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「日比谷せんぱーい。おーい、飯行きません?」
陽キャじみた明るすぎる声が、ボーッと思考の沼に沈んでいた俺を無理矢理引っ張り上げてきた。視線を資料で荒らしたデスクから、声の主に移動させて見えたのは後輩の刑事・佐々木健だった。顔の前で手を振っていた彼はニコッと笑って、また『早く飯行きましょうよー』と言う。
つい半年前、病室のベッドの上で『日比谷先輩。回復したら、また一課に戻って来ますよね?』と不安げに言ってきたのが、この佐々木健だ。その時初めて捜査一課に異動になっていたことも、この男が後輩になったことも知った。
『配属されてからの記憶がない』とか、『どんな仕事をしていたのか』とか、『何でこうなったのか』とか。本気で心配する彼の前で、そんなことは聞けなかった。
情けない気持ちを抱いたまま、俺はそっと彼に手の平を向ける。
「いやごめん。今日はちょっと」
「んー。あっ、そっか。今日って月曜ですもんね。あれっしょ?毎週月曜恒例の、彼女と深夜のお忍びデート。職務怠慢ですよー?デートの為に特定の日だけ固定で夜勤してたら、課長にうっかり言っちゃうかもなー?」
「何度も言うけどデートじゃないって。一人の時間が欲しいだけ」
スっと表情をなくした佐々木は、またすぐに軽い笑みを浮かべ直した。
「••••••ま、そういうのも大事ですからね。じゃあ俺は適当にコンビニで買ってきまーす」
ヘラヘラしながら、佐々木は財布を手にオフィスを後にした。本人がどう思っているかは知らないが、絶対『付き合い悪くなったな』などと思われている。配属当時は駐在所勤務時代の名残でハキハキと喋り、そして情に厚い、元気が取り柄の熱血刑事だったという。
記憶を一部なくしてからは、この通りネガティブなヘタレになってしまった。重い溜め息が人の少なくなったオフィスに流れる。
(佐々木、肩に子どもがしがみついていたけど、重たくないのか••••••)
子どもと言っても、結局は幽霊である。このオフィス内だけでも幽霊は年齢性別問わず五十体はいる。どれも疲れ切った大人達に群がり、ウロウロしたり、ブランケットを掛けてやろうと尽力していたり、霊体のそれぞれが意思を持って行動している。
幽霊は、俺よりも遥かに出来る奴が多くいて、余計気が滅入る。俺の横にも分厚い半纏を着た十歳前後の女の子が、デスクの上に置きっぱなしにしていた缶コーヒーを、俺の方へ押そうとしていた。
『飲厶?飲メる?お疲レ?』
「それは眠気覚まし用だから、あとでね」
きちんと断ってから俺は立ち上がった。
「俺も出ます」
返事もないオフィスに背を向けて、俺はいつもの場所を目指していく。
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