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レモングラス
「今日…暑くなるってさ…」
朝、目が覚める前にそう耳元で言われた気がするのは、一緒に住んでいるはずの恋人セリ姿が、無かったからだろうか?
「バイト…だっけ?」
ベッドからのそっと、起きあがり。寝惚け面からの大欠伸。
何とも、間の抜けた面が窓ガラスに映った。
外は、暑苦しいぐらいに晴れて無風。
アパートの下の何本か先の路面のアスファルトの上を逃げ水が、揺れているように漂っていて、わざわざ窓を開けなくても、外の暑さが分かって、自分でも驚くぐらいにうんざりとした気分で、冷蔵庫からレモングラスとハーブのお茶を取り出して、グラス一杯に入れた氷で飲み干す。
ツンとハーブとレモングラスの香りが鼻を通っていく。
冬場は、これをホットにして飲むが良いとアイツから進められて飲んでいる。
俺は、セリからすると水分をちゃんと摂って居ないらしい。
でも、俺は水分を取るのが得意じゃない。
喉も渇かない程度に飲んでいるが、どこに居ても、水分の存在を飲み忘れているようだと心配したアイツが、よく自分の家で子供の頃から飲んでいる飲み物を、作って置いてってくれている。
仕事場には、多目に作り置きしてくれて…
気を利かせたセリが、業者さんやお客さんに出すと、かなり確率で喜ばれた。
まぁ…人当たりもいいし。
可愛いし。(人によっては、美形だって意見もあるけど…)
俺は、アイツが可愛くて仕方かない。
でも、付き合って居るっていうのにも関わらず。
素っ気ない。
で、その姿のまま俺の視界に入り込む。
付き合っているから拒まれるとかって事は、流石にないけど…
本当にセリが、何を考えているのか正直、分からない。
何って言うか、甘えても来ないし。
寧ろ俺の方が粘着しているんじゃないか? ってぐらいに俺に対しても、誰かに対しても同じ接し方だった。
焦っていた。
誰かと同じような捉え方とか、今までの付き合いには、無かったから。
俺は、バイで誰とでも付き合えてきたけどアイツは、ゲイだから好きになるのも、付き合えるのも同性でだけで…
性格は、固執したがる俺と、何に対しても執着してなくてドライなセリとは正反対で、少しの言い合いや私生活に対しての小言は、付き合う前から言われ続けてた。
何を、わーわー騒いでいるんだと、楽観し過ぎていて…
それに対しても、怒りの沸点がよく分からなかった。
俺自身、アイツが可愛い顔してムッて、怒ってる表情も悪くなかったし。
まぁ…何に対して、怒っているのか、単純で無頓着な俺は、無意識に傷付けていたんだと思う。
甘えていた。
そんなガキみたいな感覚だった。
勝手に邪魔扱いも、したこともある。
“ うっせぇーな… ” とか毒まで吐いて…
それでも、表情を変えないセリにウンザリした。
そりゃ…行動も、仕草も、表情も、何を考えているのが、分からない分。
俺には、興味すらないのかって、投げやりな気持ちに辿り着くんだ。
顔をなんって、見たくない。
そうは思っても、元々が同じ大学の同じ学科だし。選考し受けている講義も、そう言う話し合いの場も、照らし合わせたように同じ。
コレは、いつもの飽きが来たんだと直感した。
知り合いに、誰か紹介しろと言い紹介してもらい。
その相手に手を出した。
そりゃ…
本命みたいな存在が居る俺にとっては、背徳感半端ないをけだ。
溺れないはずがない。
簡単に相手との時間が、増え分。相手の部屋に入り浸ったり。その時間を、楽しんでいた。
その間にも、セリとの共通の友人達からは、
“ そんな中途半端な付き合いなら。別れてから付き合ったら? ”
と、苦言された。
それに対して俺は、
“ アイツとは、もう終わってるって ”
悪びれたわけでもなく。俺の口をついて出た言葉に周囲が、ザワ付いた。
セリが、その場に現れたからだった。
講義場は、異様な空気になった。
セリは、元々目立つ容姿だったし憧れたりと、お近付きになりたいと、本気で思うヤツらも多かった。
その中で、俺が押し切る形で付き合い出した事も合って、俺は自慢しまくった。
大半は、二人が良ければいいんじゃない? と言う言葉に…
前から俺の事を知る友人知人達からは、セリに対して別れろと言ってきたらしい。
“ コイツは、二股とか平気でするヤツだから。早々に別れろ! ”
“ ロクな目に合わないから。本当に気を付けてね ”
その忠告が、現実となって俺らに降り掛かった。
いつもは、隣同士の席に着くことが多いのに、セリが着いた席は、出入り口付近の一番上。
来るだろうと荷物を置いて取っていた席は、空席のまま講義は終わり。
俺は講義場を後にするセリに、すがるよう廊下で腕を掴んだ。
“ あのセリ! ”
不機嫌そうに振り返った。
“ …………… “
“ そのさぁ…さっきのは… ”
“ 知ってた ”
“ はぁ? ”
知ってた?
俺の方が、言葉を失ってた。
“ お店の方でも、一緒に居たでしょ? ”
“ いや…あれは… “
確かに連れ込んだ。
仕事場と店を見たいって、せがまれて。
“ 別れようよ… ”
あんまりにも、簡単に…
あっさりと俺は、振られようとしている。
“ アサキの部屋にある僕の荷物は、引き取ってあるし。それと… ”
ゴソゴソと自分のバッグを漁るセリは、鍵を取り出し俺に突き出す。
“ コレ。預かってた鍵…返すね… ”
急に差し出されたモノだからってのもあるからか、はずみで受け取ってしまった。
ひんやりとした鍵の感触が、アイツの言葉のトーンに似ていて、別れを承諾してしまったと、同じ情況になった。
俺とセリが、別れる?
俺…
アイツの事、嫌いだったけ?
馬鹿みたいに自問自答までした。
“ セリ! ”
“ 何? ”
“ 俺…別れないから ”
“ ……勝手にすれば… ”
殆ど話さなくなっても、講義は、被る事が多いし。
共通の友人も、多い状況に俺は、うざりした感覚になっていた。
セリも、また好きこのんで俺に接しようとはしてこないし。
俺も、気楽に振る舞ってた。
そんな情況から二人は、別れたと周りには、バレバレで…
その後は、あからさまにアイツに言い寄るヤツが、女男関係なく圧倒的に増えた。
必ず俺以外の誰かが、常に居る。
俺が見ている目の前で、何気に呼び止める。
近付いて、肩を叩く。
楽しげに談笑する。
このまま他の誰かと、付き合う姿が現実に迫っているようで、嫌だった。
そう言えば、レモングラスとミントのお茶…
だいぶ、飲んでない。
ハーブティーに近いと言われて、取り敢えず買って飲んだお茶の味は、最悪で…
俺は、渇き切ってた。
“ 私…セリくんに告ろうかな? ”
“ マジ? ”
えっ?
“ でも、セリくんって異性に興味なっていた聞いたけど… ”
“ まぁ…そうなんだけど、友達になりたい的な? だってあの容姿にあの顔だよ? ”
“ まぁ…確かに ”
“ それに噂で聞いたけど…アイツと別れたって、目の色変えたヤツ多いらしいよ! ”
やっぱりか…
…くそ……
動揺しまくる気持ちを抑えて、仲間達と談笑してみたが…
冷静になってから。
漠然とアイツが、俺以外の誰かと付き合ったらと考える度に、俺また激しく動揺した。
浮気して傷付けておいて、楽な方に逃げた俺が、セリの恋愛とか付き合い方にどうこう言う資格とか、全く無い事なのにアホみたいに自分を責めた。
そして、どこからかアイツが、誰かに告られたと聞かされたり。
付き合う寸前なんだと、噂話を耳にしては腹を立て…
こもるように仕事場で、自分に取っての最悪な光景を、想像しては塞ぎ込んだ。
そして、アイツに限って別れて直ぐに誰かと付き合うとか、有り得ないと首を振った。
“ 別れたんでしょ? 気晴らししたら? ”
“ 遊ぼう! ”
やめときゃ良いのに…
知り合いの言葉に乗せられて…
男女関係なくニ〜三人と付き合った。
別れた事による。
寂しさか…
憂さ晴らしか、無い刺激を求めて…
その中で知り合った年下の男が、割りと綺麗目で…
セリにダブって、極端に会う頻度が、増えてった。
俺達は、別れているんだし浮気じゃない。
互いに別の学校だったから。
どちらかの大学の近くにわざと待ち合わせをした。
自慢したかった。
見て欲しかった。
見返したかった。
振り向いて欲しかった…
何度目かの待ち合わせの時にセリが、近くを通り掛かったのには、驚きつつも…
作戦通りなんって…
アホみたいに思ったりした。
なのにセリは…
無言で、通り過ぎた。
目も合わせてはくれなかった。
自分が思っていたのとは、違う展開に変な動揺が、気持ちをざわつかせた。
“ どうしたの? ”
“ えっと… ”
“ 行こう! 買い物に付き合ってくれるんでしょ? ”
“ あぁ… ”
俺…
セリに無視されてる。
そう言えば、ここ最近。
視線が、合わない。
そりゃ…そうだよ。
俺達は、別れているんだから。
視線が合うわけない。
あれ?
俺…セリが、嫌いだったけ?
向こうは、俺が嫌いで別れたって思っているのか?
別れたくない。
セリと別れるなんって、やっぱり有り得ない。
じゃなんで…
俺、このコと付き合ってんの?
“ アサキさん? ”
“ えっ…あっ、何? ”
“ なんか変…話し掛けても、ずっと、上の空だし…… ”
“ そんなことは… ”
“ 校門の前で擦れ違った人? ”
“ いや…あれは… ”
“ 前カレとか? 別れたんじゃないの? ”
“ 別れたって言うか… ”
“ ボクの方が、浮気相手だったりして? ”
年下で小柄だからって、油断してたら思いっ切り殴られた。
翌日、頬を腫らして微妙に血が滲むのをガーゼを押さえながら講義に出たら。周りからは良い笑いものにされた。
周りからの冷ややかな視線に耐えられなくて、午後には部屋のベッドに横になりながら項垂れていた。
唇を切ったものだから。
少しでも口を動かすと響いて…
まぁ…
歯が折れなかったのが、救いか? なんって考えていたが、どうしても腹は減る。
ただこの口では、飲み物や食べるのに口を開けることも、噛むことも出来ず。
飲み物はしみるで、四苦八苦していると不意に部屋のドアが、静かに開きタイミングを、見計らったみたいにセリが立ってた。
何も言わず。
聞かず。
大き目のマイボトルを、部屋の机に置くと、その隣に咥えて飲めるゼリー飲料を置いた。
“ セリ… ”
“ 消毒したの? ”
“ …………… ”
薬箱なんってない部屋にセリは、消毒液やガーゼ類を買ってきて俺の口元に触れた。
そんな事されたら。
たがなんってものは、簡単に外れる。
ついなのか、故意か…
俺は、セリを抱き締めていた。
やっぱり。
セリとは、別れられない。
別れたくない。
でも、アイツは相変わらずな態度を見せる。
別れては、元に戻るなんって関係を、ずっとしてきた…
最初の三〜四人が、本気の浮気。
後は、少しでも俺に関心を持ってもらいたかった。
本気で心配してくれて、見守ってくれるって事は、俺に対して本気だって事だし。
終いには、嫉妬させたい。
そんな気持ちの俺に知り合いは、浮気相手を演じてくれた。
それが、毎回最悪な形でバレるもので…
バレた時のセリの表情に安堵さえした。
あぁ…コイツも、こんな顔すんだ。
嫉妬されてるとか…
俺、本当に好かれてると、単純に思った。
振りの浮気を二回目、三回目と繰り返しているうちにセリが、困った顔したり。嫉妬するみたいな視線を俺に向けてくる事に浸ってた事実もある。
本命のセリが居るのに遊びでも浮気は、マズいと思った最初のマジな浮気とは違って、振りの浮気に俺が罪悪感なんって感じる訳もなく。
俺だけに、興味を惹かせたい気持ちが強くなりすぎて、振りの浮気を止められなかった。
“ お前さぁ…いつか、痛い目に合うぞ ”
“ ハァ? ”
俺は、そう笑って返した。
知り合い達も、仲間内での話しだけだと釘は刺した。
それでも、セリは相変わらずな態度を取り。
本心が見えなくて…
散々、周りに相談して愚痴って、最後は実力行使って訳じゃないけど…
シルバーアクセのプレゼントに行き着き。
指輪を送って、自分なりのけじめを付けようとしたら。
こうなった。
これが、せりからの答えなのかと思ったけど…
やっぱりセリだけは、諦め切れなかった。
互いに一方的だったとしても、もう少し寄り添えたかった。
そしたら…
『ちょっと! アサキ! あんた宛は、あるの?』
手に握りしめていたスマホを通話状態で、走りながら出ると相手は、業者のハナだった。
『宛…』
『今、ユズくんがアンタの仕事場に来た所なの…で、ユズくんの話だと、スマホの番号もメッセージのIDも変わってるって…』
『…だから?』
信号待ちの交差点で、息を整え噴き出す汗を拭って返事を返した。
『…大丈夫。探し出すから…』
『えっ…』ブチッ。
セリが、俺を何とも想ってなくても、何も見てくれてなくても、その分、しつこく俺はセリを見てきたつもりだ。
セリの行きそうな場所。
アイツは、人に好かれやすいってだけで…
人付き合いは、二の次。
特に親しい人なんって、聞いた記憶がない。
アイツの行動範囲は、あってないようなものだ。
セリからの返信が、途絶えたあの日も、俺はアイツが立ち寄りそうな場所を駆け回った。
バイト先によく使う駅にバス停。大学の構内。
よく一緒に歩いた道とか…
それで、最終的に辿り着いたのが…
その時に住んでいたアパートだった。
今となっては、部屋を引き払ったのは、三ヶ月前だ。
誰も住んでないか、空き家のままか…
フェンスがあるぐらいで、敷地内には簡単に入れるだろうけど…
セリが、居るって保証はない。
でも俺の足は、その方向に向かって走っていた。
セリは、俺が居てもいなくても、必ず部屋に立ち寄ってくれた。
それに、三ヶ月前の別れたあの日。
セリが、最後までそこにいたから…
そんな理由だ。
行っても、そこに居る保証はないのに、全力で走ってる俺は、そうまでしてセリに会いたがっているんだろう。
汗で視界が、滲む。
この路地裏を、右に曲がって直線道路を少し進むと、赤茶色の壁のアパートが見えてくる。
二階の角部屋で手摺になっている所に見慣れたような人影を捉えた。
早く駆け寄りたくて、足早にその人影の前に立つ。
誰かが、駆け寄ってきた気配と足音に息遣いを聞き。
肩がピクッと動いた。
わずかに上げられた顔は、少しやつれてるように思えた。
「…セリ」
名前を呼んだけど、無反応で…
こっちに振り向い顔が、すこしげっそりしていたことに驚いた。
顔は相変わらずキレイなのに、病的なキレイと勘違いしそうな程酷く痩せて見えた。
「セリ!」
俺は、手を差し出した。
でも、アイツはためらうように腕を動かさなかった。
今更。どの面下げてと悪態をつかれる覚悟で腕を掴んだ。
やっぱりその腕も、一回り痩せたように感じた。
「俺…ここには、もう住んでないから。行こう…皆、心配してる…」
「…………」
「帰ろう…」
俯いていたセリの目からポロポロと涙が溢れる。
支えるように背中を擦るとセリは、俺にしがみついた。
「大丈夫だから」
「うん…」
ポンポンと、俺はセリの頭を撫でる。
本当に俺とセリは、単純だ。
互いに相手を、傷付け傷付けられても、互いを感じられるこの距離に俺達は、心底安心している。
「セリ歩ける?」
「…んっ…」
おぼつかない足取りにセリの顔を覗き込むと、小さく寝息を立てているようにも見えた。
「寝てるか? ってか…」
ここ人ちの前だぞ…
慌ててセリを抱き起こし背負いながら敷地内から出ると、ハナに連絡を入れた。
「セリ。見付かった。でも…寝ちゃってて俺、今背負っている状態で…」
少し目立つ朝の混雑時。
変に悪目立ちしてる感じが、半端ない。
『分かった。タクシーを向かわせるから。今ドコ!』
「俺の元アパート前…」
『何でそこ?』
「分かんねぇーけど…ここかなって…」
『さすが…腐っても、元恋人…』
「…うっせぇーよ。取り敢えず。コイツの弟に言っとけ。見付けたって!」
『分かったわ…取り敢えず。ご苦労様』
「あぁ…」
何に安心したのか、本当にセリは眠ったままだ。
それにしも、こんなに軽かったか?
痩せてしまった原因の殆どが、俺にあると思うと、居た堪れない気持ちになる。
コトンッ。
そんな音が、足元でした。
何かが、朝日に当ってキラッと光る。
セリが、何かを落としたのか?
バランスを取りながら右手で、その何かを拾い上げる。
それは、あの片方だけの…
「ピアス…」
これだけを、ずっと手元に置いてくれたのか?
使い古したシルバーアクセ独特な風合いになっていて…
少し嬉しくなった。
直ぐに、眠ってしまったから言葉は、交わせなかったけど…
背中で眠るのは、間違いなくセリだ。
俺は、ハナが寄こしてくれたタクシーが来るまでの間。
セリの存在を背中で、感じていた。
なんで…
あの場所に向かったんだろう…
僕でも、分からなかった。
何となく歩いていたら。
アサキの住んでいた部屋の前に辿り着いていた。
噂で、引っ越した事は何となく分かってた。
誰も、住んでないよって言うのも聞いてた。
なのに足が、ここに向かってた辿り着いた部屋からは人の気配は、無くて誰も住んでなかった。
アサキは、ドコに行ったんだろう?
僕は、アサキに会うためにここに来たのかな?
僕に会ってくれるのかな?
自分から別れようって、言ったくせに…
今更、会いたくなったなんって…
都合良すぎ。
他人事みたいに。
グルグル考えながら、そのまま朝になってた。
ユズキにクズだって、言われたよりも、僕が両親と同じ事をしているって、改めて突き付けられて、バカみたいに言葉を失った。
お互いに、どう言う経緯かは、後付だけど…
そこは、お互いにクズ同士の遣り取り。
父は、誰かに好かれたり好きなるのが、止められない人で、
母は、家族として成り立てば、大目に見れる人。
子供の頃は、何も思わなかったけど…
今になって、ようやく父や母の行動に疑問を持った。
話し掛けよとする父と、忙しそうに仕事の話を切り出す母。
まぁ…よくある話って言えば、そうかもしれない…
母は、父を見ていない。
父は、寂しかったのかもしれない。
元凶は、自分がしたことの報復と思わないのか、弱った父は母に相手にされてないと知ると、僕ら家族さえも知らない人と居ることを、選んだらしい。
母もなんで…
そんな父を許し続けたのか…
やっぱり。
僕たち兄弟のためと母は、言うのだろうか?
でも、それは何か違う気がしてた。
実を、言うと数日前に母から父に断罪をする事を、告げられていた。
勿論。弟には内緒にと念を押された。
話しながら並べられた証拠の写真。
じっくり見たわけじゃないけど、複数人と歩く父の姿があった。
昨日、自宅の床にバラ撒かれていた写真は、前もって見せられたもの。
想定外だったのは、僕よりも弟の方が早く家に帰って来たこと…
玄関開けたらユズキのスニーカー。
ヤバいと思って、どうする?…なんって考えていたら。
昔から変に気の利く弟は、僕を連れて自分から家を出てくれた。
時間的にも、前後したとはいえそこまで、両親の罵り合いは聞いてなかったと思う。
ただ…
弟には、ワンクッション欲しかったはずだ。
僕よりも、母の口で、こうなる経緯を話すべきだったと思う。
僕は、父の行動を知っていたし。母の気持ちも、何となく悟ってたから。
それも、今更だけど…
弟は、今まで何も知らされてこなかった上に…
僕とアサキの問題にも、少し巻き込んでいたから。
より近い僕とアサキの姿が、両親の姿にダブったんだろう。
非難されるのは、当然…
僕は、傷付けなたくないと思っていた弟のユズキを、一番に傷付けていた。
それは、アサキも同様で…
人にどう好かれれば良いのか、分からない僕は、アサキを信じきれずに自分から振ったんだ。
あんなに僕に対して、好きだと伝えてくれていたのに…
「セリ…着いたよ」
スーッ…スーッ…
スーッ…スーッ…スーッ…
それは、数日前の日中、自宅の部屋に居たら。
母に下に来るように呼び出された。
“ 簡単に言えばね。あの人から好きだって言われる事が、苦痛でさぁ…一度、裏切られてからは、余計に辛くなったの… ”
“ 信用できないってこと? ”
“ 信用してるから。一緒に居たはずなんだけど…一度でも、信用なくすとダメね。どんな謝罪も、言葉も響かない。私が、潔癖主義のかもしれないけど… ”
“ もう一度って、言いながら。一度目も、無理だった… ”
母は、そう言った。
“ 言い訳に聞こえるかも、知れないけど、十年ちょい前は、まだアナタ達も、子供だったし…まだ私も、本妻だって意地みたいな気持ちの方が大きくてね…けど、だんだんと不安の方が大きくなっていったの… ”
自分で出した答え合わせでも、してるみたいなこの状況。
考え方も、捉え方も、状況も…
まるで違うけれど、母の搖れ動く気持ちが、何となく分かったような気がした。
” あのさぁ…生意気なこと言っても良い? ”
“ なに? ”
“ 今は、好きじゃない? 急に相手を思い出したり。何してるのかなぁ…って、気になったり。二人で過したいって、考えたくなくなった…? ”
“ …そうかもね…とっくに過ぎちゃった “
“ そう… ”
“ セリには、そう言う人いるの? ”
“ 別れた ”
“ どうして? ”
“ 母さんと同じ浮気された ”
“ 何回も? ”
“ うん。そのうち四回ぐらいが、本気たったみたいで… ”
“ 後は? ”
“ 振りだった。僕が、何を考えているか分からなかったみたいで… ”
“ セリは、その人が嫌いだったの? ”
僕は、首を振る。
” 人の気持ちが、信じられなかった。父さんみたいな顔して、ソイツも、裏切るんじゃないかって… “
” セリ… ”
“ だから。僕も、相手を傷つけていたと思う ”
“ …………… ”
“ あのね。今だに遠目で顔を合わせる事があるんだ。でも、どうしていいのか、分からない。別れているからかな… ”
“ まだその人と話してみたい? ”
“ 分からない。でも、また傷付けるんじゃないかって…思っちゃって… ”
” 好きな人を、傷付けるのは、信じられない気持ちよりも、辛いもんね… ”
“ そうだね ”
“ 大丈夫よ。それを、分かってたいるのなら。セリは、大丈夫。少しでも、そう思って、ちゃんと歩み寄って話せれば、自分も含めて相手を想う気持ちは、変えられる ”
“ 私達は、それが出来なかった… ”
母は、そう答えた。
“ だから。話し合ってみなさい。セリは、大丈夫って言ったでしょ? ”
夢の中で、母とアサキの大丈夫が重なって聞こえた。
安心できて、久々によく眠れた気がした。
目が覚めるとそこは、快適な室温で起きたばかりの頭では、そこがどこなのか、思い付きもしない。
自分の部屋じゃない。
でも、見たことがある内装。
二度寝でもしそうな程に、ゴロゴロしてみながら小さく伸びをした。
「…セリ?…」
聞き慣れた声に身体が、脈打つ。
「アサキ…」
声と同時にベッドから飛び起きて床に足を付けた。
その拍子にセリは、よろけた。
咄嗟に腕を掴んだ俺は、怒った顔をしていたかもしれない。
「まだ寝てろ! げっそりしてクマ作って…心配かけんなよ…」
つい本音を口にしてしまうも、セリのビクッと肩をすくめた身体が、やけに小さく見えた。
「…ゴメン…脅かすつもりはないんだ…」
「…………」
俺達は、静かにベッドサイドに腰掛けた。
「何か飲む?」
そう言い俺は、ペットボトルの水をサイドテーブルに置き…
「…エアコン寒くない?」
…と、ペットボトルをセリが、持っていた真新しいスマホの隣に置いた。
「セリ…」
「…………」
俺は、下を向いたまま顔を上げようとしないセリに、向き合うように床に膝をついた。
「セリ…何でもいいから。言ってくねぇーと、俺…何もわかんねぇよ…」
「…………」と、セリは何も答えようとしない。
膝の上に組まれた手に、水滴が落ちていた。
見上げたセリは、泣いていて。
必死に泣くのを堪えているようで、俺に気付かれた事を気にして、毛布をすっぽりと被ってベッドに丸まった。
話をしたくないのか、俺を拒絶しているのか…
またセリは、そのまま眠ってしまった。
午後になって改めて、セリの弟のユズキが、荷物を持って現れた。
「その荷物は?」
「兄のです…一応…身の回りって言うか、後は着替えとか…」
「あのさぁ…なんで…俺の所に置いていくわけ?」
「…その方が、良いと思ったし。その…オレと、一緒にいない方が、いいような気がして…」
まぁ…オブラートに説明は受けた。
「…所で、アイツは?」
「ハナさんなら。ここの裏口近くでオレを下ろしてからパーキングに停めに行きました…あの兄貴は?」
「寝てるよ…」
僅かに開けたドアの隙間から寝室を覗かせる。
見えたのは、頭まで毛布を被りドアに背を向けるセリの姿だった…
パタンとドアを閉じる。
「あの兄貴は、ずっと寝ているんですか?」
「いや…一回は、目を覚ましたけど…それ以降は、こんな感じ……水分は…」
ペットボトルの中身が、減ってるってことは、少しは口にできてるみたいで安堵した。
「…良かった。いや良かったなでいいのかな? オレ…何って言って顔を合わせればいいのか…」
「…大丈夫じゃねぇーの? 俺よりも、クズって…そうそう居ねぇから…」
「嫌味ですか?……」
「嘘だよ。冗談な」
「なんっすかそれ…」そう言いながらも、笑みを見せるセリの弟は、休憩室の椅子に腰を下ろした。
「オレは、ガキ過ぎて何も理解してこれなかったし。父の浮気も、あの時だけだって…本気で思ってました」
父の姿が、よそよそしく感じたのも、単純に母に気を使っているんだって…
「気を使って…か、そう言うのも、あるのかもなぁ…でも、浮気は裏切りだから…最低なことをした。謝罪してどうにかなるもんじゃねぇよ…」
アサキって人は、深い溜め息みないな息継ぎをして椅子の背もたれに背中を預けた。
「あの…聞いてもいいですか?」
「あぁ?」
「…えっと、なんで…浮気したんですか?」
飲もうとしたペットボトルのお茶の蓋に手を掛ける俺に、シラっとした視線を向ける。
「俺に聞く?」
「ハイ…浮気した人の代表として…」
「代表って……」
ハナが居たら絶対に笑ってるよな…
物怖じしないって言うか…
セリよりも、正直と言うか…
嫌味って言葉を、知らねぇーのか? この兄弟は…
「…えっ…と、なんって言うか…正直に言えば、そう言う時って、浮気相手が…良く見えんだよ。なんかすげーキラキラしてて…それで、比べんの…すげー大事にしてんのに…」
「…………」
「で…見事にのめり込む。やっちゃダメって分かってんのに見比べる。それで…どっかでバレる…両方から逃げられる…」
「…そりゃ…愛想つかされますよ。オレも、若干引いてます…」
正直なヤツだなぁ…
俺も、苦笑いをしている。
「そう言うのを、俺とセリは、マジのを4回、親友巻き込んでのフリを9回かなぁ…繰り返した…」
「…引くなんってのは、カワイイですね…ドン引きしてます…」
そう。
ドン引きでもしてくれれば、良かったんだよ…
「さすがに…兄貴も、キレたり…」
俺は、首を振る。
「キレてたかどうかは、分かんねぇ…それでも、セリは何も言わないヤツで、俺が、浮気してることを知ってはいるんだ。でも、肝心な事は言わない。黙って居なくなる。俺をどう思っているとかじゃなくて、セリの本心が聞きたかった」
どうしても、セリの口から聞きたかった。
「その言葉が、聞きたすぎて色々した。優しくしたり。どっかに出掛けたり…」
「…シルバーアクセ…」
「そう…まぁ…元々、飾りっ気ないから。どうかと思ったけど…半分は、職人の意地みたいな…」
「オレは、それを…突き返すみたいに…スミマセンでした。なんかオレ…」
「ユズキだっけ?」
「ハイ…」
「気にすんな。それ以前に俺は、セリに振られてるし…」
アサキさんは、店のカウンターに顔を出しながら。
透明な小さなケースを、オレの前に置いた。
「指輪…」
蔦で出来た指輪みたいに繊細な蔓の細工の装飾に目がいった。
「凄い…これ…アサキさんが?」
「まぁ…」
「?…アレ? でも、振られたって…」
「指輪を送ろうとしたら。変に勘付かれて、振られた…しかも、送ろうとしたその日に…連絡先…ブロックされた…」
兄貴達の間に、そんな事があったんだ…
「あの…指輪って、つまり…」
「一緒に居たいからに、決まってんだろ?」
寝ている振りしてる僕の耳に…
二人の声が、届いていた。
アサキを、拒否してしまったのは、僕の方なんだから。
早く忘れてくれれば、いいのに…
カランッ、と言うドアベルの鳴る音が、店の方から聞こえた。
「近くのパーキング空いてなくて、少し遠くに停めたらか…時間……?」
二人分のどよめきと、ハナさんらしき人の間が、何とも言えない空気にっていた。
ハナさんの事は、アサキから紹介されて知っていたし。
僕が店番中に、カウンターの中に座っていると品物と納品書を手に訪ねてくる事が多かった。
キラキラしたモノが好きで、いつだったか私物だって言う水晶や自作のパーツとか、改良途中のパーツなんかを、よく見せてくれた。
甘い香りのするタバコが、本当に似合う女の人…
カッコいい人だなぁって印象が、あったけど…
昨日、アサキに担がれてぼんやりとした頭のままここに連れてこられた時にユズキとハナさんが、知り合いだってことを、初めて知った。
びっくりしたけど…
返す余裕がなくて、三人の会話からユズキが、アサキの顔をも知っていたのにも、びっくりした。
「取り敢えず…兄貴が、ここに居るってことは、正直…複雑だけど家よりも…良い気がするから…」
「…うん…」
「あの…何かあったらオレの方から。兄貴に連絡入れます! 兄貴のスマホ…両親の連絡先だけ…一時的にブロック掛けときましたから…」
「…確かにその方が…良いかもね…」
「勝手にって、怒られるかもだけど…これ以上…追い詰めたくないし…オレも、実際…どうしたらいいか…今一…ピンとこなくて…」
バシッ!
背中を、豪快に叩いた音だったらしい。
「いってえ〜て…」
「そんな強く叩いてないわよ。何か辛いなって、思うことがあったら。私にでも、事務所の子にも言いなさい。あと…カノジョちゃんとか?」
「う……」
少し笑いが、起こった。
「…あの…そう言う訳で…兄のことお願いします。本当に…ここで良いのか、分からないんですけど…」
「うん…でも、それは俺も、同じ…」
複雑な表情のまま俺は、笑顔を繕った。
「…だとしても、無意識にアナタの所に行ったのなら兄は、もうどこにも行かない気がして…」
「俺のこと信用してくれんの?」
「んーっ…………」
セリの弟は、苦い顔をしてみせたが、言葉を続けた。
「信用とかじゃなくて…兄は、まだアナタのことが、好きなんだと思う。元気ねぇーし。あんまり食わねぇーし。塞ぎ込んでるし…でもそれは、オレよりもアンタの方が…気付いてんじゃねぇの?」
「それは…」
「じゃ…オレ外で、待ってます。あのまた来るって…兄貴に伝えてください」
店側からセリの弟は、外に出て行きスマホ画面を、見ながら誰かにメッセージを送り始めた。
表情から見ると…
「カノジョちゃんよね…」
「あぁ…」
「今日…休んだから…」
「良いんじゃね? あんな表情できる相手が、居るんなら」
「そうね……じゃ…私も、行くから。何かあったら。私の方からも連絡するわ…」
「うん…」
「あっ…そうそう! 忘れてた。これ…セリさんに…」
そう言うと俺に小さな包みを押し付けてきた。
手に取ると、少し重みを感じるような包みだった。
カランッ…
…ドアベルが鳴って、急に静かになった。
時間が知りたくて、ベッドサイドに置かれた小さな棚の上から、自分のスマホに手を伸ばした。
弟が言ったように両親の連絡先は、ブロックされているようになっていて、それに不思議と安心してしまった。
ガチャッ
不意に寝室のドアが開けられてびっくりした僕は、その場で固まった。
「あっ…」
何も、言い返せない事に気付いた。
「…弟さんが、着替えとか…色々…持ってきてくれたから。後で、確認しといて…」
「……」
「後は、これハナが、セリに渡してくれって… 」
一瞬、俺の方をチラッと見たような気がしたけど、毛布を被っていて表情は、見えなかった。
俺も、この期に及んで顔を覗き込もうとか、そんな気は失せていたから。
店を閉めるからと、部屋を離れた。
いつもの手順で店を閉め終えて作業場に戻ると、そこにセリが何かを持って立っていた。
「何…それ?」
「ハナさんからの…」
セリの手に握られていたのは、原石に近い水晶だった。
「これ…ガーデンクオーツだっけ?」
「あっ…かなぁ?」
俺は、セリの手の平に乗せられた水晶を手に取った。
「ガーデン…クオーツ? あの時の水晶か? 人に散々、グチグチ言って…本人に持ってくるって……」
ハナのヤロー
文句でも言ってやろうかとスマホを取り出した時、セリが俺の服の裾を引いた。
「まって…石言葉…」
あぁ…確かにそんなのもあったなぁ…
「中に入ってる? 内包物? によるけど…信頼とか安定とか…色々あるみたいだけど…癒やしだって…後は地に足をつけるとか…」
「……うん。良い贈り物だな…」
「そうだね…」
一回り小さく見える身体が、愛おしいようで、ほっとけない。
だから。
起きてて大丈夫なのかと、言いたくなるほどに、げっそりとしているセリの姿に苦しさを覚えた。
「まだ…寝てた方が、良いんじゃねぇの?」
「大丈夫…」
「そう…俺…このまま今週中に仕上げないとならないのが、あるから。作業するけど?」
「…ここに、座ってていい?」
「いいよ…」
小さくコンコンと言う聞き慣れた音は、刻印している時の音。
磨いて拭いて歪みがないか、微調整する。
「何を作ってるの?…」
ポツリと呟いた声に振り向くと、座っていると思っていたセリの姿が真後ろにあった。
「…あっ…ペアのバックル…」
「へぇ…」
「イニシャルと記念日の刻印」
「そうなんだ…」
「…………」
ダメだ会話が、続かない。
「何か…飲む? お茶…あっ!」
アサキは、思い出したように休憩室奥のキッチンにある冷蔵庫から小振りなウォーターピッチャーとグラスを持ってきた。
中身は、麦茶みたいな液体が入っている。
グラスに注がれたモノに口を付ける。
「……!っ………」
…正確に言うと、
マズイ。何これ…
恐る恐る僕を見てくるアサキも、何かを察したように変な表情を浮かべている。
「えっと……ハーブとレモングラスの…お茶です…」
やっぱり。
匂いに若干、レモングラスの香りが紛れていたように感じたから。もしかしてとは、思ったけど…
「これ…味見…」
「したよ。でも、何度もレシピ見て作ってもこうなるんだよ…」
レシピ?
※車で移動中のハナとユズキの会話。
「えっ? わざとレシピを間違えて教えた?」
「ハイ。あの時は、本当にムカついてて…兄貴をあんな目に合わせておいて、何がレシピを、知りたいだって思って…」
「マジで?」
「ハイ…」
事実上マズい。ハーブとレモングラスのお茶の被害者は、ハナさんだけらしい。
アサキは、自身で飲みマズイと判断したお茶は、客には出さなかったようだ…
「変だと、思ってたのよ。アイツは、分量とか時間とか、仕事柄キッチリとこなすヤツだから…」
思わず。
クスッと、笑ってしまった。
「笑うところかよ…」
「書いてもらったレシピ見せて…」
アサキは、作業台の引き出しからメモ紙を取り出してきた。
「ハイ。これ…」
セリは、メモに目を通して一瞬黙り込んで俺を見上げた。
「二時間…煮出したの?」
「乾燥の買ってきて…二時間ぐらい弱火で煮出しって…」
「乾燥のは、水出しで二時間。煮出した場合は、五分くらいで特有の黄色味が出てくるから…」
セリの弟くんに図られたって事かぁ〜………
「…どうりで…不味いわけだわな…」あのヤロー…
変な疲労感が、滲んでくる。
「でも、これ…自分で作ったんだ…」
優しく笑うセリの雰囲気に、いつものような柔らかさを取り戻した風に見えた。
「……レモングラスとミントの乾燥したやつまだあるの?」
「あっ…キッチンの戸棚の中に…まだ半分以上残ってる…」
スッと立ち上がって、キッチンに立つセリの姿を見るのは、どのぐらい振りなんだろうか…
手際良くポットでお湯を沸かし茶こしの袋にティースプーンで、分量を測るようにサッと入れてお湯を注ぐと、お湯は五分程して黄色味を帯びた色へと変わっていく。
レモングラスを入れた茶こしを、素早く取り出し。
マグカップに、淹れ立てのお茶を注いでくれた。
「熱いのだけど、大丈夫?…」
「熱くても、全然平気!」
俺は、無意識に首を振った。
振るえそうになる手に力を込めて、マグカップを手に取る。
フワッと、立ち昇る淡いレモングラスの香りは、鼻に抜けるハーブの香りと混じり合って溶けていった。
そして、飢えすぎた味にホッと一息吐く。
「…アサキ?」
「ん?」
「何で、涙目なの?」
「嘘でも、気まぐれでも、また飲めたから…」
気まぐれって言えば、気まぐれなのかも知れない。
アサキは、水分取るのが苦手で暑い時期は、辛そうに見えた。
“ あのさぁ…アンタ…干からびるよ ”
“ …うっせー ”
構内のテラスに暑そうに項垂れている姿を、遠目に見たは、付き合うか、付き合わないか微妙な頃だった。
“ 頼むから。グラスに氷もってきて… ”
“ 飲んだ方が…早くねねぇか? ”
“ 水とか、お茶苦手なんだよ。スポーツ飲料も、甘いし ”
水分を取りたがらないのは、知っていたけど…
この暑さで、水分取らないのは、さすがに…
“ 良いよ。涼しい室内に入るから ”
“ いや…水分取れよ ”
“ 塩分のタブレット舐めてっから大丈夫だろ? ”
“ 大丈夫じゃねぇーし ”
アサキは、フラッと構内に消えていった。
その日、元々、お店に顔を出す予定があったから。
家で作ったレモングラスのお茶を、マイボトルに入れて差入れた。
最初は、凄く怪訝な顔をされたのは言うまでもなくて、要らないと突っ返された。
“ 一口でいいから… ”
“ ………… ”
“ 甘くないし。水っぽくないし。若干…薬…青臭い? 感じするかもしれないけど… ”
その日は、夜でも気温が下がらなくて熱帯夜は、確実。
昼の構内でも、気分が悪いって帰った子もいるって、聞いていたから心配で仕方がなかった。
“ しかも…これ。手作りってやつだろ? 無いわぁ… ”
友達伝いに、仕事柄細かいヤツで…
カレカノを取っ換え引っ換えで、依存してくるのを嫌うからとか、助言みたいな事を聞かされていたから。
一筋縄じゃないって、分かっていたけど…
僕も、半分。
意地になってて…
“ 倒れてもいいの? ”
僕も、僕で弟相手のこういう言い合いには、慣れていた。
マイボトルからグラスに注ぎ入れアサキの前に置いた。
“ 飲んでから文句言って… ”
キッと睨むセリ。
“ ハイ… “
勝手に物腰の柔らかいヤツだと、思っていたから。
普段見せない気迫って言うか、物怖じしない態度に押され言われるがままそれを、飲み込んだ。
淡く香るレモングラスと鼻に抜けるハーブの香りが、よく混じり合って溶けた出した味がした。
“ どう? ”
自分の思い出せる範囲でも、こんなにスーッと水分を飲めたのは、そのお茶だけだった。
“ 美味しい? ”
“ うん。意外と飲める… ”
本心は、普通に飲めるだった。
“ 良かった ”
にっこり微笑むアサキの顔に、心が潤うって、こんな気持ちなんだと、初めて気が付けた。
セリは、乾いた俺に染み込んでくれる唯一の水みたな存在になっていった。
「アサキ?」
セリが、近付いてくる雰囲気に手を伸ばして抱き締めた。
少し…戸惑った感覚が、手の平に伝わってくる。
僕は、このストレートなアサキの気持ちが、苦手だ。
付いて行けなくて…
怖くて、
本来は、嬉しいはずなのに笑顔で近付いてくる事に対して、何を感じているのか、分からない気持ちが、先行して…
陰で何か、言われてるんじゃないか…
本当は僕よりも、好きな人が居て…
そこに行こうとしているんじゃないかって…
両親が、そうだったから。
自分も、そうとは限らないのに…
つい周りを、疑心暗鬼に見る癖が付いていた。
自分が、愛されてる訳がない。
そんな時、アサキの浮気に気付いた。
あぁ…やっぱり自分は、両親みたいに陰で、相手に蔑んだ言い方をされてるんだ。
そう思わずに居られなかった。
避けるしか、出来なかった。
許せない気持ちも、誰かの側に寄り添ってたその足で、近寄ってくるアサキが、気持ち悪かった。
それが、僕を試す演技でもあったと…
半ば強引にカノ役にされた子が、アサキの部屋を訪ねてきた時に……
“ 試させるような事を、しないで ”
って、平手打ちされた。
あぁ…この子は、アサキが好きなんだなぁ…
試させるように仕向けたわけじゃないないのに…
そうさせている僕は、アサキにとって邪魔なんだ。
アサキは、いいヤツなのに僕に関わっているから。
嫌なヤツになってしまう。
それが、
「嫌だった…」
「セリ…」
どう接して良いのか分からなくて、でも好きな気持ちを、表現出来なくて…
どう思われているのか、怖くて聞けなくて…
相手を、傷付けるだけの…
「両親みたくなりたくなかった…」
不細工に泣いてるんだろうな…
陰で、笑われるのかも…
「だから。逃げたのか…」
「…うん…」
そう頷くアサキは、どこかホッとしたような表情で僕に、擦り寄ってきた。
「セリは、俺にどう思われていたい?」
「えっ…」
「人を試した俺が、言うなってセリフだけど…」
ギュッと力強くアサキは、抱き締めてくる。
「好き過ぎるんだ。俺もセリに、どう思われてんのか、怖くて聞けなかった…」
その言葉に、ずっと押し込んでいた嫌な気持ちが、ほどけるような感覚になった。
お互いに見合わせた顔は、ぐしゃぐしゃで、笑ってしまった。
取り敢えず話し合おうって…
なって…
「あのさぁ…アクセを着けなかった理由って…」
「どうして良いのか、分からなかった。自分が、どれだけアサキを好きだとか、本当に好かれてるのか…分からなくて…って、理由はおかしいね…」
「俺も、はっきり言えばよかったんだ…」
アサキは、少し冷めたお茶を飲み込む。
「入れ直す?」
「大丈夫…」
「俺も、セリの気持ち知りたかっただけ…」
「うん」
「じゃさぁ…ピアスは?」
俺は、ポケットから青い石のピアスを取り出しテーブルに置いた。
「それは…」
「ピアスホール。開けてるの知ってたから…」
「………」
「ん? セリ…」
「その何と…なく?」
「気にいった?」
「えっと……」
どう思わられていてもいいけど、セリが困った顔をするから。
ゴメンと声を掛けた。
セリは、ピアスを手に取ると左耳に着けて見せてくれた…
照れたみたいに視線を外しながら下を向いて……
「青い石似合ってる」
「…ありがとう…」
まだ関係が、ぎこちない。
普通に話さているようなのに、話せない。
旗から見たら俺は、浮気性でセリを散々振り回して傷つけた事に、変わりはない。
「もう一度、俺と付き合って欲しい。今直ぐには、難しいと思う。もしかしたら図々しいかも知れないけど、待ってもらえるよりも、今度は俺が、待ってる…ってのは、迷惑かな…」
ハッとなるセリの表情は、驚きか、拒否か…
セリだって、こんな俺にもう一度、告られても……
「あの…」
「ん?」
アサキを、そうさせてしまったなは、僕だから。
もっと素直に今みたいに言い合えれば…
両親は、両親。
僕は、僕の気持ちをちゃんと伝えれば、こんな溝は、生まれなかった。
「やっぱ、難しいよな…」
違う。
こんな事を言わせたい訳じゃない。
「…アサキ! こんな歪な僕達でも、やり直せると思う?…」
色々な言葉を並べても、不安で仕方がないのは、セリも同じか?
「いっぱい話そうか?…好きも嫌いも、何が良くて悪いのか、不安なこと、互いにぶつけ合って…そしたら。前よりも、一緒に居られないかな?」
翌日の朝。
「……で、どうなったの?」
「右に同じ…」
ハナとユズキの二人は、冷たいレモングラスとハーブのお茶を飲みながら休憩室の中央に置かれた椅子に座って、俺達に向かい合った。
「それは、解決できたの?」
「…えっと……(俺の方をセリが見上げる)何となく…」
「何となくかよ……」
そう言ったのは、セリの弟のユズキだった。
今日も、学校を休んだらしい。
「何となくって、訳じゃないよ。ただ…誤解みたいなのが、何となく無くなったみたいな…」
「よりを戻すの?」
「あぁ…それは、昨日の今日で、そこまでには、いってないって言うか…おいおい…」
「…はぁ~……」と、二人同時に溜め息。
「あの…ユズキ!」
「…いや。別に兄貴が、良ければ、オレが、どうこう言うのもおかしな話だろ? より戻すとかも、誤解とかモヤモヤしたものが、少しでも消えたんなら…また考えればいいじゃん…」
「うん…」
「…ただ…兄貴だけが、一方的に傷付いたとか、兄貴が原因でない騒ぎあっとしたら。その時は、その時だし…」
ジッとりとした視線が、容赦なく俺に向けられる。
「そうならないように僕も、気を付けるよ」
意外とセリは、はっきりと物事を言えるタイプなのでは? と、今更ながら思ってしまった。
「ね?」
「うん。そうだな…」
まぁ…確かに全部を許してくれたのか、疑問視したくなるけど…
二人して悪かったって、結論付けっちまったから…
「なに?」
「何でも」
「ラブラブかよ…」と、ハナがまたお茶をすすりながら頬杖をつく。
「あの…そう言えばなんっすけど、アサキさんに相談が…」
「ん? 俺?」
「ハイ。その…オレのカノジョも、シルバーアクセ好きらしくて…今度の事話したら…見に行きたいって言われて…店にお邪魔しても良いかって…」
意外な打診を受けた。
「良いよ。連れてきなよ。説明ならセリに任せてるあるし…」
兄貴の笑った顔。
久し振りに見た。
ハナさんが、言ったラブラブかよ。が、しっくりきた。
ハナさんは、納品があると一足先に帰っていった。
残されたのは、オレと兄貴達。
兄貴は、無理の無い範囲で店番をすると店のカウンターに座っている。
オレは、アサキさんの作業場に入れさせてもらった。
「…あの…間違ったレシピ…スミマセンでした…」
「あぁ…別に良いよ。ユズキからしたら許せないって、気もちが強かったろうし…」
スッと顔を上げて、店の方を眺めるアサキさんは、意外な程にも優しい顔で、兄貴の後ろ姿を眺めている事に気が付いた。
二人は、ずっと前から…
こう言う二人なんだ…
ホント。この関係性が、しっくりときすぎて…
一言文句でも言ってやろうとしてたオレは、苦笑うしたなかった。
「あの…兄貴のこと…お願いしますね」
「……んーっ…まぁ…どうなるか分かんねぇけど、まずは、セリに飽きられないようには、なりたいわなぁ…」
オレ達は、笑った。
「…どうしたの?」
笑い声が、店の方に聞こえたのか、兄貴がヒョコっと顔を出した。
「オレ。もうそろそろ帰るよ。荷物放置してるし…修行も兼ねて居候させてくれる事になったし」
「そうなんだ…」
「あのさぁ…」
「うん」
「母さんから。連絡が、来た」
「何って?」
「離婚したから隣町の実家に帰ったって…」
「即行動の人は、違うね…」
「そうなんだけどさぁ…昨日の昼間、オレ家に戻ったんだよ」
「あぁ…荷物取りにって、言ってたね…」
「兄貴…起きてたの?」
「ぼやっとね…」
「ふぅ〜ん」
で?
と、聞き返してくる兄貴は、少し調子が、戻ってきたらしい。
「それがさぁ…聞いてくれよ。オヤジなんだけど…」
「うん。で?」
「オヤジは、今の家にそのまま住むつもりみたいで、家に帰ったら。なんか知らない女がいて…ムカついて…ハナさんに紹介してもらってた即日OKの引越し業者さん呼んで、昨日のうちに俺と兄貴の荷物を、段ボールに全部詰めてもらって、母さんの実家に送って保管してもらってる…」
その話には、さすがのアサキも顔を出して…
「修羅場?」とか、聞き返してきた。
「…なのかなぁ…取り敢えずは、分かった…」
あまりにも早口な言葉に兄貴は、戸惑ってしまったようだ。
「後、オレはまだ未成年に近いし兄貴も、学生だし。なので、オレは、母さんに付いていくから。一人暮らしするにも…保護者って欲しいだろ?」
「そうだね…」
「だからさぁ…ってのも、変だけど…その兄貴も、好きにしろよ。俺は、来年の春には、ハナさんの所で働いて修行していくし…」
弟の真剣な目は、力強い。
昔から。
こう言う時の母似の決断力の速さは、弟には叶わない。
「そっか…分かった」
「えっと……オレ、バスでハナさんの所に戻るから」
「バスの時間大丈夫?」
「平気。直ぐそこのバス停だから。じゃ…オレ行くね!」
「気を付けてね…あっ…ちょっと待って…」
兄貴は、マイボトルに入れ直したハーブとレモングラスのお茶を、オレに差し出した。
「………」
「ユズキも、ちゃんと水分取らないとダメだよ」
やっぱり。
兄貴は、兄貴だ。
優しいけど、しっかりしてて…
一途で、危なっかしくて…
「ん? どうしたの?」
「……あぁ…」
オレ兄貴に謝ってない…
「あの…ゴメン。兄貴!」
高速で、ユズキは僕に頭を下げた。
「…ファミレスで、酷い事いったろ?」
「あぁ…あれね…」
「兄貴はさぁ…昔から。オレの盾になってくれたり。絶対、側に居てくれた。オレ兄貴は、凄いって思ってる…」
「そんな事ないよ。冷静で居られたのは、ユズキが居たからで、僕一人だったら。こんな風に居れなかった思うよ…」
ここにも、居なかったと思ってる。
僕は、咄嗟に後ろ手でアサキの服の裾を引っ張るとアサキは、一瞬。戸惑うように僕を見下ろしながらも、その手を後ろで握り返してくれた。
ホッとするぐらいに温かい手が、力強くて少し嬉しくなった。
「じゃ…オレ本当に時間ヤバいから。行くね」
「うん。頑張って!」
いつも通り元気に走り出していく弟はこれで、大丈夫だと確信した。
けど…
「…あの…手…いつまで、握ってんの?」
「なんだよ。自分から掴んできくせに…久し振りなんだから。少しぐらい。手ぇ…握ったて良いだろ?」
「……えっと……」
「そこで照れるな…」
「だって…握り返されるとは、思ってなかったから…」
アサキは、大きく大袈裟なぐらいな手振りで、僕を抱き締める。
その腕は、温かくて何も変わってなくて安心してしまった。
「…セリ…ここに居ろよ。もう…居なくなられると、困るから…」
ゆっくりと、過ぎてく時間も…
早く過ぎていく時間も、
どこにでも、普通にあるけれど…
それは、誰にでも当てはまって…
多忙な人とか、目標のある人の時間は、早く過ぎる。
こうやって…
誰かと一緒に過ごす時間は、ゆっくりと過ぎていったり。
楽しすぎて、その逆もあったりして…
朝。目が覚めて、朝ご飯作って…
それを一緒に食べて…
片付けて…
そう言う時間も、悪くないって最近、また思い始めた所なんだ。
終わり。
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