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第二章 ホムラの民⑧
その後もミルダ夫人に勧められるがままに試着をくり返し、サイズがぴったりだった服を着ていけばいいじゃない、とこれまたやや強引に手製の服を押し付けられたのであった。
上品かつ控えめに微笑むわりには、サザナミが頷くまではてこでも動かないと感じるような意志の強さ。エーミールにもときどきこういうときがある。このおっとりした我の強さは子どもにもちゃんと引き継がれているようだ。
着せ替え人形は小一時間ほど続き、解放された頃にはサザナミはぐったりとしていた。
そんなサザナミを横目にユクスは涼しげに笑う。
「その服もいいですね」
サザナミはいま、白いシャツに銀糸の刺繍がほどこされた濃紺のベストを着込み、首元には臙脂色の細いリボンタイを結んでいる。いかにも貴族然とした風貌のエーミールに似合いそうな服装だ。
シャツの袖にゆとりがあるデザインで、動くたびにふんわりと揺れて気恥ずかしい。
はあ、と前髪をかき分ける。
「こういう服は着たことがないから、なんか変な感じがします。背すじを伸ばしていないといけないような気がして落ちつかない」
「おまえは眉目秀麗なのだから、身なりにもう少し気をつかえばすぐにご令嬢から秋波を送られるようになりますよ」
「……ご冗談を」
思わず、乾いた笑いがこぼれる。
からかう口調だったユクスをちらりと見やると、存外、その口元はみじんも笑っていなかった。
「そういうのはあまり興味がないです」
「そうですか」
奴隷時代、貴族たちにさんざん向けられたまとわりつくような視線は感じなかったものの、ユクスから容姿についてはじめて言及されたことにサザナミは動揺した。
「……あなたもほかの貴族と同じで俺の見た目を好ましく思うのですか。俺にとっては生まれたときからのものだから、それをとやかく言われても正直よろこばしくは思えないのですが」
「え?」
目を丸くするユクスを見て、サザナミはとんだ思い上がりだったと顔が赤くなる。
「……すみません忘れてください」
「たしかにアルバスの民からするとおまえの容姿はめずらしく映るのは確かですが、だからおまえを好ましく思っているわけではないですよ。不躾な視線を寄越していたのであれば謝ります」
「あ、いえ、そんなことはありません」
ユクスは狼狽えるサザナミを横目で見る。
「見た目なんてべつになんでもいいんじゃないですか。というか、何色の髪だろうと、何色の瞳だろうと、どこの生まれでどう生きてこようと、いま私と話しているおまえはおまえに変わりはありませんよね」
ユクスはぶっきらぼうにそう言い放った。失礼なことを言ったから怒っているのだろうかと思い、おずおずとユクスを見上げると、なにを思ったのか手を握られる。
自分を卑下する癖が抜けないサザナミでも、ユクスはいま自分を肯定してくれたのだろうと感づく。なんだかうれしいような居心地がわるいようなこそばゆい気分になり、顔を背ける。
「いったいどうしちゃったんです」
ユクスはそう言ってからりと笑った。
ふたたびオルロランド家の侍女に案内され、アキナとエーミールがいる庭園にたどり着くと、二人は温室の中にある四人がけのテーブル席で歓談していた。
アキナもエーミールもサザナミの服装を認めると、めずらしいものを見た、といった感じで目を丸くした。
似合っているとはしゃぎたてていたのは夫人とユクスだけで、こういう反応がふつうなのだと、サザナミは心のうちでひっそりと肩を落とす。
「その服、ミルダ夫人の手製のか」
「はい、いただきました」
いいじゃん、とアキナは豪快に笑う。
「サザナミおまえね、いつも野良犬みたいに適当な姿でほっつき歩いているけど、これを機にもうちょっと身なりに気を遣いなさいよ。強くてたくましい騎士団員はご令嬢の憧れの的なんだぞ? ほらその前髪なんてまさに長くてうっとおしそうだから切ればいいのに」
ついいましがたユクスに言われたようことをまた指摘され、思わずサザナミはむっとする。
サザナミは、幼い妹が髪を結ってかわいい服を着ているのを見るのが好きだった。ユクスがうつくしく立派な服を身にまとっているのも、同じように晴れ晴れするような心持ちで眺めていた。しかし自分のこととなると、見た目も服もなにもかも興味が起きないのだ。
「俺はいいんですよ別に。平民ですし」
「おまえの国ではそうだったのかもしれないけどね、ここはアルバスでは、そういうのに身分は関係ねえの」
はあ、とサザナミは間抜けな声で返事をする。
ユクスが席についたのを確認して、サザナミはその正面に腰を下ろした。
隣に座るエーミールがこちらを見て、「似合っているよ」とささやく。
「エーミールさん、ありがとうございました」
「とんでもない。たまに着てくれると母がよろこぶよ。あ、でも、母はああ見えて強引なところがあるから、無理やり着させられてないかな。僕なんて子どものころ少女用のドレスを着させられそうになったことがあったんだけどね……」
エーミールは遠い目をしてため息をついた。
「おまえならいまでも似合いそうだけどな」
「だ、団長までよしてくださいよ。もちろん母のセンスはいまも昔もすばらしいと思いますし、あのとき母が持ってきたのはとてもかわいいドレスでした。でもね、僕だってオルロランドの次男坊ですから、プライドというものがあるわけで……」
「はいはい」とアキナは笑う。
談笑する二人をよそに、ユクスは静かに温室を眺めていた。
サザナミはその視線をさりげなく追う。
ガラス張りの温室は天井が高く、入口から通路に沿って低木が植わっていた。サザナミは植物に詳しくないが、色とりどりの果物がなっていたり、細長い葉や大きくて艶のある葉が風に揺れていたりと、さまざまな植物が植わっているように見える。
通路の両脇には、鉢植えと直植えの二種類の植物がみっちりと並んでいる。手前のほうにある一見して地味な見た目の植物たちは、ホムラの野に生えていた薬草のように見えるが、種類まではわからない。
サザナミは再度ユクスに目を向ける。
目を閉じているのは、どこからか流れる水の音や小さな生き物の声なき声を聴いているからなのだろうか。
ふとユクスが目を開けてこちらを見た。
じっと見ていたのがばれてしまったのか、サザナミの頬は熱くなる。
「この温室も外の庭園もうつくしいですね」
ユクスはエーミールに向かってそう述べた。
「ありがとうございます。オルロランド家自慢の庭でして、今日はこちらにユクスさまとサザナミくんをご招待したかったのです」
「自慢の庭ってだけじゃないんだよ、坊ちゃん」
アキナはずいと顔を寄せて声を落とした。
「表向きはふつうの貴族の庭なんだが、このガラスは防弾と防音の機能を兼ね備えていてな。屋敷自体の警備も手堅いうえに、さらに安全性も担保されているわけ。坊ちゃんがかわいくて仕方がない陛下でも、ここなら安全と納得してくださったのよ」
祖国ホムラでは、ガラスは繊細で壊れやすい代物だった。アルバスには防弾性と防音性に優れたガラスがあるのかと驚き、温室内にあらためて目を向ける。ホムラの一般的な家の窓ガラスと同じように見えるが、なにが違うのかサザナミにはわからない。
「王宮の庭園と比べたら小さいですが、ここはとても静かなんです。僕は気持ちを落ち着かせたいときなどにここでぼうっとしていますね」
ユクスもガラスの壁に目を向けていたが、エーミールの言葉を聞いて苦笑いした。
「……お恥ずかしい話ですが、じつは、私は王宮の庭園にすら入ったことがないのですよ。遠目では見たことがあるのですが。なにせ、父の監視もあって、これまで外に出ることを避けていましたから」
サザナミには、父の監視というものものしい言葉がなにを指すのかわからなかった。しかし、アキナとエーミールが動揺していない様子を見て、自分が知らないことがあるのだろうと察する。
ユクスのまわりを青い蝶が舞う。ユクスがそっと人差し指を差し出すと、吸い込まれるように蝶が止まった。
「私はね、いままでだれからも必要とされていなかったんです。死ぬな、王になれ、それだけでいいと。だからあの日、サザナミが私を必要としてくれているように感じて、はじめて生まれてきたことを肯定されたように感じたんです。そう。ただただ、うれしかったんです」
ユクスは目を伏せて笑った。
「それでたびたびサザナミのところにおじゃましていたのです。またおまえの役に立てれば、私が必要とされていると実感できますから。もちろん、迷惑だろうとは思っていたのですが」
ユクスがそんなふうに思って自分のもとを訪れていたことを知り、サザナミは驚く。そ
「迷惑だとは思ったことはありません」
「……ならよかったです」
「坊ちゃん」
アキナが気遣わしげな声色でユクスを呼ぶ。
その声を聞いて、ユクスは「大丈夫」と笑った。
「アキナ、くれぐれも勘違いしないでいただきたいのですが、私は自分の責務に誇りを持っています。私の両肩には死んでいった兄さま姉さまが、私の両腕両足には民らがすがりついています。いつか野垂れ死ぬことがあるとすれば、自らの役目を終え、この国が安泰だと見届けたあとのことでしょう。それまでは四肢がもがれても、この目が開かなくなっても、私は私の身を民らに捧げ続けます。ですが、」
ユクスは言葉を区切ると、うっとりするほどうつくしい菫色の瞳で、一人一人に視線を寄越した。
穏やかであったが、覚悟を問うような視線に三人は気を引き締める。
「ですが、おまえたちはみすみす私を殺させやしませんよね」
三人は無言で頷いた。
アキナには騎士の矜恃が、エーミールには未来の君主に仕える喜びがにじみでている。
ユクスのやわらかな金の髪が風に揺れる。
「ということで!」
とつぜん、ユクスはぱんと手を打った。
「引き続き、ときどきサザナミのところに遊びに行かせてくださいね。いいですよね?」
「あんまりうちの子を困らせない程度にお願いしますよ」
アキナがサザナミの肩を抱いて笑った。
「サザナミ、これからも私と遊んでくださいますか」
サザナミはなにを言えばいいのかわからず、だまってユクスを見つめた。いまだにアルバス語だから、自分の気持ちに合う言葉を見つけられない。そもそも、もともと惨めな感情で支配されていた心に、さいきんうれしいのや恥ずかしいのが舞い込んできていて、自分の気持ちがよくわからなかった。
「……サザナミ?」
「じゃあ、ユクスさまが行ったことのないところに、これからたくさん行きましょう。王宮の庭園も、王宮の外だって、俺がどこへでもお供しますから」
「そりゃいい! でもなサザナミ、おまえじゃ王宮の庭園には入れないよ。あそこは国王の執務室に近いから、おまえの位じゃまだむりだ。騎士団で身を立てればいつかは入れるかもしれないから、せいぜい励むんだな」
アキナに肩をたたかれ、恥ずかしくて火を噴く勢いで頬が熱くなる。
「いつか案内してくださいね」
そんなサザナミを見て、ユクスは年頃の少年らしいあどけない笑みを浮かべた。
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