第三章 兄弟①

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第三章 兄弟①

 ユクスと外出してから二週間後。  調子をとりもどしたサザナミが鍛錬場で剣の自主練に励んでいると、エーミールがやってきた。めずらしく息を切らしている姿に、サザナミは何事だろうと剣を振るう手をとめる。 「サザナミくんのお兄さん――ミギワさんが見つかったよ」 「本当ですか!」  驚いたサザナミは大きな声が出る。  静かな鍛錬場に声が響き、サザナミは慌てて口を押える。  さいわいエーミール以外には人がいなかったので、とがめられることはなかった。しかしサザナミは誰もいないほうへ頭を下げる。  アキナに兄の捜索を頼んだ手前弱気なことは言えなかったが、サザナミの家族はいつどこで野垂れ死んでいてもおかしくないような経済状況だった。それこそ、たいして役に立たないであろう幼い弟と妹を奴隷に差し出すくらいには。  それに、サザナミには兄がどこに行ったのかまるで見当がつかなかったから、まさかこんなに早く見つかるとは思っていなかったのだ。 「関所の記録に名前が残っていたんだ。ちょうどいま、騎士団の応接室に来てもらっているから案内するよ」 「ありがとうございます」  サザナミは深く頭を下げる。  ――これで少しは強くなれるだろうか。  エーミールから聞いた関所の名前は、アルバスに用事がないと通らないところだった。兄はアルバスに用事があったのだろうか。  疑問を覚えつつも期待を胸に応接室に入ると、兄が窓外の景色を眺めていた。  サザナミと同じ濡羽色の髪を腰のあたりまで伸ばし、三つ編みにして一つにまとめた姿。切れ長で冷たく光る朱い瞳。  二年前とまるで変わらない。  ミギワはサザナミに気づくと、わずかに目を開いた。 「おう、弟。元気だったか」  ひさしぶりに聞くホムラの言葉に心臓が跳ねる。  飄々な仕草と影がさすようなほの暗い笑みは記憶のなかにある兄と一致するが、不思議と懐かしい感情は沸き起こらなかった。  サザナミはエーミールを一瞥する。とくに口を挟むつもりがないのか、サザナミを見てゆっくりと頷いた。それを肯定ととらえ、サザナミはホムラ語を使ってしゃべることにする。 「兄貴も変わりなさそうで……」 「あ、なんだ。ほんとうにそこそこ元気そうだな」  能天気な発言に、腹のみぞおちあたりがグッと重くなる。  ――おまえが売ったんだろうが。  汚い言葉が喉元まで出かかるが、言葉がわからないとはいえ隣にいるエーミールを思い、すんでのところで思いとどまった。  そんなサザナミの様子なぞ気にもとめず、ミギワはものめずらしそうに弟の衣装を眺める。 「それはこの国の騎士団の制服か? 奴隷から卒業できてよかったな」 「おかげさまで、奴隷生活はたったの二年で済んだ」  たったの、を強調して言うと、ミギワは肩をすくめる。 「そうか、案外短かったんだな。よかったじゃないか」 「おまえ、いい加減に……」  我慢ならず強い言葉が出そうになったとき、「サザナミくん」とエーミールが遮った。 「本題を話すならアルバス語でやりとりするか、お兄さんの通訳をお願いできるかな。できれば前者だとありがたい」 「あ、はい」  隣に立っていたエーミールを見ると、見たことのない冷淡な目でミギワを見据えていた。 「兄貴、アルバス語はまだしゃべれるよな? ここからはアルバス語で話したい」 「ああ、問題ない。それよりとっとと本題に入ってくれ。おまえから俺に会いたいだなんてどういう風の吹き回しなんだ。俺の勘違いでなければ、おまえは俺を嫌っていたと思うが」  ミギワはそう言って肩を竦めてみせる。ふざけた仕草にいちいち腹が立って仕方がない。  サザナミは深くため息をついてから、本題に切り込んだ。 「俺の身体に流れる魔力について、教えてくれ」 「なぜ?」 「戦う力がほしいんだ。だから、この魔力を使えるようになりたい。ホムラでは成人するまでは使ってはいけないと言われていたけれど、あれはホムラの大人たちが決めたことだから国を出た俺には関係ないだろう。教えてくれないか」 「ふうん」  ミギワは腕を組み、しばし考え込んでからふたたび口を開いた。 「いいよ。おまえのはちょっと気味がわるいからあんまり好きじゃないんだけど、腐っても兄弟だしな。偉くて頭の固い大人連中は大方滅んでいるし、使い方くらいは教えてやってもいい」  ミギワはつまらないものを見るような目でそう言い放った。  ホムラ訛りのない流麗なアルバス語。エーミールにも問題なく聞き取れるはっきりとした発音。  いままで兄弟のやりとりを静観していたエーミールが殺気だった。冷たい眼差しのまま、なにかを言おうとミギワに体を向けたそのとき。 「失礼する」  アキナとユクスが入室してきた。  なぜ王子が来たのかと、サザナミはユクスをまじまじと見る。  ユクスは公務のときに見せる外向きの顔でサザナミを一瞥すると、すぐにミギワに目を向けた。  驚くサザナミをよそに、アキナとユクスはミギワの正面まで進む。  アキナはミギワに目礼をし、エーミールに「ミギワ殿か」と確認をした。そのまま一言二言小声でやりとりをして、立ちっぱなしだったミギワをソファに座るように手のひらを差し出し、自分たちも反対側のソファに腰かけた。  エーミールとサザナミは、二人のうしろに位置どる。 「サザナミ、アルバス語でしゃべってもかまわないだろうか、と伝えてくれないか」 「あ、はい」  しかしサザナミがアキナの言葉を通訳する前にミギワが口を開いた。 「さっきも聞かれたし別に何語で話してくれてもかまわないが、聞き取るのはあまり得意でないから早口は勘弁願いたい。それで、あなた方は?」  その流暢なアルバス語に、アキナはわずかに目を細めた。 「……イエイル・アキナ。アルバスの騎士団長を務めている。それで、こちらが」 「ユクス・アルバスです」  ミギワは目を見開く。そして、ソファに座ったまま、深々とお辞儀をした。 「第一王子でしたか。とんだご無礼を失礼いたしました」 「いえ」  ユクスは固い表情のまま首を振った。 「ミギワ殿。サザナミに請われてあなたの捜索命令を出したのは私だ。要望に応じていただいたことに謝意を」  アキナがそう言うと、ミギワはなんてことのないように鼻で笑う。 「ああ、かまいませんよ。両親が死んで一人になってからはふらふらしていただけなので」 「え」  サザナミは驚愕する。 「……父さんと母さん、死んだのか」 「ああ、そうか。おまえは知らなかったな。あの人たちは、おまえとナギを売った金をたったの二ヶ月で使いきっちまったんだ」  サザナミとミギワの父母は生きるための賢さがあるほうではなかった。それでも、我が子を二人も売ったのだから、すこしはまともな生活をしてくれているとサザナミは信じていた。  実際、サザナミは両親がましな生活をしているところを想像して、己が惨めな境遇をしばしば慰めていた。  べつにかれらのことが好きではないのに。むしろ、妹をあんな目に遭わせて恨んでもいたのに。それでも、自分の虚しい人生が誰かの救いになっているのであれば、と思う日もあったのだ。それこそ、縋るような、信仰のような気持ちで。  驚愕して固まるサザナミをよそに、ミギワは言葉を続ける。 「それで食うものに困った挙句、衰弱してあっさり死んだ。アホくさいよな、本当に。だから頭の悪いやつは嫌いなんだ」 「……そうか」  サザナミはそう返事をするので精一杯だった。  ――ここにはユクスさまや団長、エーミールさんがいる。へたに動揺して心配をかけるわけにはいかない。  応接室の丁寧に磨かれた地面を睨みつける。  握りしめた拳が痛い。  下を向いているサザナミは、心配したユクスがうしろを振り返り、さらにそれをミギワがちらりと見たのには気づかなかった。 「で、なんだっけ。俺はおまえに魔力の使い方を教えればいいの?」  ミギワにそう問われ、サザナミはぱっと顔を上げてうなずく。  ミギワはしばらく考えるそぶりをして、口を開いた。 「おまえのそれはいささかイレギュラーだから、俺からは一般的なことしか伝えられないと思う。まあなんだ。とにかく、俺がいま泊まっている宿舎に来い」 「いま教えてくれよ」 「俺より詳しいやつがいる。そいつと話したほうが早いだろう。見た目はアルバスの者だが魔力が使えるんだ、めずらしいだろう?」  アキナの肩がわずかに跳ねる。 「……どういうことなのだろうか」 「俺にもよくわからないんです。東の血でも混じっているんじゃないですか」  ミギワは肩をすくめた。  ――その人に会ってみたいけど、ちょっと危険だろうか。  答えに迷ったサザナミが黙っていると、アキナが「その方はどちらに?」と問うた。 「この近くに潜伏していると思いますよ。気が合うからしばらく一緒に行動していたんですが、追っ手の気配がするだとかなんだとか言って、どこかに隠れてしまったんです。まあ、あなたたちだったのですが」 「それは悪いことをしたな」 「いえ、気配に敏感なやつなんです。でも、あすには宿舎にもどってくると言っていたから問題ない。やつは気難しくて気配に敏い男だもんで、大勢で押しかけたら逃げてしまうだろう。だから、同行者はサザナミ一人で願いたい」 「僕は反対です」  それまで隣で静かに聞いていたエーミールが、そうはっきりと言った。  アキナがわずかに振り返り、続きをうながすように眉をあげた。 「口を挟んですみません。たしかにサザナミくんは同年代の子らに比べたら圧倒的に強いですが、まだ未成年の子どもです。騎士団で預かっている子どもを危険な目に遭わせることは、騎士団の規則上、許されないはずです」  エーミールは澄んだ声でそう言うと、ぴたりと口を閉じてミギワを見た。 「俺は弟が来ようが来まいがかまわないですよ」  この場に飽きたのか、ミギワは盛大にあくびをする。ミギワは気まぐれな性格。窓の外を見たり、貧乏ゆすりをしたりとあきらかに帰りたがっている素振りを見せはじめたので、サザナミは焦った。 「だ、団長、エーミールさん。俺、その人に会いたいです」  アキナの背中に向かってそう言う。焦って声が上ずってしまった。 「僕は反対です」  アキナは大きなため息をつき、「エーミールを連れていく」と呟いた。 「ありがとうございます!」  サザナミは大きな声でお礼を言い、頭を下げる。すこし遅れて、頭上で承諾を示す声が響いた。 「あの、俺はサザナミ一人でと言ったはずですが」 「ああ、申し訳ないがこちらも規則があるのでね。彼、エーミールは事情があって騎士団に身を置いているが文官です。戦う能力はさほどなく、あなた方を害する可能性はこのなかの誰よりも低いから、それで許していただけないか」  アキナの言葉にミギワは押し黙る。 「……まあ、いいでしょう」  長考の挙句、ミギワはぶっきらぼうにそう言い放った。  アキナの物言いは嘘だ。  エーミールに戦う能力はもちろんある。  むしろ騎士団のなかでの戦闘能力は平均よりも上だ。  しかし、見た目と物腰の柔らかさから弱いのではと舐めてかかる人間は少なからずいる。サザナミだって、最初はなぜこんな優雅な見た目の人が騎士団にいるのか謎で仕方がなかった。だから、見た目を生かして偵察の任務によくついているのだとか。  サザナミからすると、兄はアキナの言うことを疑ってかかってはいそうだったが、エーミールの無害そうな見た目については、一応信じているように見えた。 「じゃああさっての未明に来てくれ」  ミギワは宿泊施設の場所を記した紙を手渡すと、挨拶もなしに扉のほうへすたすたと歩いていく。  その後ろ姿を見つめるユクスの背中は、あきらかに困惑を物語っていた。  それもそのはず。王族のユクスからすると客人は丁重にもてなすのが当然のことだし、そもそも王族である自分の存在を無視する失礼な輩なんて会ったことがないからだろう。  非礼な兄を咎めようとしたとき。ミギワは急に「ああ」と呟き、振り返った。  かちりと目が合う。  なにもかも見透かすような朱い瞳。自分と同じ血が流れているはずなのに、まるで違う気配をまとう瞳。幼いころからサザナミはこの瞳で見つめられると、きまって息苦しさを覚えていた。 「なあ、そういえばナギはどうしているんだ」  まるで今日の天気を聞くような気軽な口調で、ミギワはそう言った。  サザナミは心臓をつかまれたような心持ちになる。 「……死んだよ」  そう言葉を振り絞ると、ミギワは「そうか」と呟いた。 「ナギは病弱だったからな、奴隷の仕事は耐えられないだろうとは思っていたが。どんな感じで死んだんだ?」  変わらず軽い口調。  サザナミは足元が崩れ落ちるような、暗がりに突き落とされたような、そんな感覚に陥る。  はたして自分はまともな表情ができているだろうか。  立っているだけで精一杯、むしろいま自分がほんとうに立てているのかすら怪しい。そんな状況で返事なぞできるわけもなく、ただ黙り込んでいるとユクスが立ち上がった。 「エーミール」  そう呼びかけると、ユクスはソファから離れ、サザナミの手をそっと握る。 「お客さまを王城の外までご案内してください」  ユクスは慮るような表情で、サザナミの顔を覗き込んだ。  その瞳には、はっきりと同情が滲んでいた。  そのときサザナミは、自分がほんとうにただの無力な子どもなのだと、ようやく思い知ったのであった。  そしてその無力さを、ひどく恥ずかしいことだと感じた。
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