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そんなときに話しかけてきたのが西田さくらだった。
「何を描くのが好きなの?」
突然の質問に思わず「え?」と返してしまう。そんな私の戸惑いの声が聞こえなかったのか、さくらは、隣の席に座り、淡々と新聞紙を広げ、油絵バックの中から、パレットや油絵の具を出し始めた。
(油絵をやるのか…)
正直迷惑だと思った。油絵の具は、アクリル絵の具や水彩絵の具と違い、水に溶けないため、専用のオイルをつかう。私は、この油のにおいが苦手だった。嫌な油のにおい。喉の奥に魚の小骨が刺さったような、そんな不快になる臭いだ。
「あ、ごめん。突然話しかけて。でも、話したことなかったから」
嘘のない理由に、正直な子だなと思った。確かに入部して半年経っても、私は友達らしい友達が部内でできていなかった。しかし、私から周りの子に話しかけるのは嫌だった。頑固なプライドと言ってしまえば、それまでだが、絵のことを輝かしい目で語る子や、部活外の熱中していることを、嬉々として話されるのは苦痛だったからだ。
「私はね、花の絵を描くのが好きなんだ。」
聞いてもないのに、さくらは話を続けた。この子は、前者の子か、と思う。
「花って、言っちゃえばモノじゃない?でも、実物とか写真とかよく見て観察していると、笑っていたり、何となく寂しそうだったり、表情があるように思えるんだよ。」
花に表情?そんなこと言うのは、おとぎ話に出てくる小鳥と話す少女くらいだ、と思った。そんな気持ちが顔に出ていたのかさくらは言った。
「ふふ。変な子って思ったでしょ。そうかも。で、はづきちゃんは何を描くのが好きなの?」
自分が話したんだから、次は話せということか。
「今は、空の絵を描いているよ」
「ほんとだ。上手だね」
上手ではない。すぐにお世辞だと思ったが、さくらの目は嘘をついているようにも見えなかった。
「はづきちゃんは、空の絵を描くのが好きなんだね。」
好きではない。インターネットで夏の展覧会に出す用の作品の参考写真を選んでいるとき、書きやすそうだと思ったからだ。空は、青のグラデーションを入れればそれっぽくなるし、画用紙の下の方に人や建物のシルエットを描けば、手抜きにも見えない。
「ありがとう。でも、別に上手じゃないよ。それに、空を描くのが好きってわけでもないんだ」
「そうなの?でも、ここの電柱の影の部分とか好きだよ」
さくらは、私の絵を指して言った。絵を褒められるのは初めてだった。嘘でも、お世辞でも単純にうれしい。
それから、さくらは続けて言った。
「ねえ、『影』と『陰』の違いって知ってる?『影』が太陽とかの光源を遮って、暗くなった地面の部分。『陰』が、光があたらなくて暗くなっている対象物の部分なんだよ」
いきなり豆知識を披露されて、返す言葉に迷っている私を無視して、さくらはさらに続けた。
「影も陰も、暗いところだから、なんか沈んだイメージになっちゃうけど、その分光があたっているところもあるってことだから素敵だよね」
夢見る乙女のような表情に思わず、笑ってしまった。さくらは、そんな私に少しむっとした反応だったが、すごく素敵な考え方だとおもった。
陰ばかりの私にも探せば、光のあたっている部分があるはずだ。
そこから、私も本格的に部活動に力を入れ始めた。
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