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第二章 ホムラの民④
心臓が早鐘を鳴らしている。
早朝、息苦しさを感じて目が覚めたサザナミは、薄暗い部屋で天井を見つめ、目が慣れるまでじっと息を詰めていた。
息苦しさが軽くなったころを見計らって、そろりと体を起こし、出窓のカーテンを開けて外を確かめる。まだ夜明け前のようだった。
――今日もあまり眠れなかったな。
自分の内側に渦巻く赤黒い魔力をやりすごすように、サザナミはぎゅっと強めに瞬きをした。それから、伸びた前髪をかきわけ、両頬をたたく。
アルバスに来てから落ちついていたサザナミの体調は、ここ数日でまた乱れるようになっていた。うちに潜む魔力が暴れる原因はわからない。とにかく息苦しさを感じて早朝に目が覚めたり、心臓がうるさくて夜中眠れなかったりすることが、ほぼ毎日サザナミを襲っていた。
次の定期検診まではまだひと月ほどある。
窓を開けると、夜にもかかわらず湿気た空気がサザナミの鼻をついた。それを鬱陶しく思い、すぐに窓を閉める。
騎士団から用意された五畳ほどの部屋は、狭さの割にはがらんとしていた。備え付けられていた家具はというと、一人用の簡素なベッドと、書き物ができる程度のサイズの丸テーブル、洋服をかけられる簡素なラックのみ。椅子はないので、ふだんはベットに座っている。ただ、もともと貧民だったサザナミからすると、自室があるだけで上等であって、けっして窮屈さは感じないのであった。
サザナミはテーブルの水差しを手に取り、直接喉を潤した。
日が昇ったら、ユクスとエーミール、アキナと出かけることになっている。公務ではないとはいえ一国の王子が外出するのだから、それなりの護衛がつき従うのだろう。昨日から、サザナミはえも言われぬ緊張感に襲われていた。
――俺だって本当は護衛側のはずなのに。
敗戦国の民として惨めな生活を経験して、自らの意思とは関係なく奴隷に身を落とすことになってから、めまぐるしく変化する環境をいまだしっかりと受け入れられてはいなかった。
奴隷商人から救ってくれたアキナや、この国の暮らしを教えてくれたエーミール、そして危険を顧みずに手を差し伸べてくれたユクスのおかげで、徐々に自分の足で大地を踏みしめている実感が湧きはじめていた頃だった。
三人には並々ならぬ感謝の念を抱いているサザナミであったが、まだ幼い少年は自分の気持ちを間違いなく伝える言葉を見つけられずにいる。
――ただありがとうって言っても俺の気持ちはうまく伝わらない気がする。どうすればいいのだろうか。
テーブルの上に放っておいたアルバス語の辞典を手繰り寄せると、そのままベッドに寝転がる。
ペラペラとめくっても、彼らに伝えたい言葉は見つからなかった。
眠れぬまま異国の言葉を眺め、朝日を待った。
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