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第二章 ホムラの民⑤
次の日の朝。
いかにも高揚感を抑えきれないといった様子で王宮の正門にやってきたユクスは、王族用の豪奢な馬車を目にすると、一転して抗議の目をアキナに寄越した。
アキナはバツが悪そうに視線を泳がせて、「中間管理職の辛さをわかってくださいよ」とこぼした。
「そんなもの知りませんよ」
「はいそうですか。あのね、出かけるって言ってもね、坊ちゃん連れ歩いて市内観光なんておいそれと許されるものではないのよ」
「お父さまに頼んでくださいと言ったじゃないですか」
「いや、もちろん言いましたよ。でもね、たかが数日じゃ陛下が満足される警備体制は用意できないんです」
ユクスは頬をふくらまして「でも!」と声を上げた。
馬車の前で言い合いを続けるユクスとアキナを困惑した表情で見守っていたエーミールは、サザナミの視線を感じると、すこししゃがんで視線を合わせた。
「晴れてよかったね」
「はい。エーミールさん、お休みの日にありがとうございます」
「思ったより大勢になっちゃってきっと困惑していると思うけれど、せっかくだからアルバスのことを知って、すこしでも好きになってくれたらうれしいな」
「はい」
「僕もきみと同じでこの国で生まれた人間ではないけれど、この国の人々が好きだから」
エーミールは目を細めてそう口にした。
「サザナミ、エーミール、そろそろ行くぞ」
いつのまにか口論を終えていたアキナに声をかけられ、エーミールに手を引かれて馬車に乗る。かつて奴隷商人に乗せられていた荷馬車とは違い、椅子もあるし清潔だ。
ユクスの隣に座って顔色を窺うと、まだ機嫌を損ねているようだった。
「今日はありがとうございます」
サザナミから話しかけてみると、ユクスはふいと目をそらして、「ごめんなさい」と口にした。
「え、なんでですか」
「その、今日はおまえにアルバスの街を案内するのが目的だったでしょう。でも、私がいるせいで外を歩けないから……」
「馬車の中からでも外は見られますよ」
「ええ、まあそうなんですけど」
ユクスは歯切れが悪そうにそう言った。表情が晴れない。
あの、とサザナミはユクスの手を取る。
「俺は楽しいですよ」
ユクスの顔をのぞきこみ、正直に自分の感想を伝える。ユクスはすぐに窓の外に顔を背けてしまった。
「俺、今日が来るのをずっと楽しみにしていましたし」
「……ならいいんですけど」
ユクスの耳がほんのり朱色に染まっているのが目に入るが、サザナミにはそれが意味するものがなんなのかよくわからなかった。
ユクスはそれきり黙ってしまったので、車内には静寂の時が訪れた。
サザナミは窓から外の様子をうかがう。石畳の道路に、日差しが反射して街全体がきらめいて見える。
――あの日もこんなふうによく晴れた日だったけど、汚い荷馬車から眺める街並みはもっとどんよりとして見えたな。
窓の外の景色に飽きたサザナミは、目の前に座るエーミールに目を向けた。
馬小屋でユクスに会ったときも、文官の部屋にユクスがおしかけたときも、エーミールはずっと緊張しているように見えた。北の大国もホムラと同じでアルバスよりもずっと厳しい階級制度だと聞くが、そのせいだろうか。ふだんはそれこそ貴族のように優雅な微笑みをたたえるエーミールがここまで変わるくらいだから、よほど厳格な身分社会だったのだろう。
「エーミール、緊張しなくていいよ」
アキナがエーミールの腿をさする。
「あ、はい。すみません」
「ほら坊ちゃん、言おうと思っていたことがあるんじゃないか」
ユクスは窓から視線を戻すと、「ああ、そうでした」と居住まいを正した。
「エーミール。きょうは自由に発言をゆるしますので、私とおしゃべりしてくださいませんか」
「は、はい」
返事をしたエーミールの声はまだ強ばっていた。
「思えば私、おまえとちゃんとお話ししたことがなかったと先日気づいたのです。オルロランド家がわが国にいらしたとき、私はまだ生まれたばかりでしたから」
「……覚えていただけていて光栄です」
ユクスに微笑まれたエーミールの顔から緊張が消え、彼も上品に微笑んだ。
「ところでアキナ、この馬車はどこに向かっているのです」
「ん? ああ、そういえばまだなにも言っていなかったな。エーミール、説明してちょうだい」
「はい。ユクスさま」
エーミールがわずかに体を乗り出してユクスを見る。
「自分で申しあげるのもお恥ずかしい話ですが、とっておきの場所がございます」
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