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宮殿のある首都は、春の訪れとともにひときわ美しくなる。
家々の窓や生垣に花が咲き、通りは赤やピンク、白の花びらで埋めつくされる。街は早朝から賑わい、人々の顔も心なしか軽やかだ。
十一歳になったナイメリアは、街を見下ろす鐘楼の上に立ち、朝の清らかな空気と、あふれる花の芳香を心地よくすいこんだ。横で手を繋いでいるフロイデが通りを観察し、満足そうな息をこぼした。
「異常はありませんね。結界のほころびも見当たりません」
街の外には、巨大な石壁が築かれている。そのあたりからうっすら白く、もやのようなドームが首都全体を覆っている。先日、フロイデと一緒に編み出した防護結界だ。結界といっても、敵の侵入を防ぐ効果はない。敵の侵入を即座に音で知らせる仕組みで、自分たちはその音を使い、結界近くまで一瞬で移動できるようになっている。広大な防護結界を見晴るかすと、圧倒されてしまう。我ながら見事な仕事だ。フロイデと出会ったばかりの頃は、こんな大掛かりなことができるなんて思いもしなかった。
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楽器を手に入れてから、おそろしいほどの努力を積み重ねてきた。奏者に必要とされるのは、音楽についての知識と経験、楽器とのコミュニケーションだ。知識がなければ楽器をうまく動かすことはできないし、楽器とのコミュニケーションが不足すると、鎖に使われるエネルギーが増し、奏者の寿命は簡単に尽きてしまう。まずは、あらゆる曲をおぼえることから始めた。必要な知識を寝る間を惜しみ、片端からつめこんだ。文字通り、それは命懸けの勉強になった。知識があやふやなときに敵が攻め込んできたら、無防備な状態で前線に立つはめになる。
一刻を争うなか、フロイデに注意を払うことはできなかったが、幸いコミュニケーションに関しては、向こうから積極的に近づいてきてくれた。フロイデは、入浴とトイレ以外の時間を自分の隣で過ごした。加えて、いついかなるときでも手を繋ぎたがった。勉強で忙しいときに片手をとられることを嫌がると、「それなら」とフロイデは椅子に座り、自らの膝に腰掛けるようにと言った。
「こうしていれば、両手があくでしょう?」
最初はうっとうしく、過度な拘束を煩わしくも思ったが、フロイデが「当然の権利」と言わんばかりに離れようとしないので、しだいに慣れていった。疲れきり、寸の間意識を失うように休むときも、フロイデはいそいそとベッドに潜りこんでくる。そうして、満足げに自分のことを抱きしめるのだ。不思議と寄り添っていると心が安らぎ、よく眠ることができる。一国の皇女のふるまいとしてはどうかとも思ったが、意外にもグランドマエストロはその話を聞くと満足げだった。
「楽器とはそういうものです。ソティルになる者が『未婚の男女』と定められているのは、楽器が人間よりも嫉妬深いからですよ。ソティルに人間の恋人がいれば、楽器は殺してしまうでしょうからなぁ」
未婚の男女しかソティルになれないなんて、全然知らなかった。しかし、そういわれてみれば叔母は未婚だった。いずれソティルになるとわかっていたから、恋人を作るのを避けていたのだろう。ウビガン兄皇子や妹のメイの他にも直系血族はいるが、ソティルの候補からは外されている。彼らは既婚だからだ。ソティルになる血統順位が、自分の次が妹のメイなのも、そのあたりに理由がありそうだ。グランドマエストロは「ただし」と真面目な顔で付け加えた。
「性的交渉はまだ避けられたほうがよいでしょう。もちろん、そうしたほうが鎖の重みは軽くなり、楽器を扱う面ではよいのです。しかし、アルケリス様がこの状況に慣れられるまでは……」
この話をしたとき、当然のごとくフロイデは隣に座っていた。ぎょっと身を強張らせると、彼は珍しく慌てたように答えた。
「ソティルが望まないことを決してしません! 嫌なら、できるだけ離れていることもできます。その……一日のうち、数時間くらいなら。離れられると思います。だからどうか、おそばに置いてください」
フロイデはぎゅっと自分の手を握った。アメジスト色の瞳は不安に揺らぎ、今にも突き放されるのではないかと怯えていた。その子供じみた仕草には、曖昧に微笑むしかなかった。フロイデは今や、一番近しい親友や家族のような存在になっている。彼を手放すことはできないが、恋人のように見ることができるかと問われれば、それはまったくの別問題だ。日々は忙しく、穏やかにすぎていく。その生活に逐一怒り、異議を唱えてきたのは、長兄のアルケリスだった。
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