憧れていた拳は

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 ボクシング部に入部して、練習風景を見るとジムに連れてもらった頃を思い出す。 「一年五組。北野(きたの)いつきです。よろしくお願いします」  バンバン!!  サンドバッグに集中して叩く音もまっすぐに伸ばされた腕もまた懐かしい。 「おい、平野(ひらの)。パンチの練習やめろ。自己紹介してるのが聞こえないのか?」  ボクシング部の顧問の先生が、一人で黙々とストレートパンチの練習に打ち込んでいた平野先輩に大声をかけている。 「三人しか集まってないじゃないっすか」  私を含め他二名は男子。希望動機としてはカッコいいからだろうな。 「それでも、三人は集まった」  流し目の瞳がじろりと私を見続け、汗で滴る髪をタオルで乱暴に拭きながら意地悪そうに笑う。 「北野隼瀬(はやせ)の一人娘が入部して上機嫌なだけでしょ?」  父の名前を言われざわめき立つ部員たち。現役時代はいくつものタイトルを制覇し、ボクシング好きの間では知らない人はいないと言われていた頃もある父。 「それはみんなだって、そうだろう?」  苦し紛れの顧問の先生は部員たちに同調を求めて視線を彷徨わせている。平野先輩がフンと鼻で笑い私に近づいて見下ろす。 「英才教育を受けにきたなら、ここじゃなくても家でできるだろう?元プロボクサーがいるんだから」 「平野先輩、初対面なのに一匹狼気取ってカッコつけてるつもりですか?」  こういう、俺様最強なボクサーは本当は繊細で弱いことを知っている。ジムに練習を見に行ったとき、そういう選手を何人も見てきた。 「まぁまぁ、北野さんも平野も落ち着いて」  見上げて睨み付けた私にパンチグローブを手渡してきた平野先輩がなめた声で言う。 「だったら、パンチしてみろよ」 「最初は筋トレじゃなくていいんですか?」  新入部員の男子が弱々しく手をあげて顧問に質問していた。 「平野先輩が言うならいいですよ」  強く強くなって本気の拳を伸ばして父の目を覚まさせてやる。スパーリングの相手が一匹狼気取りの平野先輩でも構わない。
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