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第二章 ホムラの民⑪
瞼の裏に強い光を感じで、サザナミは意識を取り戻した。
眩しさからこめかみが痛む。目が光に慣れるまで待ってからうっすらと目を開けると、人工的な白い光に溢れた室内で包帯や薬瓶を手に行き来する人々が目に入った。見慣れた光景は医師団の屋舎に備えられた寝台で間違いない。
また自分が倒れたことを理解し、ため息をつく。
ふとあたたかさを感じて寝台に目を向けると、ユクスが自分の手を握ったまま、突っ伏して寝ていた。
頬には乾いた涙の跡が見える。
サザナミはなぜ王子がこんなところで寝ているのかがまったく理解できなかった。しかも自分の手を握って、自分が起きるのを待っていたかのように見えてしまう。
――そんなことがあるはずないだろう。彼は王子で、俺は卑しい奴隷なのだから。
ユクスがどんな理由でここにいるのかはわからないが、王子が供もつけずにこんなところで無防備に寝ているのはどう考えてもよろしくない。申し訳なさを感じつつも控えめに肩をたたくと、ユクスはがばっと起き上がった。
「……サザナミ! ああ、よかった」
安堵の表情を向けられ、やはりサザナミは不思議に思う。
「起きたんですね。気分はいかがですか」
「大丈夫です」
カラカラの喉から絞り出したのは、驚くほどか細い声だった。我慢できずに咳き込むと、ユクスは慌ててサイドテーブルに置いてある水差しを取って、グラスに水を注いだ。
そのなんとも頼りない手つきをサザナミはぼうっと眺める。本来ならば王子にそんなことをさせてはならないのだが、まだ半分夢の中にいるサザナミはそこまで気がまわらない。
「飲めますか?」
ユクスにそう問われ、緩慢な動作で上半身を起こしてグラスを受け取る。水を飲み干すまでの間、ユクスは気遣わしげにサザナミを見ていた。
「水、注いでいただいてすみません。俺はどのくらい寝ていたんでしょうか」
「三日ほど。医師団によると大きな外傷はなかったようですが、ずっと高熱にうなされていました」
「三日……」
身体がやけにだるくて重いのは熱のせいか。
「ぶじでよかった。おまえを危険な目に遭わせてしまいました……ごめんなさい」
王子に頭を下げられ、サザナミは動揺する。
「な、なんで謝るんですか。俺が弱いのがいけないんだ。そんなことより一人にしてしまってすみませんでした。ほんとうに、なにもされていないんですよね」
「ええ、おまえのおかげで無事でしたよ」
ありがとう、と微笑まれ、サザナミは困惑する。
――たしかにユクスさまは無事だったが、はたして俺が取った行動は最善だっただろうか。
任務ではなかったが、要護衛人物の王子と二人きり。ことの重大性をきちんと理解して、不測の事態を想定できていただろうか。
賊に襲われる少し前、自分がうたた寝をしていたことを思い出し、胃がずしりと重たくなる。もし寝ている間に襲われていたらどうするつもりだったんだ。
賊の存在を認知してからも、最初から自分が時間を稼げばいいなんて甘い考えをしていた。出かける前からきちんと準備をして、警戒をすべきではなかったのだろうか。
気がかりなことはもう一つある。
あの男が使った光の斬撃。ホムラにいたころに見た覚えのある術であったから、自分も大人になれば使えるのだろうか。今回のようなことが今後も起こるかもしれないのだから、剣以外の攻撃手段があるのであれば、なにがなんでも身につけたい。
――いや、でも俺が大人になるまで待っていたら遅いんだ。もっと強くなるために、魔力を十分に扱えるようにならなければいけない。でも、俺には知識がないから、なにをすればあれができるようになるかわからない……
「サザナミ、どうかしました? どこかつらいところがありますか」
「あ、いえ……俺にできることを考えていて」
ユクスはサザナミの言わんとするところがわからなかったのか、首を傾げた。
考えごとの続きをしようかと思ったタイミングで、扉が開く音が聞こえ、アキナが入ってきた。
「サザナミ、起きたか」
「団長」
起き上がろうとすると、アキナは「いい」と制止した。
「楽にしていなさい。気分はどうだ?」
「問題ありません」
「そうか、ならよかった。さっそくで悪いが、賊について教えてほしい。あいつと対面したのはおまえだけだから、なにか気づいたことがあればすべて話してくれ」
サザナミは頷き、外套をはずした男の姿を思い浮かべた。
「身体的特徴から成人した男かと思いますが、比較的若い印象を受けました。年齢は……エーミールさんくらいですかね。黒髪赤目で、本人はホムラの民と名乗っていました。あと、手のひらから光の斬撃を出す奇妙な術を使っていました。魔力の一種だと思います」
「やはり東の民か……」
「はい。あと、俺がホムラ出身だと気づくと、ひどく動揺していました」
アキナが眉間に皺を寄せる。
「それはなぜだ?」
「俺が仲間なのかもしれないと思ったようでした。そうではないとわかると、『ろくに魔力も扱えぬ未熟な子どもであれば、殺してもあの方は惜しまないだろう』と言っていました」
「あの方?」
「はい。でもすみません、誰かは聞けませんでした」
「そうか、わかった。もしほかにも思い出すことがあったら教えてくれ」
サザナミは頷く。
アキナは大きなため息をつき、「東はここさいきんきな臭いな」とぼやいた。無精髭と目の下のクマが疲労を物語っていた。
「……団長、お忙しいところ申し訳ないのですが、お願いごとを聞いていただけないでしょうか」
「なんだ?」
アキナはぱっと顔を上げると、目を細めてサザナミを見た。
「俺の兄を捜してほしいのです。兄は医者なのですが、ホムラの魔力の知識について、彼の右に出る者はいませんでした」
「おまえの兄貴か? 捜すのはかまわないのだが、なぜだ」
「俺の身体のことと、正しい魔力の使い方を知りたいんです。今回倒れたのも、賊と対峙した緊張で魔力が必要以上に高ぶったからだと思います。あの日、ユクスさまと初めてお会いしたときも、緊張と混乱で頭のなかがぐちゃぐちゃでしたから、同じ理由で意識を失ったのだと思います。でも、こんなに頻繁に倒れていたら、いざというときに戦えないと思うんです」
「わかった。ただ、おまえは兄と……」
アキナは口をつぐみ、ユクスを一瞥した。いままで蚊帳の外にいたユクスは、アキナと目が合うと小首を傾げ、気まずそうなアキナとサザナミを交互に見る。
サザナミはそのアキナの様子に違和感を覚えた。
――団長はユクスさまに俺と兄貴の関係が悪いことを言っていないのだろうか。
兄と不仲なことは最初のころにアキナに伝えていたが、わざわざサザナミの口からユクスには話していなかった。元奴隷の取るに足らない話を、王子に言う必要を感じなかったからだ。
ただ、サザナミはすでにアキナがユクスに共有でもしているものだと思っていた。しかし、アキナの反応を見るかぎり、ユクスにはなにも言っていないのだろう。
律儀なアキナに感心しつつも、べつに元奴隷の子どもなんだからプライバシーなんて軽んじてくれていいのにとサザナミは思う。
「あのとき、俺がもっと強くて賊に勝てるイメージを持てていたら、ユクスさまと別れるという選択は取らなかったはずです。でも、そのイメージができなかったから、俺は最悪のなかの最善だと思う策を取りました。冷静になったいま、もう一度考えてもあれ以外の策は思いつきません。俺は自分の力量に自信が持てるくらい強くならないといけないんです。そのために、この魔力と向き合いたい。でしたら、そこらへんのホムラの医者にあたるより、兄が一番確実だと思うんです」
「……わかった。あとで捜索班を寄越すから、お兄さんの情報を伝えてくれ」
「ありがとうございます」
アキナはおもむろに立ち上がって寝台に近づき、がしがしと髪を撫でまわした。久しぶりの感触に、サザナミの心はそわそわする。
「もちろん兄貴から魔力のことを聞けたらいいと思うが、俺としては、東の悪い噂や今回の事件関連でおまえの兄貴がなにか知っていることがあれば聞きたいところでもある。たしか兄貴は歳が離れていて、とっくに成人しているんだろう? いまや東の民の生き残りの大人は貴重だからな」
アキナの言うことはもっともだった。
もともと少なかったホムラの民は、戦争によって十分の一ほどに減ったと言われている。戦死者の多くは、戦地に赴いた健康な成人男性だ。サザナミの兄は貴重な医師だったから、戦場には向かったものの危険なエリアは避けられたらしい。
いまや希少となった民らは祖国を失い、方々で難民生活を送っているのだから、情報収集に難航しているのもむりはない。
「わかりました」
「頼んだよ。それじゃあ、身体に障るとよくないから帰るとするかね。ユクスさま、行きますよ」
アキナの声にユクスははっとして、サザナミの手を握った。
「私、もうちょっとここにいます」
「だめですって。サザナミは起きたばかりなんだから、安静にしていなければいけないんですよ」
「なにもしません。ただ、側にいるだけですから……」
食い下がるユクスにアキナはため息をつく。
「それがだめなんですって。だいたい坊ちゃんあんたね、ここ三日間、何度見舞いに来……」
「アキナ!」
アキナの言葉を遮って、ユクスがとつぜん大きな声を出した。
サザナミは驚いてユクスを見る。真っ赤な顔のユクスと目が合うと、わざとらしく咳払いされる。
「あーはいはい、すみませんでした。坊ちゃんがこの三日間なにをしていたかは内緒のお約束でしたね」
「ユクスさま、内緒ってなんですか。またなにかあったんですか」
サザナミが気になって尋ねると、アキナから「違う違う」と笑われる。はぐらかしているようには見えなかったから、ほんとうに違うのだろうとサザナミは思う。
でも、それならなにを内緒にされたのかわからない。結局、サザナミはわずかにもやもやするのであった。
「と、とにかく! 私はサザナミが寝るまでここにいるだけですから」
ユクスはサザナミに抱きつき、アキナを見上げる。
「はいはい、わかりましたよ。もう勝手にしてください。でも、サザナミにむりをさせないこと、これだけは守ってください。いいですね」
ユクスは火照った頬のまま、こくりと頷いた。
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