第一章 少年サザナミ、十二歳⑦

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第一章 少年サザナミ、十二歳⑦

   ***  つぎにユクスがサザナミのもとを訪れたのは、一週間後のことだった。  騎士団の宿舎の外廊下を掃除しているサザナミに、どこからともなくユクスが現れたのだ。  正面からユクスにじっと見つめられ、いつもの落ち着かない気分になったサザナミは、アキナの言葉を思い出し、おずおずと口を開く。 「あの」  弾けるようにユクスが顔を上げた。 「発言をおゆるしいただけますか」  ユクスはわずかに顎を引いた。  それを肯定ととらえ、サザナミは口を開く。 「ユクスさまは、どうして俺のことを気にかけてくださるのですか。失礼を承知で申し上げるのですが、あなたはこれまであまり他者との交流を持たれていなかったと聞きました」  ユクスはそろりと頷く。 「おそれながら、異国の民をめずらしくお思いなのでしょうか」 「違う」  はっきりとした声だった。  言葉の強さにサザナミはうろたえる。 「じゃあどうして」 「私がただ、サザナミとお話ししたいから、という理由ではいけませんか」 「は?」  目の前にいるのが王子だということを忘れ、サザナミは間抜けな声を出していた。 「俺と話したい? なぜでしょうか」 「なぜって言われましても」  ユクスは首を傾げた。  その煮え切らない態度にサザナミは徐々に苛立ちを覚える。これまでサザナミをいいように扱ってきた下品な貴族と同じで、自分のことを嬲ったり、都合よくアクセサリーにしたりしたいだけなのだろうか。 「俺の見た目が気になるのですか。たしかにアルバスの方々からしたら、俺のような黒髪赤目はめずらしいと思います。飼いたければどうぞご自由にしていただいてかまいません。俺は奴隷でしたから、多少のお役には立つと思いますし」  サザナミは最後まで言いきってから、内心で大きな舌打ちをした。いくらむかついたとはいえ、衝動的に乱暴な言葉を吐いていい相手ではない。  そもそも、奴隷時代のあれこれを思い出して沈んだ気分になってはいたが、その思い出と目の前にいるユクスはまったく関係ない。サザナミはそのくらいの分別はつく年齢であった。  ――いったい俺はなにを噛みついているんだ。  ユクスはしばらく無言のままだった。おそるおそるユクスを覗き込むと、かちりと目が合う。  底なし沼のようなくらい瞳をしていた。  サザナミはぞっとして一歩後ずさる。  がしゃん。  足元に置いていた掃除道具が足に引っかかり、大きな音を立てて倒れる。  ユクスはその音にはっとして、サザナミを正面から見据えた。 「サザナミ。飼うとはどういうことでしょう。いったいだれがそのようなことを言ったのですか」  冷たく静かな声。だがしかし、たしかに怒気をはらんでいた。 「……いままで俺を買った貴族たちが。おまえは愛玩動物だと」  ユクスは菫色の目をこぼれんばかりに開くと、サザナミを抱きしめた。ひとまわり大きいユクスの腕のなかにすっぽりとおさまってしまう。  なにごとかと狼狽えていると、背中からユクスが鼻をすする音が聞こえてきた。 「あ、あの、」 「子どもはね、愛されるために生まれてきたんです。母さまがそう言っていました」 「……俺を売ったのは俺の家族です」  ユクスの体が強ばった。  しかしその緊張をすぐにほどくと、サザナミのことをいっそう強く抱きしめた。 「それではいまから私があなたを愛します。ざんねんながら家族にはなれませんが、私なら家族なんかよりも大きな愛を差し上げられますから」 「大きな愛、ですか?」 「王族の大きな大きな愛です。あいにく金と権力はたっぷりと余っていますので」  サザナミは体をよじってユクスの横顔をぬすみ見る。  いたって真面目な顔だった。  思わず、サザナミは吹き出す。 「わ、私、本気ですって!」  抗議の目をしたユクスにぽかぽかと叩かれるが、笑いが止まらない。  しばらくしたら、ユクスも笑いはじめた。 「あんたもそういう冗談が言えるんだな。あ、すみません」  ユクスは体を離し、ふるふると首を振る。 「どうかサザナミの喋りやすいように」  そう言って、ユクスはふわりと笑った。はじめて見る自然な笑みだった。  元奴隷の少年は、王子の笑顔を見てなぜだか祖国に咲く桜の花びらを思い出した。先日エーミールと話したからだろうか。
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