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進路を決めることができずにいた黒崎だが、転機が訪れたのが学園祭だった。
今年は何をやるのか。
自主性のないクラスでは担任の教師が決めたりしていたが、黒崎のクラスはみんなで話し合って喫茶店をやることになった。
「何ならコンセプトカフェをやってみる?」
「メイド喫茶とか?」
「それはイヤ」
クラスの女子が一斉に反対した。
「なら、執事カフェ?」
「みんなでスーツを着てもてなす?」
高校三年の秋にもなると、進学や就職に備えてリクルートスーツを購入している生徒が何人かいた。下手なコスプレをするより敷居が低いこともあって、スーツを着ての接客は概ね好意的に受け入れられた。
「なんかお洒落な感じのカフェになりそうだな」
「飲み物にもこだわってみる?」
黒崎の右隣りの席には三井遼平という男がいた。サッカー部のレギュラーでフォワードを担当しており、女子にはちょっとした人気があった。黒崎と三井は高校一年のときに知り合い、一緒にカラオケに行く仲になっていた。
「こだわるって、どうやって?」
「ドリンクバーだよ」
二人がよく利用するカラオケとファミレスにはセルフのドリンクバーコーナーが設置されていた。三井のアイデアはそのドリンクバーをセルフではなく接客で行なうというものだった。
「トニックウォーターを仕入れるか」
キニーネと香料の入った炭酸飲料水をトニックウォーターという。普通の炭酸水と違って独特の苦みがあり、ラムネやサイダーほど甘くない。二人はカラオケのドリンクバーでトニックウォーターの存在を知り、そのときから他のドリンクと混ぜて愛飲していた。
「カルピスがあれば、オレンジジュースやリンゴジュースと混ぜることができるな」
「混ぜるのなら、いっそのことシェイカーを使ってみる?」
二人の会話に割り込んできたのは、黒崎の前の席の菊池勝巳だった。クラスのムードメーカーである。夕方のホームルームの時間は、さっさと帰宅したい菊池と学校からの連絡事項をじっくりと伝えたい担任教師のやり取りがいつも面白く、楽しい時間になっていた。
「スーツ姿でシェイカーか。バーテンダーみたいだな」
未成年である三人はもちろん本物のバーに行ったことはない。居酒屋なら子連れでの入店を許可しているところもあって、行ったことがある者もいたが、それは三人がイメージするオーセンティックバーとは似ても似つかぬ空間だった。
「シェイカーを買ってきて振ってみようぜ」
アルコールやタバコには興味はない。どのようなものが提供されているのかも見当がつかない。だけど、漫画やドラマの舞台として登場するバーにはみんな興味があった。
「じゃあ、今度の日曜にホームセンターにシェイカーを探しに行こうぜ」
「了解」
「いいね」
学園祭の催し物は決まった。
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