気持ちを拳に込めて

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 平野先輩が攻撃を受けることはなかった。素手で父のパンチを受け止めながら視線を私に向けて。 「北野さん、気持ちぶつけるんだろう?俺、見守ってるから、手を伸ばせよ!!」 「なに言ってやがる。この」  左腕が伸びきる前に私は走っていた。そして平野先輩と同じように父の拳を手のひらで受け止めていた。手のひらに伝わる潰れた豆は、ボクサーだった頃の証。 「お父さん!!」  ミットじゃないからジンジンと手のひらが痛くなってくる。それでも言わなくては、前に進めない。 「熱き拳は誰のためにあるの?」 「なに、言ってる?いつき」  忘れたなんて言わせたくないから父が口を開く前に私は、手のひらの形を変えて拳を作りまっすぐ前へと伸ばして、父の眼前で止める。 「大切な人を守るために伸ばすんだよって教えてくれたのお父さんだよ!!これ以上落ち込んでいくのも、家の壁が壊されるのも、私やお母さんに拳が向けられるのも嫌なんだよ」  隣に平野先輩がいてくれたから  同じ経験をした人が見守ってくれていたから言えたんだ。 「北野隼瀬さん。目を覚ましてください!!俺の親父をKOした時みたいに憎らしく嗤っていてください。じゃないと俺がこの道を目指した意味が消えてしまうから」  私と同じ境遇だって勝手に思い込んでいた。平野先輩は父親のためにボクサーになる道を選んだんだ。  幼き頃に睨まれていたのは私ではなく父に向けられていた視線だったんだ。 * 「再起なんて今さら・・」 「今だから立ち上がるんだよ!!」  父の眼前に突きつけた拳がわなわなと震えている。  コン  憧れていた拳が当たってくる。かたく豆だらけの拳を突き合わせた父は、私と平野先輩を交互に見ながら闇夜に告白する。 「いつき、ごめんな。ごめんじゃ許されないことをした。おれは強くあろうとした弱虫な男に過ぎない」  大口叩いて負け続けると私と母に当たってきた。怖い拳になっていくのをただ見ていた頃とは違う。 「お父さん、弱くても強くなって戻ってくるさでしょ?」  父の言葉をもう一度言ってみただけ。微笑を浮かべた父の伸びた腕が下がり、今度は母に向かって深々と頭を下げた。 「今までごめん。おれのことを守ってくれてありがとう」 「あなたが頭を下げるなんて・・」  私と母が必死に守っていたボクサー北野隼瀬ではなく北野家の一人として謝った瞬間。母の啜り泣く声が聞こえていた。
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