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2-2
ある夜、鬼のような形相で部屋にアルケリスがやってきた。
「私はここで休むことにする」
兄は寝間着に着替え、自らの枕を持参していた。ナイメリアのベッドはかなり広いが、それでも長身の兄がフロイデの反対側に入りこむと、ぎゅうぎゅうになった。
「兄上! なんでいきなり……!」
「認められるはずがないだろう! お前とこいつが同衾なんて──グランドマエストロも父君もどうかしている! 私がお前をまもる。安心して眠るといい、我が愛しのナイメリア──うぐッ!?」
「ソティルに近寄らないでください」
フロイデが兄を蹴落とそうとしている。兄はその足をつかみ、反対にベッドから落とそうとした。
「っ、この私を足蹴にするとは、縛り首だぞ!」
「やれるものならどうぞ。でもソティルは、私のものです」
「ソティルではない! 我が妹の名はナイメリアだ! それに、お前のものでは、断じてない……!」
フロイデは楽器ゆえ、体格からは想像もつかないほどの腕力がある。長身の兄と互角に押し合い、本気で苛ついている。その怒りが、しだいに殺意へ変わりつつあるのが伝わってきた。
「いい加減にして! 今すぐ静かにしないなら、ふたりとも出て行って!」
その日は疲れ切っていた。翌日は早朝からフロイデと戦闘訓練を始めることになっていた。本気の怒りをはらんだ声に、ふたりともぴたりと口を閉ざしたが、お互いを睨み、低く唸るように小声で言い合っていた。
それからもアルケリスは夜な夜な現れ、眠る自分の横でフロイデとひと晩中言い合いをしていたが、ある日、ぱったり姿を見せなくなった。
「北の城塞を整えに行ったそうですよ」
夜、ベッドに横になったフロイデが鼻で笑い、満足げに教えてくれる。紫色の瞳はいい気味だと嗤っている。実際、フロイデはきっぱり言った。
「いい気味です。二度と戻ってこなければいいのに」
「ちょっと。口のきき方に気をつけて」
「構いません。僕がいなくて困るのは彼のほうなんだ」
フロイデはふたりでいると、くつろいだ様子をみせるようになった。心が打ち解けたからか、毎日の戦闘訓練も順調に進んでいる。訓練を始めたばかりの頃は、フロイデに音を奏でさせようとしただけで意識を失っていたが、今は簡単なメロディなら、ぎこちなくも紡がせることができる。もう鎖の重みにふらつくこともない。「重戦闘特化Ⅳ型」のフロイデと、予備知識のない自分という組み合わせに渋面だったグランドマエストロも、最近では明るい顔になっている。いわく、「これなら三年といわず、十年以上寿命を保てるでしょう」と、楽観的な見解が示されるようになった。
ふと、フロイデに目をやると、何かを言い出しづらそうにそわそわしている。
「あの……私も、ソティルのことを、名前で呼んでも?」
「? あなたがそうしたいなら」
途端に音が出そうなほど顔を輝かせ、フロイデはつぶやいた。
「ナイメリア」
「うん?」
「ナイメリア。私のナイメリア……ナイメリア……」
一音一音を嚙みしめるように、フロイデはうっとり繰り返した。その腕の中にいつものようにおさまり、フロイデの心音を聞きながら、不思議な心地で眠りについた。目の前の少年が楽器であることを、時々忘れそうになる。人間と同じように楽器は生活する。それだけでなく、体は時とともに成長すらするようだ。フロイデの身長はしだいに伸び、体に硬い筋肉がついてきた。灰色の猫毛は自分が「綺麗」と称賛し、よく撫ぜていたから、伸ばすことにしたらしい。今は腰あたりまで伸ばされ、ゆるやかにウェーブしている。フロイデは食欲旺盛だった。眠るときにはぐっすりと眠る。甘いものが好きで、たまの休みにティータイムを楽しむときや、こうして隣ですやすや眠るときには、本当に幸せそうな顔をする。出会った頃こそ真面目で、きりっとした風を装っていたが、意外と天然で抜けているところもみえてきた。硬かった表情は日々やわらぎ、頻繁に微笑む。その変化がただ嬉しかった。
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