第二章 ホムラの民⑨

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第二章 ホムラの民⑨

 帰りの馬車はユクスと二人きりだった。  エーミールは家の用事があるとのことで、オルロランド家でお別れになった。アキナは今日一日で体が鈍ったからと言って馬車には乗らず、オルロランド家から借りた馬で併走している。  サザナミとユクスは行きと同じように隣に座ったものの、とくに言葉を交わさず、それぞれ窓の外の景色に耽っていた。  それにしても、とサザナミは考える。  ――父の監視っていったいなんのことなのだろうか。  ユクスの身を脅かしているのは、ほんとうに政権争いに闘志を燃やす貴族たちだけなのだろうか。王家の子どもが彼を除いて全員亡くなるだなんて、いくらなんでもやりすぎな気がする。そこまでして得たいもの、もしくは排除したいなにかがあったのだろうか。  あまり邪推するのはよくないとは思いつつも、サザナミは思考を止めることができない。将来、ユクスの身に及ぶかもしれない危険は正確に把握しておいたほうがいいはずだ。  今度あらためてエーミールに聞いてみよう、とサザナミは思うのであった。  ――そうだ。あと、城に着く前にありがとうって言おう。  そう決意するも、すぐにサザナミの思考はまどろみのなかに溶けていった。  控えめに腿を揺すられ、つかの間のうたたねから目覚める。  頭上から、「そろそろ着きますよ」と声が降ってきて、サザナミはがばっと体を起こした。  息が止まる。どうやら自分はユクスの肩に頭をのせて寝ていたらしい。 「も、申し訳ございません」 「構いませんよ。というか、いまは誰もいないのだから楽にしてください」 「……うん。ごめん」  ユクスは満足げに口の端を上げると、サザナミにもたれかかった。 「私のほうが年上なのだから気にしないで」  サザナミはむっとする。  今日、夫人と喋っていて判明したのだが、ユクスは二つ上の十四歳だった。  ――たしかに身長はこいつのほうが高いけれど、顔つきとか子どもっぽいから年下だと思っていたのに。  これからことあるごとに「年上だから」と優越感をにじませてくることは容易に想像ができ、素直に腹が立つ。  盛大なため息をつくと、唐突にユクスがずいと顔を寄せた。とつぜん、真剣さをまとった菫色の瞳でじっと見つめられ、驚いてなにも言葉が出ない。 「さいきん顔色が悪いのはどうしてですか」  サザナミは目を瞠る。 「冷や汗をかいていることもありますね。日中は暖かいのに」 「なぜ」 「見ていればわかります」  ユクスは顔を離すと、触れ合う距離にあった手をそっと取り、口を開いた。 「教えていただけませんか」 「……さいきんあんまり眠れていなくて」 「なにか悩みごとでも」 「いや」 「あなたの内側に眠る力のせいですか」  はぐらかそうと思っていたサザナミだが、ユクスの鋭い目に観念して、正直に話すことにする。 「……そうだと思う。俺はもともと魔力の量が平均より多いらしくて、そのせいでほかの人より体調をくずしやすいんだ。そういう子どもはときどきいるんだけど、大人になればほとんどが収まるって聞いている。俺の記憶では重症になったり死んだりする人はいなかったはずだから、そこまで気にすることではないと思うし……」 「じゃあ一緒に眠りましょうか」 「は?」  突飛な提案にサザナミは驚いてユクスの手を離し、すかさず距離を取った。 「一緒に眠りましょう。私の手でも握っていたら、ぐっすり眠れるんじゃないかと思いまして」  目の前の王子がいったいなにを言っているのかわからず、サザナミは目をぱちくりとさせたのだった。  はは、と乾いた笑いがこぼれる。 「私、真剣なんですけど」  ユクスがむっとした顔を近づけたとき、ガタンと大きな音を立てて馬車が急停車した。 「わっ」  急停車にバランスを崩したユクスが、サザナミに抱きつく。サザナミはそれを受け止め、御者が乗るほうに目を向けた。  不自然なほどなにも音がしなかった。  いやな予感がして、ユクスを扉側から離すように奥に押し込む。窓の外を見ようとカーテンをわずかにずらして観察する。 「なにかあったのでしょうか」  背後でユクスが不安げに呟いた。 「お下がりください」  カーテンの隙間からいくらのぞいても、馬で併走していたアキナが見当たらなかった。奇妙なほどしんとした気配にサザナミは嫌な予感を覚える。  ――いきなり止まったのだから、団長が様子を見にこないのは変だ。 「アキナ団長がいない」 「え」  そのとき、突然ドンドンッと馬車の扉が叩かれ、馬車全体が揺れた。 「王子がそこにいるな。出てこい」  扉の向こうで、低い声が乱暴にそう告げた。  ユクスは明らかに狼狽え、サザナミの服の裾をぎゅっと掴む。か細い声でサザナミの名を呼ぼうとするので、片手で口を塞いだ。  サザナミは冷静だった。  外の人間の出方をうかがって黙っていると、もう一度「王子を出せ」と声が聞こえてくる。  ――外の人物は、ユクスさまを害したいと考える賊だ。俺にはそれが誰の差し金なのか見当がつかないし、そもそもいまはそれが誰か考える必要はない。考えるべきは、ユクスさまの安全ただ一つ。  扉を叩く音はどんどん大きくなる。  頑丈な馬車の扉が破られるのは時間の問題だろう。  サザナミは腰に提げていた短剣に手をかける。気配をころしつつ外の様子を観察しながら、小声で告げた。 「俺はいまからこの扉を蹴り飛ばします。よければ扉ごと相手が吹き飛ぶし、吹き飛ばなくても相手は怯むはずです。その隙に俺は外のやつに斬りかかるので、ユクスさまは王城まで走ってください。市内を巡回する騎士団員に会えたらラッキーですが、もし見当たらなかったとしてもめげないで。ひたすら王城をめざしてください。ここから城までは走って十分くらいだと思います。けっして振り返らず、狭い道には入らずに人がいる大通りを。いいですね」  そう言って振り返ると、戸惑いを浮かべた瞳と目が合う。  サザナミは自らの内に眠る魔力のおかげか、もともとの身体能力の賜物か、少年団の子どもら相手であれば剣技でほぼ負けることはないほどまで成長していた。しかし、やはり経験の差がものを言うのだろう、騎士団の大人連中にはなかなか勝ち越せはしなかった。  稽古で勝てないのだから、実戦経験がない子どもが本気の殺意を向けてくる大人を倒せるだなんて、微塵も思っていない。  ただ、すこしでも時間を稼げれば、ユクスだけでも助けられるかもしれない。  サザナミは短剣で戦える距離感を頭に浮かべながら、ひととおりのシミュレーションする。  ――大丈夫だ。俺はだめでもユクスさまが助かればいい。倒そうだなんて思うな。ゆっくり戦って、ユクスさまが王城まで走りきれるぐらいの時間を稼ぐんだ。 「ま、待って。それではサザナミが……」 「ごたごたしていたらあんたも俺も死ぬんだ。いま俺が思いつく最善をやるんです。いいから黙って俺の計画に付き合ってください」  ごねるユクスを正論で説き伏せると、サザナミはドンドンとうるさい扉を睨んだ。 「いきますよ」  合図とともに、サザナミは勢いよく扉を蹴り飛ばして外に出る。同じタイミングで、ユクスが頼りなし足取りで王城方面へ走り出した。
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