第一章 少年サザナミ、十二歳③

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第一章 少年サザナミ、十二歳③

 サザナミは騎士団長のイエイル・アキナに手を繋がれ、アルバスの市街地を歩いていた。 「見たところおまえは東の子どもだろう」  こくりとサザナミは頷く。 「俺は彼の国の言葉を扱えない。申し訳ないのだが、このままアルバス語でしゃべっても大丈夫だろうか」 「大丈夫です。日常会話程度なら学んでいるので」  たどたどしく言葉を紡ぐと、アキナはほっと息を吐いた。サザナミも自分の言葉が通じたことに安心する。 「おまえのことは医師団に運ばせたかったんだが、あいにく祭りのせいでどいつもこいつも手が離せないようで……こんなおじさんですまんな。まあ、そこそこ強いおじさんだから許しておくれよ」  アキナは白い歯を見せてにかっと笑う。  強面の顔、日に焼けた肌、屈強な体躯。見た目の印象とは異なり、ずいぶん優しい声色で言葉を紡ぐ男だな、と子どもながらにサザナミは思う。ホムラでは出会わなかったタイプの男だ。 「あの、どこに向かっているのでしょうか」 「ああ、なにも言わずに連れてきてすまんな。この先に医師団が駐在するテントがあるんだ。おまえのことを診てもらおうと思ってな」 「……すみません」  慣れない国の言葉で呟き、頭を下げると、アキナは曖昧に笑った。  ――はたして自分の人生はどうなってしまうのだろうか。  サザナミはいましがたの騒動――奴隷商人からあっさりと解放されたことに混乱していた。それもそのはず。凄惨な奴隷人生が退けられて自由を得たはずのサザナミだったが、彼はまだまだ年端のいかぬ子ども。知らない国を歩く二本の足はひどく頼りなく、地面はぐらぐらと揺れているようだった。  そんな不安をよそに、陽光は燦々とサザナミを照らす。アキナの手をぎゅっと強く握り、意を決して口を開いた。 「あ、あの、これから俺はどうなるのでしょうか」 「おまえは捕まらないから安心しな。どうするかは落ち着いたら一緒に考えよう」  アキナはそこまで言うと口を閉ざし、前方をじっと見据えるととつぜんその場に傅いた。  ぴりっとした気配がアキナを纏う。  手を繋がれたままのサザナミは何事だと立ち尽くすしかない。アキナが見ていた方向に目を向けると、金髪の子どもが、アキナと似たような服を着た男を複数人従えて早足で駆けてきた。 「アキナ!」  パレードで見かけた王族の子どもだった。  遠目から見たとおり線の細い体だったが、背はサザナミより頭ひとつ分大きい。衣服に施された金色の刺繍が、陽光を受けてチカチカと光る。少年は乱れた礼装をさっと整えると、菫色の瞳でこちらをじっと見た。  ――また、この瞳だ。  サザナミは心の臓を掴まれたかのように、菫色の双眸から逃れられなくなる。 「アルバスが騎士団長、イエイル・アキナにございます。ユクスさまにおかれましては、ご機嫌麗しく……」  菫色の瞳はすぐにサザナミからはがれ、アキナに向けられた。 「表を上げて。かしこまった挨拶は不要です。どうかいつもの感じで」  丁寧な口調とは裏腹に、路地裏の日陰のように冷たい声だった。 「そんなこと言われましてもね、ここはけっこう人の目があるもんで……」  アキナは少年の耳に顔を寄せ、小声でそう言う。 「おまえがその調子なのは、ほとんどの民が知っていることですよ」  そう言われると、アキナは「まいったな」と苦笑した。 「じゃあ、お言葉に甘えまして。坊ちゃんがこんなところまで来るなんてめずらしい。なにかご用事でも?」 「いえ、用事というほどではないのですが……あのとき、荷馬車にいた少年を探していて」 「荷馬車ですか?」  アキナの問いかけに「ええ」と答えた少年は、ふたたびサザナミに視線を寄越した。そのまま上から下までじっと観察される。厳しさなんて微塵もない、むしろ穏やかな視線だったが、サザナミは直立不動で動けなくなってしまう。 「あ、あなた!」と叫ぶと、急に菫色の瞳が大きく開かれた。 「ごぶじでしたか、よかった!」 「顔見知りか?」 「いえ、違うんです。先ほどのパレードで荷馬車に乗っているのが見えまして、少々気になっていたんです。その、隙間から見えたあなたの目が、なんと申しましょうか、すごく……辛そうだったので」  少年はそこまで言うと、遠慮がちに目を伏せた。サザナミはなんと言えばいいのかわからず、彼の視線を追って地面に目を落とす。細長く小さい影がふたつと、隣に大きな影がひとつ。  アキナはかんたんに荷馬車のことや奴隷商人のことを少年に話した。  サザナミは顔を伏せたまま、気づかれないように視線だけで少年の顔を見る。  ――あの西洋人形に似ている。  奴隷として北の国の公爵家で働いていたとき。  サザナミは毎週金曜日の夜になるとその家の息子の部屋に呼ばれていた。成人したばかりの息子は少年愛者で、サザナミは彼のお眼鏡にかなっていたのだ。  齢十ほどのサザナミの体を弄んで悦に入っている間、サザナミはずっとキャビネットの上に置いてあった西洋人形を見ていた。やわらかそうな金の髪、紫の瞳、上等な生地の衣装。どうにかこうにかしてほかのことを考えて気を紛らわせたいサザナミは、西の子どもはこんな見た目なのかと、見たことも行ったこともない国に暮らす少年を想像して、心を慰めていた。  頭ががんがんと音を立てて痛み、心臓はうるさいくらいに鳴り響く。  ――いやだ、怖い、やめて、痛い、俺を傷つけないで。  サザナミはその場にうずくまった。 「おい、どうした!」   倒れて息を乱すサザナミに驚いたアキナは、すぐにしゃがんで手を差し伸べようとする。しかしサザナミのまわりを取り囲む異様な気配を察知すると、「なんだ、これ」と呟いて、体を離して間合いを取った。  赤黒い気配がサザナミのまわりを取り囲んでいた。 「ユクスさま、離れてください!」  ユクスは目を瞠ったまま、サザナミの正面から動かない。ユクスの足元にも、サザナミから漏れ出る赤黒い気配がじわじわと立ち込める。  かちり。  アキナが剣の鞘に手を触れた。  その瞬間、赤黒い気配がアキナを襲った。 「なんだこれ、動けねえぞ! ユクスさま、危険です。どうか離れてください!」  ユクスは己の足元を侵食せんとする赤黒い気配をじっと見つめると、静かに一歩踏み出した。  そのまましゃがみこみ、地面に伏せるサザナミを抱きしめた。ふたりをを赤黒い気配が覆う。  いまだに動けないアキナの叫び声が遠くに聞こえる。 「落ち着いて」  ユクスがゆっくりとそう口にした。 「大丈夫。私はあなたを傷つけません」  サザナミの背中に温かい手のひらが添えられる。 「ゆっくり呼吸して。そう、そうです。いい子」  ふたりを取り囲んでいた赤黒い気配がふっと遠のいた。  ユクスの腕の中で、サザナミは意識を失った。
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