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夕陽が校庭を赤く染めていた。
「河合翔太君、アナタが好きです。付き合って下さい!」
葉桜の下、頬を染めた彼女はそう言うと唇をキツく結んだ。
彼女は同じクラスの早野彩香。去年のミスコン優勝者。高二になって同じクラスになれた時は天井に頭をぶつけてしまうほど飛び上がって喜んだ。だって彼女は男子なら誰もが憧れる高嶺の花だから。
心臓はバクバク、身体が軽い。今なら宇宙まで飛んでいけそう。答えは決まっている。
落ち着け、落ち着け!
僕は深呼吸してから口を開く。すると彩香がこう言った。
「って、私の影が言ってます」
はっ?僕は開いた口を閉じて聞き返す。
「今、なんて言った?」
「えっと、アナタを好きで付き合いたいのは私の影です」
「影?」
「はっ、はい」
僕は彩香の伸びた黒い影に視線を落とした。まさか彼女は頭がイッちゃってる娘なんだろうか?いや、でも学年でトップクラスの秀才のはず。
「私は河合君の影が好きです」
彼女の声を聞いて僕は顔を上げた。
「僕の影?」
「あっ、えっと……そうです」
ちょっと、待て!頭がパニックだ!
整理して考えてみよう。彩香の影は僕が好き。彩香自身は僕の影が好き。僕はどっちが好きだ?
いや、考える箇所はそこではない。そもそも影って太陽とかライトとか光の角度でできるもんだろ?影に意思はあるのか?振り返れば十七年間、僕は影に意思があるなんて想像したことすらなかったぞ。
「少し時間をくれ」
僕はそう言って彼女に背を向けた。
だがパニックは終わらない。その夜、自室で起こった。
僕は白い壁に薄っすら映った自身の影に驚愕することになる。影が泣いていたからだ。影は僕にこう言った。
『僕は早野彩香の影が好きだ!』
僕はダッシュで階段を滑るように下りリビングの扉を開くと家族に向かって叫んだ。
「影って生きてるの?なあ、どうなの?」
ソファーに座りテレビを観ていた両親が振り返る。
「なに?突然」
ダイニングテーブルに座った二歳下の妹は無表情でスマホと睨めっこしている。僕は妹に顔を向けた。
「お前の影は喋るか?」
妹はスマホ画面を見たまま、ぶっきらぼうに答える。
「喋るよ」
「はっ?」
「だから喋るって言った」
父も母も影には意思があると言う。父が言った。
「父さんと母さんが結婚する時、影も結婚したんだよ」
両親の説明はこうだ。結婚とは当人同士と影の相性で決めるんだそうだ。
僕はリビングで絶叫した。
「そんなこと、今までひと言も言わなかったじゃねーかあーっ!!」
その夜、僕は影と語り合った。僕の影は彩香の影と付き合いたいのだそうだ。だから僕に協力してくれと懇願してきた。
しょうがない、自分の影のためだ。
翌日の放課後、西陽の差す校庭の隅で、僕は彩香の影の告白にOKした。
だいぶ影のことが分かってきたので説明しよう。当然だが、光がないと影はできない。これも当たり前だが、影は自分についてくる。で、ここからが問題なんだけど、会話できるのは自分の影だけで他の人の影とは話せない。
つまり、彩香の影とデートしたかったら彩香自身ともデートするってことになる。
日曜日、僕と彩香の影は映画を観る約束をした。待ち合わせはモールの南口。時間通りに行くと彩香が待っていた。
黒いボブカットに清楚な白いワンピース。半袖から伸びた白く柔らかそうな腕がたまらない。素顔だけど、彼女は猫から盗んだ瞳を輝かせていた。
誰にって、僕の影にだ。だってアスファルトばかり見てるから。太陽が天頂付近なので、僅かしか影がないが彩香は影に「今日は記念すべき初デートですね」って、はにかむように微笑む。その後、僕に顔を向けた。
「河合くん、影はなんて言ってる?」
僕は下を見て影の声を聞く。
『本体に興味なし』
そして顔を上げた。
「とても嬉しい。君は可愛いって言ってるよ」
「いやだ!恥ずかしいですぅ〜」
頬を染めて喜ぶ彼女はマジクソ可愛い。今度は僕の番だ。
「今日は初デートだね。嬉しいよ」
彩香は真下に顔を向けてから僕を見た。
「白いTシャツとダメージジーンズが、見慣れてる制服と違ってカッコイイって言ってるよ」
「そうか、良かった」
これが彩香本人からの言葉なら嬉しいんだけどな。
後、会話してないのは、影同士と僕達の本体だ。僕の影は彩香の影を『好き好き』うるさい。そんなこと言ったら彩香が傷つくだろうが!
彼女は真下を向いているが微妙な様子。
僕達は会話することなく館内のシネマへと向かった。既に映画の予告が始まっていて場内は暗い。この映画は人気なようで僕達は最奥の隅席に並んで座った。
映画は感動もので男女が抱き合って愛を誓うラストシーンが泣ける。隣に横目を流すと、彩香も泣いていた。
が、映画終了後、僕らはとんでもない事態に気づき、慌ててモール内から外に出た。二人、顔を見合わせて尋ね合う。
「映画館に影ってなかったよね?」
互いの影に聞くと、影は映画が観れなかったそうだ。これは完全な失態。その後、僕達はコンビニでサンドウィッチやお菓子、ドリンクを購入すると公園に移動した。
太陽が西に傾いて東に影が伸びているのを確認してから、僕達は遅いランチをとることにした。影がちゃんと足まで伸びるよう、僕と彩香は横並びに立ったままサンドウィッチを頬張った。
ベンチに座ってる人や通行人から異様な目で見られるけど、その人達だって分かるはずだ。だって影には意思があり生きてるんだから。
サンドウィッチを食べ終え、ジュースを飲んでいると彩香が小声で呟いた。
「河合君のジュースどんな味?」
「どんなってコーラだけど」
「コーラ、飲んでみたいな」
「えっ?」
「コーラが飲みたい。私のバナナミルクと交換して」
今、僕の視線は彩香の持っている紙パックジュースのストローに注がれている。ジュースの交換ってことは、つまり間接キスだ。デート初日から、こんなラッキーがあっていいのか?
僕を見上げる彼女。
「って、私の影が言ってる」
(あっ、だよね。そうなるよね)でも影に感謝だ。僕はペットボトルのコーラと紙パックのバナナミルクを交換した。彼女は戸惑うことなくコーラを飲んでいる。だから僕もストローを吸った。
甘い甘いバナナミルク。これが彩香の唇の味なんだろうか?そんなことを考えると心臓は破裂寸前だ。すると隣から「ゲフッ」と聞こえた。炭酸あるある、彼女がゲップしたのだ。
「ご、ごめんなさい」
彩香が恥ずかしそうにしていたので、僕は彼女の手からペットボトルを取り一気飲み。
「ゲフア〜っ!」と盛大なゲップをかましてやった。
「やだぁ〜、河合くんったら可笑しい」
彩香が口に手をあててコロコロ笑う。その笑顔がもっと見たい。その後、僕はジョークをまじえ変顔を披露。彼女は腹を抱えて笑ってくれた。
並んで歩く帰り道、僕は思い切って彩香に言った。
「手を繋いでもいい?」
「うん」
互いに探り合うような指先が触れて手を繋ぐ。彼女の手は小さくて壊れちゃいそうで……少し冷たかった。僕の熱が彩香に伝われば良いのにと思う。その熱が彼女のハートに届いて火をつけて欲しい。
長く伸びた二人の影は幸せそうに寄り添っていた。
翌日、僕と彩香が付き合っている噂がクラス中に広まり、友人達は身悶えた。前席に座る親友の真下優弥は僕のデスクを拳で叩いた。
「容姿もたいして良くない、成績は中の下、運動神経ゼロの帰宅部、彼女いない歴十七年!そんなお前がなぜ、あの彩香ちゃんと付き合えるんだ?なあ、教えてくれ?これは夢だよな?」
「うん。僕も夢だと思ってる」
「彩香ちゃんは、翔太のどこに惚れたと言ってる?」
「えっと、影だって」
「影?」
優弥は細い目を限界まで開く。
「それは、お前の影がイケてるってことか?」
「うん、そうらしい」
暫しの沈黙。その後、優弥は「アホらしい」そう言って、僕に背を向けた。
昼休み、購買に走ろうと廊下に出ると彩香が声をかけてくる。彼女は目立つので、みんなの視線が刺さって痛い中、彩香はこう言った。
「お弁当作ってきたの。屋上で一緒に食べない?」
夢は、今日も続いているようだ。
屋上は太陽の照りつけが容赦ない。僕達は建物の影に座り弁当を食べることにした。まずは卵焼き、ダシがきいていて凄く美味。
「うまっ!」
「本当?」
「マジマジ!」
他には唐揚げ、、アスパラのベーコン巻き、赤いタコウィンナー、マカロニサラダ。僕はおにぎりを頬張った。中身はシャケ、超絶に美味しい。
「ホントに美味い!なんかカラフルで母ちゃんの作る弁当と全然ちげーわ」
「河合君のお母さんはどんなお弁当を作るの?」
「あー、えっと一度はサンマの上に父ちゃんが齧ったキュウリの浅漬けが乗ってたな」
「サンマの上に齧ったキュウリ!」
「キャハハ!」
彩香は箸で挟んだタコウィンナーを揺らして笑う。僕は続けて言った。
「サンマの横には餃子、隣に味が染みた大根。みーんな大根から出る汁で溺れてたよ。助かったのは父ちゃんが齧ったキュウリだけ」
「キャハハ!待って待って、笑いすぎてお腹が痛い!」
これは本当のことだ。だから僕は昼メシを購買で買っている。楽しいランチタイムは終了。放課後、一緒に帰る約束をした。
西陽が染めるオレンジの中で、僕らの会話はピョンピョンとウサギみたいに弾む。帰宅の分岐路までくると僕はスニーカーを止めた。
「また、明日な」
「うん」
「じゃあな」
「うん」
言葉とは真逆、繋いだ手を互いに放そうとはしない。
「ちょっときて」
胸の底から気持ちが込み上げて、僕はたまらず彩香の手を引いて雑居ビルと店屋の路地裏に入る。そして彼女を抱きしめた。
「河合君……」
閉じ込めた腕の中からくぐもった甘い声がする。僕は彼女のツムジに顎を置いた。
「河合君じゃない」
「えっ?」
「翔太って呼んで」
少し間が開き細い声がする。
「しっ、翔太」
「うん、いい感じ、早野さん」
「早野さんじゃない」
「えっ?」
「彩香って呼んで」
「あっ、彩香」
「はい」
今日、一日を燃やした夕陽がビルの谷間に沈んでゆく。夜が訪れる一歩手前、僕らは口づけを交わした。
その夜、自室の壁に映った影はこう呟いた。
『翔太が羨ましい』
「あっ、ごめん、路地裏に入っちゃっから君は消えちゃったよな」
『僕も彩香とキスしたい』
「うん、君は彼女の影が好きなんだもんな。明日はちゃんとキスの影を作るから」
『じゃなくてさぁ〜』
「えっ?なに?」
『誤解するなよ。翔太を好きなのは、彩香の影で君自身じゃない』
「分かってるよ」
『彩香が好きなのは君の影である僕なんだ』
そう……だよな。さっきまで浮かれてた気持ちが地に落ちる。彼女が好きなのは僕じゃない、影なんだ。
次の日も、翌日も、彼女は僕に弁当を作ってきてくれた。だけど、素直に喜べなくて沈んでしまう。
ある日の昼休憩、彩香は手に持ったランチバッグに目線を落としたままこう言った。
「ごめん、翔太に嘘ついてたことがある」
「嘘?なに?」
「お弁当、本当は私が作ったんじゃない。ママに作って貰ってたの」
生暖かい風が屋上を吹き抜ける。僕は顔を傾けた。
「ママ?」
「うん、本当の私は料理なんてできない」
「そっか」
「でも……」
「でも?」
「作ってきた」
「なにを?」
「今日は、早起きして私がお弁当を作ってきたの。だけど失敗しちゃって……」
彩香はランチバッグを抱えて涙ぐんでいる。
「こんな私じゃ、翔太に嫌われちゃ……」
彼女の言葉を待たずに僕はランチバッグを取り上げる。そしてコンクリートにあぐら姿勢で座り弁当箱を取り出すとフタを開けた。
卵焼きらしきモノが黒く焦げているのが目に止まる。焦げてるのは横に並んだハンバーグも同じ。彩香の手作り弁当は全体的に火事の焼け跡みたいだった。
僕は箸を持つのも忘れ、それらを指でつまんで次々と口に放りこむ。三日ぐらい食事を抜いたヤツみたいにガッツいた。彩香は膝を落として僕の手首を掴む。
「ダメ!そんなの食べたらお腹を壊しちゃう!」
「うるさい!」
僕は彼女の手を振り解き、一心不乱に食べ続け、あっという間に弁当箱を空にした。
空に向けてゲップを放つ。ちなみにゲップは炭味だ。
「バカあ〜!」
彩香は泣いている。僕は空を見上げたまま口を開いた。
「なんでも美味いんだわ」
「えっ?」
「彩香が作ったモノならどんなに不恰好で焦げてても美味いってこと」
「翔太……」
「だから明日も作ってきてよ」
「でも、不味い……」
「不味くない!」
「不味い!」
「まずくなっ……」
ムッとして言い返そうとすると、彩香が僕に抱きついてくる。手から滑るよう落下する空の弁当箱。僕は力いっぱい彼女を抱きしめた。
気持ちが明確になる。彩香、僕は君が好きだ。
その日の放課後、今まで話したことがなかった女子クラスメイトが帰り支度している僕のデスク前に立った。
「河合君、身体に異変はない?」
「へっ?」
「だから身体に異変はないか聞いてるの」
思い返して見ると、最近、食欲がなくダルい。だが、気のせいだ。
「別に……」と、僕は答えた。
彼女の名前は、確か、東天利。寺の娘らしく、変わり者と評判の女子生徒。
彼女は眼鏡のフレームを正位置に戻した後「あっそ」と言って去っていった。
なんだ、あの娘?気にはなったが、窓際席に顔を向ける。彩香は友人達と談笑中。一緒に帰る約束なので僕は自席に座り待つことにした。
「あれ、翔太、帰らねーの?」
サッカーボールを片手に優弥が声をかけてくる。でもすぐに彩香の方に顔を向けて「そういうことか」とニヤけた。
「いいよなぁ、お前は!俺も彼女が欲しいよ」
「いや、僕と違って、お前は普通にモテるだろ?サッカー部のスタメンだし」
「いやいや、モテねーし。マジで彩香ちゃんにモテたお前が羨ましいわ」
「モテたのは僕じゃなくて影なんだけどね」
「影」
「うん、影」
優弥はボールを床に転がして前席に股を広げて座り背もたれに両手をクロスした。
「なあ、お前、この前からなに言ってんの?」
僕はデスクに頬杖をつく。
「だから、彩香に告られたのは僕じゃなくて僕の影なんだって」
「それマジで言ってる?」
「マジだよ」
「影って光の加減でできる黒いヤツだろ?」
「ああ、お前にもあるだろ?影は生きてるんだよ」
「はっ?生きてるわけねーだろ!」
「いや、生きてるんだわ」
「生きてるわけねぇ!」
「お前、知らなかったのか。影に話しかけてみろよ、答えるから」
「マジか?」
「マジだ」
優弥は教室にできた自分の影を見下ろしジーッと見つめた後「元気?」と話しかけた。
少しの沈黙が流れる。彼は僕に顔を戻しこう言った。
「やっぱ、お前、頭おかしいわ」
「本当だし!じゃあ家に帰って両親に聞いてみろよ。生きてるっていうから」
優弥は首を回して後方にいる男子に声をかける。
「おい、阿部!お前の影って生きてるか?」
「はっ?」
阿部君の黒縁メガネがズリ落ちた。
「異世界ならあり得るけどリアルではないかな」
その声が届いたのか、彩香を囲んでいた女子グループがこちらに振り向いて「クスクス」笑う。一人の女子が言った。
「影は影でしょ?生きてるわけないじゃん」
瞬間、僕と彩香の目が合う。彩香は一旦、俯いてから出入り口に向かって走り出した。
「ちっ、ちょっと待って!」
僕は慌てて立ち上がると彼女の後を追いかけた。逃げる彩香の腕をやっと掴んだ場所。それは屋上だった。
僕は荒い呼吸を殺して彼女に聞いた。
「なんで逃げるの?」
黒髪は振り向かない。声だけが聞こえた。
「本当はちゃんと告りたかった」
「えっ?」
「でも、告った後に間が開いたでしょ?だから断られると思って嘘ついちゃったの」
「嘘ってなに?」
「私の影が翔太を好きって言ってるって」
へっ?ちょっと待て、パニックだ。やっと振り向いてくれた彼女はこう言った。
「その後、すぐに後悔して言い直そうとしたら頭がパニくってて、翔太の影が好きって言っちゃったの」
「だっ、だって初デートの時、僕の影に話しかけてたよね?」
「あれはノリのつもりだった。まさかアナタが本気にするなんて思わなくて。だけど翔太が本気で信じてるって分かってから撤回できなくて嘘に嘘を重ねちゃったの。本当にごめんなさい」
「それは、つまり彩香が最初から好きだったのは僕本人ってこと?」
「うん」
「もう一つ聞いていい?」
「なに?」
「君は影と会話できるの?」
「できるわけない」
「影は生きてないの?」
「生きてるわけない」
彩香は少しだけ頬を緩めた。
「翔太、影は影だよ」
その夜、リビングで僕は両親に同じ質問をすることになる。
「教えてくれ、影は生きてるんだよな?」
両親は顔を見合わせてから「ブッ!」と吹き出した。父が笑いながらこう言った。
「急に何を言いだすかと思ったら、影が生きてるわけないだろ」
「だって父さんも母さんも影は喋るって言ったじゃないか!結婚する時、影も結婚したって」
「いやだ、この子ったら本気にして」
母は三段腹を揺らして笑っている。父がポンッと僕の肩を叩いた。
「ジョークだよ。影が生きてるわけないだろ」
僕は床に寝そべりスマホを見ている妹に視線を下げる。
「お前、影は喋るって言ったよな」
妹はスマホに目線を固定したままこう言った。
「普通、本気にしないっしょ。お兄ちゃんってバカなの?」
なんだ、影は影。生きてるわけがなかったんだ。騙され一人であたふたしてた自分がバカみたいだ。僕は安心して階段を上がり自室の扉を開く。すると廊下の照明に照らされて僕の影が部屋の中に黒く伸びた。
ここでハッと気づく。僕は確かに自分の影と喋ってたことを……。あれはパニックに陥った脳が起こした幻覚だったんろうか?
影をじっと見据える。影は黒い僕の形のまま動かない。
「まあ、そうだよなぁ〜」
安堵の息を吐く。だが直後、影がゆらりと揺れた。
ーーーー
翌日の放課後、彩香を囲む女子達のハシャぎ声を聞きながら自席に座っていると、寺の娘、東天利が話しかけてきた。
「ねぇ、もう一度、聞くけど体調に変化はない?」
顔を上げて笑顔で答える僕。
「ないよ」
「本当に?」
「うん」
「おかしいなぁ〜」
余利は腕を組んだ。
「一応、心に止めといて欲しいから言うけど、君、悪霊に取り憑かれてるよ」
「悪霊?」
「うん、君の影に取り憑いてるような気配がする」
「影に?」
「そう。悪霊ってね、まず影に取り憑くの。で、徐々に対象者の生気を吸い取り力を増大させて本体へ憑依する」
その時、彩香達、女子グループの一人が叫んだ。
「ええーっ、怖い、影って怖い!」
「怖いよ。しかも本体に憑依されたら最後。その人はずっと影になる。だから手遅れになる前に救いたいの」
彼女の言葉を聞くや否や皆の視線が天利に集中した。西陽の差し込む教室で誰もが自分の影に目線を落とし騒ぎはじめる。天利が冷静に言った。
「でも悪霊はね、悪魔との契約が必要だから誰もが悪霊になるわけじゃない」
一人の女子が聞く。
「えっ、どんな人が死んだら悪霊になるの?」
「この世に強い未練や憎しみのある者」
その女子は「あっ!」と声を発し彩香に顔を向ける。
「先月、彩香に告白した先輩は大丈夫かな?彩香の影に取り憑いてない?」
「あっ……」
表情を悲し気に変える彩香。
「三年二組の池中謙也先輩。まさか告白を断った後、校舎の屋上から飛び降りて自殺するなんて思わなかった。責任を感じるわ」
あの時はニュースになり学校中が大騒ぎになったと女子達が語る。
「くだらない」
僕は立ち上がり彩香に歩み寄ると手を差し出した。
「彩香、そろそろ待ちくたびれた。帰ろう」
「あっ、うん」
帰宅路に二人並んだ影が長く伸びる。
『僕はここだ!ここにいる!!』
どんなに発狂し叫んでも、僕の声は誰にも届かない。無数に行き交う通行人の嘆きが啜り泣きと共に聞こえた。
『どんなに叫んでも無駄さ。影にされたら一生、影。本体には戻れない』
みんな本体を乗っ取られた影達だ。
ああ、誰か、誰か僕に気づいてくれ!神様、仏様、どうか助けて欲しい。
力ない声で呟いた。
『僕は……ここにいるんだよ』
表情もなく、本体と同じ動作をして
家に帰ると、僕の両親、そして妹が泣いていた。
まさか家族までが。
黒く塗りつぶされた人型。でも影は生きている。生きているんだ。
光の加減と共に、本体の命が尽きるまで。
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