろうか。  このままにしておくのは忍びないと、私は黒鍵を引っ張って元に戻した。少し硬い気がしたが、古い鍵盤ならば致し方ないことだろう。  やっぱり手入れしてもらうように、先生に言った方がいいだろうか。その日はそんなことを思いながら蓋をしめて、第二音楽室を後にしたのだった。  それからというもの、なんとなくみんなが見ていないところで第二音楽室のグランドピアノを触る湯尾になった私。そしてそのたび、同じ位置のドの♯の黒鍵が引っ込んでいることに気付くのだ。  まるで誰かが、あの黒々とした鍵だけを力任せに押し込んで、そのまま放置して帰っているようだ。なんだか気分が悪いなと感じた。それこそ私みたいにこっそりピアノを触っている人間でもいなければ気づきもしない悪戯だというのに。 ――なんか、変だ。  おかしい。  そう気づくまで、しばし時間を要した。最初にピアノを触ってから半月ほど過ぎた頃のこと。  いつものように黒鍵を引っ張って戻そうとするものの、妙に鍵盤が固くて引っ張れないのだ。というより、私が黒鍵を戻すたび、鍵盤が固くなっているような気がするのである。  そんなに壊れてしまっているのだろうか。ぐいぐいと力任せに鍵を指でつまみ、引っ張っていた時だ。 「!?」  ぞわり、と背筋が泡立った。私が少しだけ戻した黒鍵が、また奥に引っ込んでいく。まるでピアノの中に吸い込まれていっているように――否。  思い違いをしていたのかもしれない。ずっと、誰かが黒鍵を押し込む悪戯をしているのかと思っていたが、本当は。  本当は――ピアノの中から、誰かが黒鍵を引っ張っていたのではないか。 「だ、誰?」  何かがいる。  私は何故か、強くそう確信していた。だから尋ねた。 「誰?そこにいるのは……」  にゅるん。  黒鍵を引っ張る私の指に、何かが絡みついた。黒鍵と白鍵の僅かなスキマから、不自然に飛び出してきた白い棒のようなもの。その隙間に、本来絶対通るはずがないもの。  五本の指が、私の指に触れて、そして。 『ワタシノ ピアノ ヨ』  すぐ耳元で声がした。  私は絶叫して――そのまま転がるようにして第二音楽室を飛び出したのだ。
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