満たされない溝

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満たされない溝

 新しいバイト先は、自宅の最寄駅から数駅先の町中にある飲食店の皿洗い。  面接時にホールでとお願いされたけど...  基本的には、皿洗いで混んでいるときのみホールの接客業を、了承してくれた。  陰キャ...って言えば、そう見える部類なのかも知れないとは、自覚はしている。  でも人前に立つは、平気だし。  寧ろ。人の行動や動き? って言うのか、そう言う流れを見るのは好きだったりする。  少し前まで付き合っていた…カレのお店で、たまに頼まれる店番。  カウンターとレジ越しの席から丁度、近くの交差点が見えて街行く人の流れを、目にする機会があった。  人の流れには、ハッとさせられる事が多い。  人通りの多い交差点だからと、待ち合わせ場所にって選ぶ人を、よく見掛けたり。  待ち合わせの時間よりも早く来すぎたのか...  それとも、わざと早く来て相手を待って居るのか…  不安そうな顔を隠したり。  ニコニコ顔だったり。   待つ人は、様々。  スマホで、時間を確認し。  少し落ち着かない表情を繰り返していたりと…  慌てるように走ってくる人に、安堵した表情には、こちらも温かい笑顔になれるそんな気がした。  『何してんの?』  店の奥から顔を出したカレの顔が、思った位置よりも近くにあって、かなりびっくりした。  『何でもないよ…』  『あっそ…』  フワッと香る。女物の甘くて優しい香水。  またか…  アイツは、店への出入りは裏口しか使わない。  用があると、いつの間にかに出て行き。  用が、終るといつの間にかに戻ってきて店の奥の作業場で、シルバーアクセの試作品やらデザインをスケッチしている。  『…じゃ僕。帰るね』  『えっ…もう? 早くねぇ? オレ来たばっかりなんだけど……』  毎回、僕がそう言うとアイツは、 微妙に寂しそうな顔をした。  『午後から講義が、あるから。それにバイトもあるし…』  『そうだっけ? 何かゴメン…忙しいのに、朝から店番なんって頼んで…』  『別に店番って言っても、電話の応対やネット注文を、印刷して出しておくぐらいだもん…』  『凄く助かってる。でさぁ…今度、前に……』  『後。バイトは、夕方から深夜近くまであるから。僕の事は気にしないで、心配してるとかの連絡もいらないし…』  言葉を遮られた事には、気付いているだろう。  それでも、何も言い返さないのは、都合が悪いから。  『いつものレモングラスのお茶作って、店と部屋の冷蔵庫に入れといたから』  『部屋に行ったの?』  『行ったけど? 何?』  『別に…』  『朝…店番のお願いされる前に立ち寄った。居るかなぁ…って…』  何って言ったけど、実際は合鍵を渡されていたし。   部屋の前に行けば、不在かどうかは雰囲気で分かった。  だから。  レジカウンターにわざと、その合鍵を、置いて店を出た。  こうやって、何度か別れようとしたけれど、僕が店に行ったり。    アサキの方が、僕のバイト先に現れたりで、別れられないでいた。  今度は、どちらがしびれを切らす番か…  なんって思っているうちは、まだ可愛いとか、その頃の僕は、本気で考えてた。  店の外に出て、勢いよく息を吐き出し大きく息を吸込む。  少し香水臭かった。  いつになったら。  こう言う香りが、ダメなんだって覚えてくれるのか? くれないのか?    何度言っても、何も変わらない。  僕は、アサキにとって、それぐらいの存在でしかないのかも知れない。  期待なんってしたくないのに、 あんなヤツに期待してしまうのは、嫌いになれないから..  いや。  そんな単純なものじゃない。  好きだけど…  好きな人のアラとか、嫌な所をわざと見付けようと、躍起になる自分が嫌だった。   煽るような事も、させたくない。  アサキは、いいヤツだ。  僕を試すけど、けして疑ったりしない。  そして僕は、未練がましくアイツにすがろうとする。  早く別れなくちゃ...  僕も、アイツも傷つく前に…  セリが、また合鍵を置いていった。    お前のだって、ちゃんと持ってろって…  何回も、言っているのに合鍵に付けたシルバーアクセの飾りは、俺がセリのためにと作った自信作のつもりだった。  今までもにも、付き合ってきたヤツには、かなりマメにプレゼントをしてきた。  それなりに皆、喜んでくれていたと思う。  次に会う時に、身に付けてくれたり。  メッセージをくれたり。  その場で、付けるとろを見せてくれたり。  作って、良かった。  贈って、良かったって思えることが、幸せで…  でも、アイツは違った。  合鍵に付けて渡した時も、反応は、微妙で喜んでる風には見えなくて…  口喧嘩になった。  ……で、俺の態度も悪かったと思 う。   そんで言い合いになって、思わず。  『……じゃ、なんで俺ら付き合っ てんの? 付き合ってる意味なんって、ないだろ...』  そう怒り任せで出た言葉にアイツは、静かに 『分かった。別れよう』って言って、俺の部屋を出て 行こうとした。    えっ。  ちょっと待って、こんなんで出てくとか…  俺に対する未練なさ過ぎじゃねぇ? 俺の中では、最初から別れる気なんって一切無くて、頭が真っ白で、マジで出ていこうするアイツの腕をギュッと掴んだ。  『…嘘…別れたいとか、思ってない。言い過ぎた。ゴメン……』  何があっても、セリとは別れたくない。  そんな想いが、手首を掴む強さに比例したみたいにアイツは、痛がる素振りを見せてきた。  『そう。分かった。でも、僕この後用事があるから。行くね…』  俺が、緩めた手から振り払われたセリの腕を、もう一度掴む事も、そのまま抱き寄せる事だって出来たはずだ。  俺は、スッと通り抜けてくアイツの姿を引き留められなかった。  その出来事が、あってからだ。   会う度にってのは、大袈裟だけどアイツにはどうしても、シルバーアクセを身に付けて欲しくて、仕事の合間に作り続けた。  綺麗に磨き上げて、キズが付かないように、どの品物より丁寧に優しく布に包んで、その上から特注したベルベットの小袋に入れて渡した。  …で、俺の期待は一度も叶うことなく。  アイツは、シルバーアクセを身に着けてはくれなかった。  たまに勿体無くて、着けられないからと、バックやポケットに入れてるなんってコも、今までに居たけど...  持っていそうな素振りもない。   元々、アクセとか身に付けないって言ってたし。  もしかして... 家に置いてあるとか?  バイトが、飲食店だから着けられないとか?   無くしたりすると嫌だからとか?  それならと、飲食店のバイトと大学の講義の合間にと店番を頼んだ...  独自のブランドで働くショップ店員は、そのブランドを身に付けるってっ事を、狙った訳じゃないないけど、セリは相変わらず。飾りっ気なんってなくて…  俺のプレゼントは、ただの自己満でアイツに対する自己顕示欲みたいなものだと、他人から指摘された時に俺は、その他人に耳をかさなかった。  その言葉でさえも、良いように解釈してた。  で…  アイツの意思を、考えることなく一方的に指輪を、贈ろうとした。  絶対に喜んでくれる。  笑顔で、受け取ってくれる。  そして…  突っ走った挙げ句に、あのざまだ。  そうなる前に戻りたい。  俺が、店の奥にある仕事場にいて…   フト。店の方が、気になって顔を上げると、視界にアイツが居る。  その好光景に、和らぎみたいな気持ちを抱けていた。  しかもアイツは、他の誰よりも仕事熱心で、俺が説明した商品に対する取り扱いは完璧だったし。  自分なりに調べた事を、俺に確認して説明に取り入れても良いかと、訪ねてくることも多かった。  そんなものだから。  店の常連客や俺が、扱う資材の発注業者関係の仲間内からも、その評判は良かった。  勿論。中性的な顔立ちが思いの外、目を引 いていた事もあると思うが、雰囲気も物静かで話しやすい人柄と、アイツの作るレモングラスとミントのお茶も、評判だった。  「…ってか、マズ…アンタ。ユズくんのレシピを…ちゃんと見て作ったのよね?」  「そうだけど? ユズくん?」  「弟くん。ユヅキってのが本名なんだけど…愛称でユズくんって呼んでるの…」  何度も、書かれたハーブと水の分量を通りに作っているはずが、何度試しても…   「やっぱり不味くできんだよな…」  ハナは、引きつりながら咄嗟に自前のマイボトルのお茶を飲み込んだ。  「なぁ…作った本人目の前にしてそれは、酷くねぇ?」  「マズイもんは、マズイ! もう普通のお茶を、出しなさいよね...」  「へいへい」  セリが、店番のために座っていたレジカウンター横に例の片方だけ戻ってきたピアスをケースに入れて飾った。  他のも見本って感じに、棚にディスプレイしてみた。  絶対セリに似合うであろう色の石を、ハナに相談して調達してもらったのは、言うまでもない。  一緒に居れば、アイツの耳にピアスホールが、ある事は直ぐに分かったし。たまに半透明のシリコンピアスをしていることもあったから。  穴が塞がってないことを、確信してピアスならと、一縷の望み見たいなものを、願って磨き上げたシルバーのピアスは結局、身に着けてる所を、一度も見ずに終わった。  「ってか、悪かったなぁ…こんな通勤通学の時間帯に呼び出して…」  「いや…別に…通勤通学の時間帯ってのは、正直キツイけど…急ぎの仕事なら仕方がないでしょ?」    納期を、早められないか?  そんな問い合わせを受けたのは、一週間前だった。  「土台のバックルは、仕上げてあったから。何とかなると思って居たけど…本当に悪かった。研磨作業は、神経使う作業工程なのになぁ…」  「でも、間に合ったでしょ?」  ハナは、いつもと同じ甘い香りがする外国製のタバコに火を着け煙を吐き出した。  フワリと、白い煙が立ちのぼる。  「こっちの取り急ぎって言うのが、運良く無かっただけよ…」  「そっか…」  「それに…ちゃんと生きてるか、気になるしね…」  そう言えば、以前、俺が仕事場でぶっ倒れる所を見つけてくれたんだっけ?  「あの時は、ありがとう」  「どういたしまして」  カラッと乾いた笑顔を見せる割に情が深いと言うか、ここぞと言う時にハナは、頼りになる。  「そう言えば、単位は取れてるの?」  「そこは、大丈夫」  同じ大学に通っているのに会えないのは、意図的か…  たまたまか…  何となく。講義場で遠目に見掛けたような。  見掛けたことが、ないような。  誰も、来ない隣の席とか…  ベンチとか…  一人分の空席が、どうやっても埋まらない。  「今年の夏休みは、どうするの?」  「…っなの…去年と変わんねぇーよ…仕事だよ。溜まってるの終わらせて…少しのんびりする…」  シルバーアクセサリーの職人は、小学生の頃からの夢だった。  それまで夢ってのも特になくて、趣味ってのもなくて…  実家近所に住む人達で、会社を早期退職した夫婦が、家のガレージでシルバーアクセや小物を作って販売してた。  何気に覗いたら。  キラキラ光るシルバーの輝きとか、重厚感に目を奪われた。  これが、やりたい!  作ってみたい!  そう思って、その夫婦に弟子入りするみたいな形で、休みの日だけ仕事場に入れてもらって、色々と教わった。  俺も、俺でメモったり作業している光景を写真や動画に撮らせてもらったり。  自分で作業工程を調べては、夫婦の旦那さんの方に質問したり。  仕入れとか販売とかを、奥さんの方に聞いたり。迷惑掛けながらも二人は、親切に教えてくれた。  今も交流は、あって師匠と弟子であり。あの二人の普段の遣り取りと、互いに相手を見守る姿が、子供ながらに憧れた。  二人のあの温かくて、優しい感じが良かった。  “ 良いよなぁ…こう言う関係 ”  俺の実家は、一般家庭でそれなりに恵まれていた方だと思う。  両親揃って、実親が他界していて親戚とも新年の挨拶をする程度で、俺には親戚とか、祖父母ってのがなくて…  一人っ子で、寂しかったんだろうな…   その夫婦との交流が、好きだった。  で…そこで出会ったのが、今ここにいる業者の女ことハナだ。  この女は、その夫婦の末の娘さん。  両親の影響をモロに受けまくって、その頃は、向こうが大学生で、俺は小学校高学年で今よりも、チビチビで弟扱いを受けた。  けど、この仕事場を格安で紹介しくれたのは、この女だし。  色々と仕事の相談に乗ってもらってる。  「…で、アンタさぁ…ここに本当に住むの?」  「他に行くとこねぇーし」  「親御さんには、言ったの? 前のアパートは、解約してここに居るって?」  「んーーまぁ……」  仕事場に移り住んだことは、伝えてある。  「お前らしいって…笑われたけど…」  「アンタってば、昔から…シルバーアクセばっか作ってたからね…」  今まで、ここに通っての時間を考えると、寝て起きて学校行って仕事しての時間効率が、かなり良くなった。   「前みたいに…店番とかあの子の代わりとか、他にお願いしたりは?」  「考えたない…」  こうやって、レジカウンターに座って、電話を取ってくれたり。  送られたファックスを確認してくれたり。  自分で持ってきた本や講義に使う参考書を眺めながら。   通りを歩く人達を、ボッーとしながら。まるで見守って居るみたいに…  たまに微笑んだりする。  そんなに面白い光景なのかと、俺もつられて同じ方を見詰める。  そこにあるのは、本当に何気ない日常。  だから俺は、この席にセリ以外の人に座ってほしくないだけなんだ。  「さて…私も、仕事場に行きますか…」  ハナは、大きく伸びをすると、同時にスマホの着信音が、ハナのバッグから鳴り響く。  「誰よ?」  ゴソゴソと取り出し待ち受けを見たハナの表情が強張る。  「ハイ。どうしたの?………えっ…ちょっと待て、何があったの?」  俺の方に振り返って、不穏そうな視線を投げかけてくる。  「こっちが、何? なんだけど…」  変な胸騒ぎ…  そんな言葉よりも、明確な不安が、張り詰めて来るようだった。        あの日、アサキから渡された小袋に入っていたものは…  青い石が、付いたピアスだった。  シルバーアクセは、肌に触れたりすると直ぐに黒く酸化する。  それにキズが付きやすいことから布に包んだり。  袋で包んだり。  最初に手渡された時、僕はいつもと同じ…  ペンダントトップやキーホルダーとか、ストラップ。  何かのジッパーチャーム? ぐらいにしか思ってなかった。  でも、触った感触が何か二つ分ありそうな…  それとも、前に試しで作ってた惑星と衛星みたいなモノが、二つで一つみたいな?  でも、それとは大きさが違う。  普段からアサキの店の手伝いを、していたせいか…  商品を箱に入れている時に指先で触れた感覚と、小袋の大きさで何となく。何が入れられているのか、少し分かってきた。  でも、その日。僕に手渡されたモノは、小袋の中でもクロスと他の布にまで包まれていて、厳重で、手に持つだけでは、それが何か分からなかった。  だから触れば、触れる程気になってしまい。  中身を知りたい欲求に負けて、初めて、その小袋だけを開けてしまった。  小袋の紐の巻き方や結び方。  入っている布の包み方。  どれを一つ取っても、アサキが仕事熱心で、自分の仕事にプライドを持っている事が、伝わってきて嬉しかった。  結ばれた袋の紐を取り。  二重に包まれた布から出てきたのは、青い石がはめ込まれたピアスだった。  ピアスホールに気付いてたんだ。  高校生の頃に仲間内のノリで開けただけのピアスホール。  塞がってはなくて、本当にたまに付けたりするぐらい。  そんなものだから。  アイツの前でなんって、着けている所を、見せたことはないと思う。  着けること事態は、面倒くさくもない。  慣れてるし。  高校生の頃は、よくしてた。  弟が、それを知らそうなのは…  もしかしたら。  気付いているかもだけど…  基本的に家では、取っていて着けるのは、学校に行ってから。  髪の長さもあるから親には、バレてないと思う。  相変わらずな父親の言動から。  何も知らない弟を、父の害からあからさまに庇うのも、気が引けて取りあえずは良い見本って訳じゃないけど、良い兄のままで家では過ごしていた。  今にして思えば、無意識だったと思う。  あれ以来。何度あの家で、息が詰まりかけたことか…  僕だって、現実を見たくなかった。でも、僕が気持ちを割り切ってユズキの前に立たないと、家族がバラバラになりそうで、必死に物静かな自分を演じていたからか、気が休まらなかった。  学校は、元々の真面目な性格が目立ってしまい。  そこでも、上手く休めなかった。    結局。  僕が、自力で探した居場所は、アサキの所だけ…  だったのかも、知れない。  素直にそう言えば、アサキが本気で浮気する事もなかったし。  誰かのためとか、誰かのせいって言いながら。自分本意に裏切られたのは、僕だったけど、あの時、父に裏切られた母さんも、こんな気持ちだったのかなぁ…  とか、どうやって許せたんだ?  とか、色々と考えている内にアイツは、誤ってきた。  その時の言い訳が、あの当時の父親の言動そのもので…  “ 同じこと言ってる ”   と、引いてしまった。  寂しいから。  かまってくれないから。  向こうに優しくされたから…  それで、浮気ってするもんなの?  共働きな両親。  少し年の離れた弟。  弟は、覚えてないかもしれないけど…   一度だけ、僕にこう言った。  『オレには、兄ちゃん居るから。寂しいって思わないよ』  嬉しかった。  ユヅキには、こんなモヤモヤした気持ちを、抱えて欲しくはなかったから。       高校生最後の夏休みって言葉が、現実味を帯びてきて…  日差しが、一気に夏仕様になってきたのか…  夕方だって言うのに、この蒸し暑さは、学校帰りに妙に堪える。  早く帰って、冷房が効いた部屋でレモングラスとハーブで作ったお茶に氷を入れて微炭酸と割って、作ったのを飲みたい。  ただオレだけが、好む味らしく兄貴は飲まない。   って…兄貴。  この頃、食欲ないみたいだなぁ…  仕方がないって言えば、それで終わるけど…  どんだけ引き摺ってんだよ。  二ヶ月?  いや…三ヶ月になるか?  早く立ち直れよなって、  まぁ…そんな事、兄弟でも面と向かって言える訳じゃないからなぁ…  取り敢えずとオレは、玄関ドアを開けた。  その時だ。  ガシャーンとも、バンッとも何かを叩く音が、同時に響きたのは、そして立て続け聞こえてきたのは、怒鳴り声に叫び声だった。  慌てて玄関からリビングに入ると、母親が鬼の形相で椅子に座っていて、父親が、床に額を擦り付けるように土下座をしている光景だった。  「どうしたの?」  強い不信感が、オレの周りを、一瞬にして取り囲む。  父親を中心に書類やら写真やらが、散乱していて…  足元にあった写真を拾い上げる。  薄暗い道端で父親が、随分と若そうな女と腕を組んで歩いている姿を隠し撮りした写真らしい。  「…子供達が、返ってくる頃だから。かなりマシな写真よ。それ以外は、さすがに見せられないわ……」  土下座の父親は、何も言わない。  あぁ…今度は、父がやらかしいんだなぁ…と冷静にオレは、納得してしまった。  こんな中年オッサンのどこがいいのか…  オレも兄貴も、どちらかと言うと母親似で特に兄貴は、母親の顔立ちによく似ている。  性格も似ているかも知れない。  普段、絶対に人に対して “ ざまぁ… ” なんって口にしない兄貴の…あの時の顔に見事にダブった。  「本当だったら。十年前だって暴言や恨み言。手だって足だって出そうになったわよ。でもあの時は、この子供達がまだ小さかったから。ここは、親として無難に穏便に耐えようって思ったから。深くは追求しなかったのよ…」  母親は、そう言って立ち上がり冷蔵庫から例のレモングラスのお茶をコップに注ぎ一気に飲み干した。  「私も、まだあの時は若かったのね…でも、もう私だって若くないわ。子供達だって…大人になるのよ…」  母親と目が、合った。   「セリは、二十歳超えてるし。ユヅキだって今年卒業で、就職先だって自分で決めてきた…だったらもう。我慢しないわ」  父は、無言って言うか…  何も言わず土下座の姿勢のまま。  そこにパタパタとした足音を立てて兄貴が、リビングに飛び込んできた。   「ちょっと…母さん…ユヅキ…」  振り返ると、そこには少し動揺しま兄貴の姿。  あぁ…ヤバい。  オレが、どうにかしなきゃと、少し落ち着いた。  いや…でも、これをなんって説明するんだよ。  「あの…その…」  オレの声を聞いているのか、兄貴の視線は、床に散らばる曰く有りげな証拠写真を捉えている。  「…あっ…えっと…帰って来たら両親のド修羅場でした…」  「みたいだね…」  そこで二人の息子が、揃い現状を察した母親は、自分の実家と父親の実家に連絡を取ったらしい。  「取り敢えず。アナタ達は、少し席を外してくれる?」   「でも…」兄貴が言い掛けるのを遮る形でオレは、兄貴の腕を掴んだ。  どちらかと言うと兄貴は、オレよりも小柄だから。そのまま腕を引いて歩けた。  「取り敢えず。オレ。兄貴連れて近所のファミレス行くから!」  「そうしてもらえると助かるわ…」  その道すがら。  「ってか、ユヅキ。ファミレス行くって…お金持ってるの?」  「…少しは…」  学校の荷物を下ろす前だったら。取り敢えず。財布もある。  「あぁ…もう。喉乾いた…」  「そうだね。今日は、暑かったからね…」  いつの間にか、兄貴がオレの前を歩いていていた。  涼やかな気温の店内は、あのド修羅場は、夢だったんじゃないかと思わせてくれるようだったけど、両方の祖父母、特に父方のばあちゃんの詫び状みたいなメッセージが、スマホに届くとオレ達は、思いっ切り現実に引き戻された。  ドリンクバーだけを頼みオレは、レモンスカッシュを、兄貴はアイスコーヒーを手に持って席に戻った。  「で…ユヅキは、いつ戻ったの?」   「兄貴が、帰ってくる四〜五分前」  「…それで…あの感じ?」  「…そう。オヤジが…」  「うん…」  「また浮気しやがった…らしい」  よりによって、兄貴に言わないとならないなんって…  「知ってたよ…」  「はぁ?」  レモンスカッシュのドリンクバーを、危うく浮き出し掛けそうになるオレがいた。  「な…何で?」  「何でって言うか、そのこの頃の父さんの態度が、その時のアイツに似てたから…」  「マジ?」  兄貴は、不思議と落ち着いたようにアイスコーヒーを静かに飲んでいる。  「でも…あの様子だと、二度目ではないような気がする。今までも、こんな感じの雰囲気だった時が、あったから…」  兄貴が、気付いていたのなら。  母さんは、もっと早くに気付いていたとか?  「それは、分からないよ。でも、複数人の違う相手が、居たのは事実かも知れない」  「マジ?」  「ユヅキは、気付いてた? 写真に写る人…皆違う人だったと思うよ」  「そこまでは、見てない」  って言うか…  見たくもない。  それに、こんな不味いレモンスカッシュは、初めてだった。  「なぁ…オヤジって…そんなヤツだったの?」  「どうだろう…」  明るめの店内のBGMが、逆に物悲しく感じる。  このファミレスは、家の近所って言う事もあって、よく家族四人で子供の頃から何度も来てた馴染の場所だった。  …でオレは、必ずハンバーグで兄貴は、唐揚げを頼んでた。  そして毎回、最後の一口を、お互いに交換したっけ…  今だって周りを見れば、そんな家族団らんが、目に留まる。  見せ付けられている訳ではないのだろうけど、そんな気分に心が暗く重くなる。  「母さんは、離婚とか考えてるのかな…」  「どうなんだろうね。僕達は、口出しできないし。親がそう決めたのなら。そう見守るしかないと思うよ。幸いユヅキは、来月には十八になるし今年卒業だから…」  確か、母さんもさっきそんな事言ってたような…  もしかして、それまではって、我慢してたとか…  兄貴は、もう成人してるし。しかも大学の授業料は、特待生枠で免除になる程の秀才。  「母さんは、それなりに稼いでいるし十五歳すぎれば、親権を子供が選べる…子供の意思が尊重されるらしいからね」  「あぁ…そういう事…」  何とも言えない重苦しい空気が、オレと兄貴の間で留まっている。   「…なぁ…十年前のオヤジの浮気の時…何があったの?」  重苦しい空気を吐き出すように兄貴は、伏目がちに溜息を吐き出した。  「あの時…ユヅキは、7歳だもんね。覚えてる訳ないよね…」  「うん…」  酷い罵り合いだった。  特に父親の言い訳は、子供ながらにガキかよって思った。  「どんな?」  「仕事と育児で構ってくれないとか…寂しかっただの…気を引きたかったって…号泣しててさぁ…こんなのが、親なのかって…呆れるしかなかった…」  「母さんは?」  最初は、テレビドラマみたいなお決まりな感じで、罵っていたらしいが、さすがに父親の醜態って言うのか…  本性って言うのか…  蔑むみたいになって、  “ アンタは、皆の父親だったんじゃないの? ”   「って怒鳴ったら。また更にオヤジが、大号泣…」   「うっわぁ〜っ…」  「向こうのじいちゃんが、オヤジの頭を掴んで下げさせて土下座させてたよ」  挙げ句。  向こうばあちゃんが、  “ 泣くなら最初っから。浮気すんなバカが! ”  「って…怒鳴った」  「えっ…あの穏便なばあちゃんが?」  「うん…」  それで、母親が、  “ 兎に角この事は、ここだけにしましょう。いい? 寂しかったとか、そんな言い訳しないでみっともない ”  「……で、確か手打ち? だったかなぁ…でも、後は無いよって念押ししてた…」  「それは、我が父ながら…情ねぇ〜っ…」  「だね…」  兄は、かなり落ち着いていた。  何で、こんなにも冷静に落ち着き放っていられるのか、これがある意味、当時のオレと兄貴の年の差なのか?  ただのガキと思春期に入った兄貴とでは、認識どころか、物事とか恋愛においての価値観まで、変わっていく。  兄貴が、いつ頃から同性に対して異性を想うのと同じ恋愛感情があると、自覚したかは分からない。  でも本人にとって恋愛は、常に複雑で…  どんな風に感情表現していいのか、分からないまま…   迷っている最中に両親、特に父親の醜態を目の辺りにした。  恋愛に奥手と言うか、良い感情を持てないまま。恋愛をしてきたとしても、間違いではないのかも知れない。  で…何で、あんなヤローに惚れたよ…  「…バレなきゃ…このままだったのに…」  えっ?  「それは、違うだろ。浮気とか、しなきゃいいだけの話だろ!」  「そうかもね…」  兄貴は、また静かにアイスコーヒーを飲み込む。  「寂しかったのかも…」  「あのなぁ…そんなの言い訳だ……って、あっ…」  オレは、口をつぐむ。  相手が、忙しくて…   寂しいからと、浮気したオヤジもそうだけど…  気持を試された兄貴や必死で、兄貴を振り向かせようとしてた…  「あの人は、どうなんだ?」  「……あの人って?」  「あっ…えっと…」  「まさか、アサキに会ったの?」  「いや…あの…」  例のデパートで、兄貴の元カレと会ったことは、言ってなかった。  一瞬、兄貴に睨まれた気がした。  「…っ、だって、向こうは、本気だったじゃん! 兄貴のこと大事にしてくれてたんじゃねぇーの?」  「それは…」  「兄貴も、試されたのかもだけど、そのアサキさんって人のこと兄貴自身も、試してたんじゃねぇーのかよ!」   「…えっ……」   黒くモヤモヤしてたモノが、一気に溢れて口から出てくる。  「そうだろ? 兄貴だって同じだろ? 何でバカみたいに何回も付き合って別れんの続けてきたんだよ」  兄貴の顔が、曇った。  「言い返せんなら。言い返せよ…」  「…待っててくれたから…」  それは、小さい声だった。  「はぁ?」  「絶対…そこに来るって確証とかないけど…そこで待っていれば、いつか来るって…分かっていたから…」  兄貴が、どんな気持ちで絞り出した言葉なのか、オレには分からない。  でも、その時のオレにとっては、その全部が…  「言い訳だろ。兄貴も…大概クズじゃん。いや…知ってたけど…」  「…そうだね……」  そう俯いて、何も言い返そうとしない兄貴に対して妙に腹が立った。  「オレは、オヤジ達や兄貴みたいにはなりたくないから…」   「ユヅキ…」  「オレ…これからバイトあるし。じゃ…」  残されたのは、半分以上も飲み残されたレモンスカッシュ…  僕もそうだけど…  家族は、レモン味を好んで買ってくる。  ただ僕だけは、あの日からレモン味が、怖くて口にできてない。  思い出しそうになるから?  ほろ苦いから?    違う。  アサキを、思い出すからだ。  待ってくれていると思ったのは、僕も同じだ。  アイツの前で常に作っていたレモングラスとハーブのお茶は、マイボトルにたまたま入れていたモノで、水分を摂らなすぎるアサキに対して、無理矢理飲ませたのが、最初だった…  そしたら、アイツ美味しいって…  『これなら。普通に飲めるかも…』  アイツは、飲み物をあまり飲まない。水分を摂るのが嫌いなんだって…  しかも、水の味が得意じゃないって言うから。  試しにって飲ませただけ…  それからアサキは、僕の作るお茶を嬉しそうに飲んでくれた。  他の飲み物と違って、サッパリするって、めちゃくちゃ気に入ってくれた…  アイツの部屋に行った時とか、仕事場に顔を出した時は、必ず作って置いてった。  僕も、喜んで飲んでくれたのが、嬉しかったんだと思う。   ほろ苦く後味の残るお茶が、喉を潤す度に思う。  最低なのは、アサキを信じられなかった僕で…  アサキの優しい所に甘えられずに、逆に不安にさせてばかりいた自分の弱さと言うか…  いい加減さと言うのか…  僕には…  やっぱり。アサキは、勿体無いんだよ。  ブー…ブー…ブー…ブー…ブー……  ブー…ブー…ブー…ブー…ブー……     一本目の電話は、何度鳴らしても繋がらなかった。  焦りながら。  別な人へ二本目の電話を、鳴らした。  ブー…ブー…ブー…ブー…ブー…  『…ハイ。どうしたの?』  「ハナさん。スミマセン! あの…兄貴の元……この間。デパートで会ったヤツの連絡先知りませんか?」  『……えっ……ちょっと待て、何があったの?』  それは、ユズくんの声だった。  「あの…兄貴が、帰って来なくて…」    帰って、来ない?  『帰ってこなかったとしても、アタナのお兄さんが、このバカの所に行く訳ないでしょ? 別れてんのに…』  「そっか…そうだよな…って、なんで? このって? 目の前に居るんですか?」  『そうよ。急な材料の受け渡しで』  「じゃ…兄貴は、どこに…」  『ユズくん?』  声の感じからすると彼は、珍しく焦っているように思えた。  「どうしたの?」  落ち着かせるみたいに、言ってみた。  スマホ越しなのにも関わらず。  男女の怒鳴り声と、それをなだめる複数人の声が、微かに聞こえる。  「誰か、ケンカしているの?」  『…両親と両方の祖父母達が今、修羅場ってて…』  両親の修羅場。   何が、原因かは用意に想像が付く。  「ユズくん。私の作業場の方に来れる? 今だとアシスタントの子達が、来るころだけど…」  声にならないような声で、彼は頷いた。  物凄く声にはきがない。  『あの…オレ』  「うん…」  『…昨日その…帰ってきてからずっと、両親こんなで…』  「うん」  『兄貴は、全部知ってる風で…逆にムカついて…兄貴に酷い事いった…そしたら。兄貴が、帰ってこなくて…連絡も、付かなくて…』  私は、いつもみたいに眉間にシワを寄せた風にしたと思う。  『何って…言ったの?』  「…クズだって」  オレは、自分の部屋の床を殴り付けていた。  「両親達の事…兄貴に被った…」  『……………』  「何いってんだ。コイツってなって…ムカついて…」  昨日、両親達は、祖父母達に引離されるように互いの実家に戻っていたらしいけど…  家族として子供も、交えてとなったら。  こうなったらしい。  オレじゃどうしようもなくて、兄貴を呼ぼうとしたら。  部屋には、兄貴の姿が無かった。  もう大学の方に行ったのかと、何度かスマホを鳴らしたけど…  繋がらない。  それどころか、返信もない。  メッセージも送ったけど、読まれた形跡もない。  いくら両親の事で頭にきてたからって、兄貴に八つ当たりしても、仕方がないのに…  ガキの頃。  父親の浮気騒ぎってのが、どう言う事なのかオレには、ピンとこなくて…  でも、その時…  兄貴が、オレを庇うみたいに一緒にいてくれて…    “ 大丈夫だよ ”  って、安心するような声で背中を擦ってくれたのは、他の誰でもない兄貴だった…      『おい。ハナ!』  スマホ越しに兄貴の元カレらしき人の声がした。  「セリが、どうしたって!」  『ユズくん。ちょっと一旦電話切るわね?…いい? 取り敢えず。アナタは、うちに来なさい。分かった?』  私は、大きく息を吸い込む。  「声が、デカいっての!」  「そんなのは、どうでもいい…セリが、どうしたって!」  へぇ…  こんなヤツでも、焦った顔すんのね…  なんって、言ったら怒られそうとか、まともな冷静な思考が、降りてくる。  「何とか、言えよ!」  「…待って、他所の家の事情よ。家の中で親族で、修羅場ってる。って言えば、バカなアンタでも、何となく想像出来るでしょ…」  ハッとした顔をして、ヤツは俯いた。  「連絡がつかなくて…家に帰って来ないんだって…」  「いつから?」  イライラした顔を隠しもしないで、アサキはカウンター越しに立ち上がる。  「…さぁ…でも、帰って来なかったって事は、一晩は経ったって事でしょ?」  仕事用のエプロンを外しスマホ 持って店を出ようとする姿に、我を忘れているようにも見えた。  「アンタ達、別れたんでしょ? 連絡先も、知らないんでしょ? 止めなさいよ。みっともない…」  ドアノブに手を掛けるアサキは、一瞬、戸惑うように振り返った。  「…カレは、アンタに探してもらおうなって、思ってないわよ…」   「そうかもな…」  そして、ヤツは躊躇するように手をドアノブから離した。  「仮にね…どこかで、待っていたとしても…カレの手を取れる? どんな顔して、取るつもり?…」  「だから…」  そう吐き捨てながら再びヤツの手は、ドアノブへと向けられる。  「俺は、セリに会いたいだけなんだよ…」  そう吐き捨ててアサキは、店を飛び出して行った。      続く。
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