冬の村のツルギとヤスリ

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 手の震えが止まらない。  季節は間もなく、雪の降る季節を迎える。冷たく湿った土が、腹ばいになったツルギの身体から体温を奪い取っていった。  狩り師の伝統として髪の毛を短く刈り込み、マルギツネの皮で作った帽子をかぶっている。  麻の服の上にササクマの毛皮の上衣を身につけているが、それでも寒さから身体を守ることはできていなかった。  地面に設置された大弓の引き金に指をかけている。その指まで震えているのは寒さのせいだけではない。  次第に近づいてくる地響き。  大弓に乗せた矢が狙う先には、黒々とした森が佇んでいる。  その森の端がパッと弾け、中から巨大な獣が飛び出してきた。 「よおし、狙えぃっ!」 「おうっ!」  背後に控える狩り師のオサの号令に答えて、左右から声があがる。  ツルギが使っているものを含めて、四基の大弓が狙いをつけていた。それぞれに、狩り師見習いの少年たちがついている。  ツルギはというと、まともに息すら吸えないでいた。  狩りというのは命のやりとりだ。獣とヒトとの間に柵など存在せず、自分が殺されることもある。  イッポンヅノと呼ばれる、大人ふたり分の重量を持つ羊は、その名のとおり、額から大きな角を生やしていた。  自分を狙う者たちの姿を視認したのか、その鋭い角の先端をこちらに向けて、土を蹴散らしながら突進してきた。 「狙いつづけろ!」  ツルギは、地響きを介してイッポンヅノの力強さを感じていた。  そして、なんとか抑えようとしていた恐怖心が、じわりと溢れだす。 「撃て!」  バンッという音とともに三本の矢が発射される。  ひとつはイッポンヅノの足をかすめて飛び去っていったが、残りの二本は首筋と左後ろ脚に突き刺さった。  突進が止まる。  だが倒れない。 「再装填! ツルギ、撃て!」  オサの声が背後から飛んでくるが、指は凍り付いたように動かなかった。  灰色の毛を真っ赤に染めたイッポンヅノがツルギを睨みつけている。いちばん弱い者を見極めたのかもしれない。  ごふ、という鼻息とともに、ツノの先端をこちらに向けなおした。  そして走りだす。 「う……」  恐怖に溺れたツルギは悲鳴をあげた。 「うわああああ!」 「ちっ、どけ!」  オサに脇腹を蹴り飛ばされ、ツルギは地面を転がった。  オサは素早い動きで地面に伏せると、ツルギが使っていた大弓でイッポンヅノに狙いをつける。  バンッ、と飛び出した矢はイッポンヅノの胸に突き刺さり、巨大な羊は地面に前足の関節をついた。  ごふ、という呼吸はまだ止まっていない。 「再装填できたやつから、とどめをさせ。ツノは傷つけるなよ。勢子! 出てきていいぞ!」  オサが森に向けて叫ぶと、木の影からちらほらと人影が姿を現した。  イッポンヅノを森から追い出す役割の者たちは「勢子」と呼ばれる。流れ矢に当たらないように、木の後ろに隠れていたのだ。  対して、大弓で獲物を仕留める役目を「撃ち手」と呼んだ。 「おい、ツルギ」  地面に転がったまま、蹴られた脇腹の痛みに耐えているツルギの前に、オサがしゃがみこんだ。 「だれよりも前に立て、さもなくばどいていろ」  昔から狩り師に伝わる言葉だ。 「どいたやつらも自分で判断したってことだ。次はそうしろ」  オサの背後から、バン、とイッポンヅノにとどめを刺す音がした。
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