憧れていた拳は

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憧れていた拳は

 伸ばされた両手は、私を抱きしめてはくれない。私の頭を撫でてくれたのはいつだっただろう? *  高校一年になり、これから入部するだろう部活について話し合っている私たち。 「いつき、何部にするか決めた?」 「うん。決めてる」  入部希望用紙に私は力強い文字でボクシング部と書き綴ると、向い合わせに座っている広瀬(ひろせ)から言われてしまう。 「あー、やっぱり父親の背中を追ってってやつ?」 「まぁ、そんなところ」  広瀬に平気で嘘をつく。もう聞き慣れてしまった質問に返す言葉も決まっている。  その父親を夢見てなんて綺麗事のお話。実際のことなんて家族にしかわからない。 (ねぇ、広瀬。私は・・・)  何度も浮かんでは消えていく思い。本音を話したらきっと家族は離散する。 「強くなってやるって決めてるから!!」 「頼もしい~」  私の憧れだった父はいつしか怖い存在に変わっていた。元ボクサーの父が伸ばした拳は大切な家族へと向けられている。 * 『いつき、お父さんの拳はな、大切な人を守るためにあるんだよ』  幼い頃、母と見に行った試合で汗だくになった父に抱えながら相手選手がのびている姿を見て泣いていた私に言ってくれた言葉。 『あの人は大丈夫なの?』  父のぐるぐる巻きにした包帯が私の髪に触れる。そして、ニコッっと微笑んで。 『大丈夫。強くなって戻ってくるさ。優しいな、いつきは』  あの頃の父の面影はもうない。
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