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第三章 兄弟②
王城の正門の外まで走ると、入口付近で佇むエーミールの横顔が目に入った。
風に吹かれて揺れる長い髪が、夕日に照らされる年頃の男らしい体躯とはアンバランスで、サザナミはドキリとする。エーミールはサザナミよりかなり年上なのだが、騎士団の中ではかなり線が細いほうで、物腰の柔らかさも相まって、正直あまり年齢差や身分差を感じていなかった。
しかしこうして遠目で見ると、やはりしっかりと筋肉がついていて、しゃんと立つ姿は凛々しい。成人を迎えた男性なのだと思い知らされる。
いつも穏やかで、騎士団の年長者として面倒見のいいエーミールの本来の姿を見てしまったサザナミは、急に落ち着かない気分になった。
「エーミールさん」
声をかけると、エーミールは振り返った。銀色の髪が肩に跳ねてゆれる。
目が合うと、軽く手をあげて微笑まれる。いつもの彼に安堵して、サザナミはぺこりとお辞儀をした。
すでにミギワの姿はなかった。
「兄の見送り、ありがとうございました」
「ううん、いいんだ。それより……」
エーミールはそこまで言うと口を閉じ、視線を彷徨わせる。
「兄のことですよね。不快な思いをさせてしまってすみませんでした。兄は人の気持ちをあまり考えない人間なんです……またなにか失礼なことを言いっていましたか?」
「いや、僕に対してはとくにないんだけど……」
うーん、とエーミールは腕を組む。
ちらりと見上げると、筋張った腕が目に入り、またしてもドキリとしてしまう。
「彼がどんな人だとしても、サザナミくんを傷つける発言は看過できないよ」
「ああ、いや、俺は慣れているからいいんです。みなさんに不快な思いをさせてしまってしまっただろうなと思って……すみません」
あとでアキナたちにも謝らなければ、と思いながら頭を下げると、髪を撫でられた。
そっと顔を上げると、エーミールは困り顔で微笑んでいた。夕日と同じ色の瞳が、サザナミを優しく見下ろす。
「きみたち兄弟の折り合いがつかなさそうなのはよくわかった。でも知識は確かなんだよね? 僕は正直、きみが望もうと望むまいときみがこれ以上あの人と関わりをもつのを止めたいところだけれど、団長が許したのであればもはや僕が口を挟むことではないだろうから……力になれるかわからないけれど、着いていくよ」
「すみません」
ふたたび頭を下げようとすると、ふいにエーミールが近づいてきて、髪をわしゃわしゃと撫でまわされる。
「ちょ、ちょっと!」
サザナミは驚いて距離を取ろうとするが、エーミールの力が思ったよりも強く、下手に動くことができない。
「やめてくださいよ……それ、団長もよくやるんですけど、俺は犬じゃないんですから」
「ごめんごめん。アキナ団長がやってるのを見て、一度僕もやってみたかったんだ。僕はきみがどうも年の離れた弟みたいに思えて、かわいくて仕方がないんだ。許してね」
――年の離れた弟。
オルロランド家で見た夫人とエーミールは、誰が見ても仲のよい親子といった雰囲気だった。サザナミが「家族」という存在に抱く憧れそのものの姿。自分や妹には与えられなかった親からの絶対的な温もり。
サザナミはそれを羨ましいと思い、階級や貧富の差がそうさせるのだろうかとだろうかと、幼少期の自分が置かれていた環境を虚しくも思ったのだった。
血の繋がった家族のことは「家族」だと思えないのに、どうしてアルバスの人々は自分にやさしくしてくれるのだろうか。サザナミは彼らのことを思うたび、彼らにやさしくされるたび、うれしさが込み上げると同時に不安で仕方がなかった。
エーミールの隣に立って見る夕日は、いつもは眩しくて鬱陶しいだけなのに、今日はうつくしくて得がたいものに見える。
「あ、そうだ」
サザナミが一人考えごとに耽っていると、ふと思い出したようにエーミールが呟いた。
「サザナミくん、ちょっと僕の部屋まで来てくれる? 渡したいものがあるんだ」
サザナミがエーミールに従って彼の部屋まで着いていくと、大きな荷物を手渡された。
「母から」と言われて受け取ると、見た目どおり重たくてよろめいてしまう。
エーミールに手伝ってもらってなんとか自室まで運び、中を開けると、ミルダ夫人手製の衣装がたくさん几帳面に畳まれていた。
一番上に置かれている手紙を手に取り、封を開ける。
サザナミくんへ
こんにちは。先日は屋敷に遊びに来てくれてありがとう。あのあといろいろ大変なことがあったと聞いています。お身体は大丈夫ですか?
(サザナミくんはアルバス語が読めると聞いたので、アルバス語でお手紙を書いています。もしわからない言葉があれば、エーミールに聞いてちょうだいね)
お直しが終わったお洋服をお送りします。たしか騎士団のお部屋はそこまで大きくなかったと思うから、おじゃまにならないように厳選したつもりなのだけど……それでも「多すぎる」とエーミールに小言を言われてしまいました。
そうそう、じつは夏服も冬服もあるからまたシーズンが来る前にプレゼントさせてね。
もう一つの小包は、ユクスさまへのプレゼントです。
勘違いでなければ、これを気に入ってくださっていたように見えたから。もしお会いする機会があったら渡ししていただきたいの。本当は私が王宮に足を運んで直接献上したいのだけれど、立場上いろいろとややこしいことがあって……お遣いを頼んでしまってごめんなさいね。
またいつでも屋敷にいらっしゃい。お一人でも、ユクスさまとお二人でも歓迎します。
あなたの友人 ミルダ・オルロランド
まだ文字を読むのは自信がないから、ところどころ間違っているかもしれない。あとで辞書を引きながら読み直そうと思い、手紙を机の上に置いた。
洋服を取り出していくと、ハンガーも同封されていることに気がつく。それらを使って一着一着ラックに掛けると、あっという間にラックがぱんぱんになった。
――ミルダ夫人、たしかに多いです。
気遣いへのうれしさ半分、圧迫感への困惑半分で、形容しがたい気持ちに襲われる。
なんとか普段着にできそうなシャツとスラックス数着を除いて、ほとんどが適当に洗濯していいような服ではないことはサザナミにもわかる。
そうそう着る機会がないかもしれないだろうから、せめて埃が被らないようにしなければ、とラックの上にハンカチをかけた。
サザナミは、先日オルロランドの屋敷でユクスに言われたことを思い出していた。
『おまえは眉目秀麗なのだから、身なりにもう少し気をつかえばすぐにご令嬢から秋波を送られるようになりますよ』
テーブルに置いていた手鏡を取る。
自分の顔をまじまじと観察するも、とくだん整っているとは思えない。
――まあたしかに、アルバスの人々からすると、黒髪赤目で彫りの深い顔はめずらしいのかもしれない。たしかに妹はかわいかったけど、兄と自分はとくに容姿が整っているとは思えないが……
鏡のなかの自分とにらめっこをしていたら、おもむろにコンコンと扉がノックされる。
「はい」
扉の外から返事はない。
「どなたですか」
しばらく待ってみても、返事はなかった。気配は感じるから誰かが立っているのは間違いないだろうが。不審に思ったサザナミは、机に置いていた短剣を背中にさして、ドアノブにそっと手をかける。
一息に扉を開けると、金髪紫目の王子が立っていた。
「わっ!」
ユクスはそう言って満面の笑みを浮かべると、「驚きました?」とおどけた。
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