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第一章 少年サザナミ、十二歳①
ガタン。
馬がつまずいたのだろうか。けたたましい音を立てて荷馬車が止まり、サザナミはつかの間のうたた寝から目覚めた。
どうやらサザナミは、けっして快適とはいえない粗末な荷馬車に揺られ、いつの間にか寝ていたようだった。馬が不満げに鼻息を鳴らすのが聞こえる。
長く伸びた濡羽色の前髪をかきあげ、大きく息を吸い込んだ。
――異国の匂いがする。
東のはての小国、サザナミが生まれ育ったホムラとは異なる生ぬるい風が、粗末な荷台の隙間から吹きすさぶ。
サザナミはいま、自分がいる場所をあらためて見回した。
椅子もなにもない、ただただかび臭い荷馬車の中。幌によって覆われているためどうにも薄暗く、湿気た空気が満ちている。
いつもは身動ぎもできないほどぎゅうぎゅうに奴隷が詰め込まれているはずなのに、今回にかぎっては自分しかいない。いまにも底が抜けそうな古い木の板にぽつねんと座りながらも、サザナミの心に恐怖や怯えはなかった。そう、サザナミにとっては、奴隷商人に連れまわされるのはもう慣れたことであった。
いったい今回はどの奴隷市場に連れていかれるのだろうか。
ボロボロの幌にはところどころ穴が開いている。その隙間から外の様子をうかがおうと首を伸ばすと、そんなサザナミの気配に気づいたのか奴隷商人の男が振り返った。
「馬の機嫌が悪い。少し休憩するが外に出るんじゃねえぞ」
そのまま男は荷馬車を降り、馬の世話をはじめる。
逃げるもなにも、もともとろくな食事を与えられていないうえに三日間ほど馬車に揺られて疲弊している身体では、どこにもいける気がしない。
――そもそも、こんなどこかわからない土地で、子どもの自分がどこへ逃げられるというのだろうか。
齢十にして家族に売られ、二年の間物好きの貴族の家をたらいまわしにされたサザナミの心には、子どもらしからぬ諦念が蔓延っていた。
サザナミの故郷、小国ホムラの国主が北の大国マンドリムへの侵略を企てたのはいまから五年ほど前のこと。マンドリムの面積はホムラの十倍以上。己が国力をわきまえぬ愚かな国主のせいで、すぐにホムラは侵略された。
しかし国主は頑なに敗戦を認めなかった。戦はずるずると三年ほどの間も続き、見かねた近隣諸国が軍事介入したことによりようやく鎮圧。ホムラは敗戦国となり、国主は世界連盟によって斬首刑に処されたと言われている。
これでホムラに平和が訪れると民の誰しもが思ったが、国主を筆頭にろくな為政者がいなかったため内政は混乱をきわめた。長年の戦争から解放された民らを待っていたのは、飢餓と貧困だった。
サザナミの家も例に漏れず貧困にあえぎ、たいした労働力にならない幼いサザナミと妹が奴隷に売られた。
もともとホムラに奴隷制度なるものは存在しなかったが、長引く戦禍によっていつしか北の悪しき慣習が輸入されていたのだ。
ホムラの民の多くは、サザナミのような濡羽色の髪に朱色の瞳を持つ。諸外国の民らにはそれらがいかにも異国風情に映るそうで、とくに見目麗しい子どもが貴族らの関心を引き、買われていった。サザナミもその一人だった。
あいかわらず馬は不機嫌に鳴いている。
ご機嫌取りのためなのか、奴隷商人は馬に餌をやっていた。サザナミの視線を感じたのか、なんだ、と言う。
「ここはどこなんだ」
「アルバスだよ。西の大国、アルバス」
アルバス、とサザナミはろくにない知識を総動員して思い出す。
西の大国アルバス。国土はおよそホムラの五倍ほど。長く賢王が統治する国だと聞いたことがある。
武芸に優れ、かの国が擁する騎士団の名はホムラにも轟いていた。泥沼と化した東と北の戦が終着したのも、世界連盟軍に派遣されたアルバスの騎士団による貢献が大きいと人々が噂していた。
たしかに先ほどから吹く湿気た風は、年中温暖な気候を誇るアルバスらしいものであった。ホムラのように四季はないと聞くが、それにしても陽光が眩しい。作物にもめぐまれているというのも納得だ。
唯一の弱点と言えば、王子王女はみな病弱で、王子一人を残して逝去されたらしい、という噂話くらい。
「こんな大国にも奴隷制度があるんだな」
「ん? 北のマンドリムならともかく、先進国のアルバスにそんなものがあるわけないだろう。おまえが売られるのは闇市だよ、わかるだろう? まあ、おまえみたいな卑しい国の生まれなら、一度はこの国で暮らすことを夢見たんじゃないか。よかったな」
奴隷商人はでっぷり太った腹をさすり、下卑た笑みを浮かべた。
「さ、町まであと少しだ。今日は祭りの日らしいから、もう少ししたらにぎやかになるんじゃねえか。くれぐれもひと目につかないように。騒いだりしたらどうなるかわかっているよな」
サザナミは男の視線を追い、腰のホルダーにささっている拳銃に目をやった。
何もしねえよ、と心のうちで悪態をつく。
戦で家が焼かれ、家族に売られた。
一緒に奴隷になった妹はすぐに死んだ。
何もする気力なんてもうないんだ。
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