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「あーあ、先輩のせいで変な汗かいてる。折角の化粧が剥げそう。嫌だわぁ」
胸ポケットから手鏡とコンシーラーを取り出し、鏡面に顔を反射させた。
左頬の引っ掻き傷。ご丁寧に指三本分。
あの時抵抗されたせいで、痕になってしまった。ナイフで刺された痛みに抗えず、拳が解かれ、半ば平手打ちだった。その時に爪が見事に当たり、こうなった。
「ちょちょいっと。これでよーし」
コンシーラーで痕を消し、またそれらを胸ポケットへと戻す。便器の蓋に座って、無気力に天井を見上げた。
(あの熱血具合の先輩と、殺り合いたいのになぁ)
俺をストーカー呼ばわりするとかおかしい。俺は彼女を見守ってきただけ。彼女を害する人間は男女問わず許さない。だからああしたのに、彼女は怖がって、あの事件以降、ついに消息不明となった。
きっと先輩に引いて逃げてしまったのだろう。俺が来たから安心してくれていいのに、どうして特定出来ない場所にまで行ってしまったのだろうか。
また彼女に逢えたらと思うと、胸がドキドキしてくる。
「あー、また会いたいなぁ。美夜子さん」
艶のない黒髪。光を失った黒目。分厚いレンズの眼鏡。黒のワンピースと黒のパンプス。ずっと下を向きながら、それでも分かる愛らしさ。そこに惹かれて、俺は美夜子さんを守りたいと思った。
なのに、なのになのに、先輩に邪魔された挙句、美夜子さんは何処かへ行ってしまった。
ガツンっとドアを蹴り飛ばす。唇を噛み締めたせいで、血が滲むが、それさえも彼女のことを思えば甘美に感じる。
次こそ、先輩に邪魔はさせない。
勿論、警察にもだ。
だからこうやって今も刑事をしている。刑事としての職歴は先輩より長いがわざと退職し、その後先輩の復帰を見計らって前日に復職してきた。これで本当に、先輩後輩だ。
(ガチで俺を後輩って思い込んでるの、面白いし。俺のことを先輩って言ってたくせに)
先輩が元に戻ってくれないのは残念だが、まぁ、それもそれで良いことだ。俺は用を足したフリとして水を流し、手を洗ってオフィスに戻る。
そして先輩の肩に手を置いた。
「先輩、今日こそご飯行きましょうよー」
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