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 樹一は事務所へ駈け込んだ。事務所には業務専用のパソコンが何台も並んでいる。朝早いので事務所にいたのは、店長の林と精肉部チーフの藪塚豊の二人だけだった。おはようございますの挨拶をそこそこに、樹一はパソコンを開いたて発注画面を見つめた。  メーカーとオンラインになっている発注システムは、いつ、何が、どのくらいの数量が納品されるか一目瞭然になっている。必要な発注数量を打ち込むのは社員やパートの仕事だった。樹一は自分の打ち込んだ数量を見て愕然とした。30とすべきところが3000になっていたのである。樹一は自分の体内の血液が逆流するのを覚えた。いったい、どうして?  樹一はパソコンのキーボードを睨んだ。テンキーがこれほど憎らしく見えたことはなかった。発注するとき、ぼーっとしていたのだろうか。  樹一の異変を察知したのか、精肉部チーフの藪塚が傍にやって来て、パソコンをのぞき込んだ。 「お、いなり3000個だ。お前さ、そそっかしいから、30にゼロを二つもくっつけたな。どうすんだよ?」  藪塚は蛇のような目つき人でミスを嗤ったり、自部門の営業数値向上のためなら、他部門の売場に自部門の商品を平気で並べたりする嫌な野郎だった。ただ、どういうわけか上司のウケは良かった。 「うるさい!」  樹一は一喝すると、猛然と電卓を叩き始めた。  いなり1個売価は90円。30個だと2700円。3000個だと27万円だ。3000個売れば売上に貢献できるが、それだけの数量を売るためには、3000個をパック詰めする労力も必要だ。仮に他部門の応援をもらって捌いたとしても、1パック4個入りで750パックも作らなければならない。はたして750パックが売れるのか? 答えはノーだ。なぜなら、今までの最高販売記録が115パック。それも天候に恵まれて、広告掲載で、それなりの売場を作ったから、売れたのだ。今回は違う。115パックの7倍の数量なのだ。どうする? 今日の天気与件は雪、安売りして頑張っても、50~60パックが限界だろう。あと700パック残る。もし廃棄すれば、個数で2800個、売価で252000円。とんでもない損失を与えることになる。樹一は頭を抱えた。 「おーい、花岡。聞いたぞ!」デリカチーフの田島が事務所に飛び込んで来た。「お前、いなり3000個も発注したんだってな。どうすんだよ! 死に物狂いで売れよ!」 「はい、すいません。打ち間違えました」  その時、事務所の奥の方でガタンと大きな音が響いた。店長の林の横にに、精肉部チーフの藪塚がいて、成り行きを報告したらしかった。林店長が鬼のよう顔で立ち上がった。 「どういうことだ。花岡樹一、説明しろ! いや、そんなことよりも、3000個、値下げしてでも売り切れ!」  林店長は樹一に詰め寄った。 「いや、無理ですよ。せいぜい、500がいい所です…」  樹一は蚊の鳴くような声で呟いた。 「よし。では残りの2500個は君が買い取れ。徳島も半分買ってやれ」 「えー」   樹一と田島は顔を見合わせた。
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