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勤め先である町奉行所に数馬が到着すると、そこにはすでに上役の片倉の姿があった。
「──これは片倉さま。遅くなり大変申し訳ございません!」
数馬は慌てて片倉に近づきながら頭を下げると、謝罪の言葉を口にする。
まさか奉行所への到着が片倉よりも遅くなるとは思っていなかった。これでも早く顔を出したつもりだったのだ。
「よいのだよいのだ。私が早すぎただけなのだからな」
「……はあ、ですが」
全身から冷や汗が吹き出てしまう。頭を下げながら、数馬は片倉からの叱責を覚悟していた。
しかし、片倉はそんな数馬の心の内を見透かしているのか、穏やかな声で顔を上げるように言ってきた。
「年寄りはどうにも早起きをしてしまうのだ。なにも気にすることはない」
数馬が恐る恐る顔を上げると、けらけらと明るく笑っている片倉と目が合った。
数馬が豊島家の家督を継いだのは昨年のことだ。
義父は数馬を豊島家に迎え入れると、すぐに自身の後継者に指名した。幕府から正式に数馬が豊島家の後継と認められると、足腰の弱っていた義父は早々に隠居をしてしまった。
数馬は婿入りから息をつく暇もなく義父の役職を継ぎ、片倉の補佐をすることになった。
「小雪殿は臨月だろう? お前は身重の妻が心配でたまらないのだろうなあ」
冷汗をかいて怯えている数馬を安心させるように、片倉は優しく声をかけてくる。
豊島家の婿養子となり、何もかもが手探り状態の数馬にとって救いだったのは、こうして片倉が温かく受け入れてくれたことだった。
片倉は義父が後継と認めたのであれば信頼に足ると、勤めに慣れず四苦八苦している数馬を大らかに見守ってくれている。
そんな片倉に失望されることだけは避けたい。数馬はその気持ちを強く胸に抱いて日々の勤めに向き合っている。
「こうして勤めにやってくることですら後ろ髪を引かれる思いだというのはわかっているぞ。おおかた小雪殿が心配でなかなか家を出られなかったのであろう?」
「……さすが片倉さま。すべてお見通しでございますね」
数馬は愛想笑いを浮かべながら、心にもないことを口にした。
片倉に嘘はつきたくないが、がっかりされることは嫌で妻の身を案じる殊勝な夫のふりをしてしまった。
たしかに、数馬は身重の小雪のことを心配している。だが、それは数馬が婿として豊島家の後継を作るという役割を果たせるのかを案じているのであって、妻を労わってのことではない。
「私が無理を言って此度の巡回にはお前を連れて行くと決めたのだ。もうすぐ子が産まれるというのにすまなかった。そばを離れるのはさぞかし辛い思いをさせているのだろうな」
「いえいえ、お気になさらないでくださいませ」
片倉があまりにすまなそうに言うので、数馬は慌てて手を横に振った。
「片倉さまのお供させていただけて私は光栄でございます。それに、予定通りにこちらに戻って来られるのであれば、出産には間に合うだろうと言われておりますので」
「……順調にいけば、な」
片倉が珍しく渋い顔をしてぼやいた。
その様子を怪訝に思った数馬は、片倉にどういうことかと尋ねようとした。だが、話し込む二人の元へ奉行所の者たちが集って来たため、質問をすることができなくなってしまった。
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