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**** 後始末をする為に、バスルームへ直行したのだが、まぁ、その過程で押し問答があって。何とか彼の誘惑に打ち勝ち、事後処理を済ませたのだった。再三にわたり男は初めてか、と聞かれたのだが答えは変わらず、当たり前、だ。嫌悪感云々のことを言っているのだろうが、意識はないにしろ、一度彼と交わっているためか、身体に馴染む感覚があって、そういったことは一切なかった。もしかしたら、気付いていなかっただけで、その素質はあったのかもしれない。 「あー、てめぇが挿れてくんねーから、まだ物足りねえ感じ残ってんだけど。」 「…後始末が目的で風呂入ったんでしょうが。」 「なぁに赤くなってんの?さっきもっとすげーことしてたんだけど。」 「…、…うっさいな。はい、コーヒー入りました。どうぞ」 「おー、いい匂い。…うん、美味いな。よく作ってたって感じがする。」 彼の言う通り彼女がいる時は、毎日のように作っていた。ここ数ヶ月は、ご無沙汰であったが、腕は落ちぶれてはいなかったようで、彼の称賛に安堵する。…この家にある物、いや、この家も全て彼女のために、用意したもの。俺自身も、彼女中心の生き方をしてきた。別れを受け入れられずに…今まで。何もかもを明け渡すほどに、愛していた。彼女の大好きに、やはり嘘偽りはなかったと思う。けれども彼女は、俺を愛してはいなかった。 学生時代のバイト先で 初めて見かけた時 友達と笑い合っていた彼女に 一目惚れをした。 それ以来、彼女の笑顔がとても好きで 見かける度に強くなる気持ちに、意を決し 勇気を出して告白した時の場面が 『ずっと…ずっと、好きでした』 鮮明に、蘇る。 『そっか。…カフェでずっと感じてた熱視線の正体は、君だったんだ。…実はね、私も』 君を、見ていたんだよ。 『お互い見られてるって気づかずに、眼で追ってたなんて、ふふ。』 いつも仕事で厄介事を被ってる君に いつの間にか 眼がいくようになってたから 『私も、好きになってたんだろうね。』 初めて自分だけに向けられた あの笑顔も 『……付き合おっか、佐和くん』 あの言葉も 一生、忘れることはないだろう。 「…他には何にも要らないくらい、愛してたんです。馬鹿だって愚かだって言われようが、俺には彼女だけだった。すぐに立ち直るなんて、無理だ。」 もう彼女は此処に戻ってくることはない。 その事実をまざまざと実感して 胸が軋む。 はじめて実った、恋だったのだ。 「…それでいいじゃねーか。立ち直れなくて泣き暮れたって。大事なのはそうやって口に出すことだよ。向き合わないで自分を誤魔化してちゃ、ずっと堂々巡りで身体壊しちまう。出してくことが大切だ。今日のお前…みたいにな?いやぁ、すっげー量だったなぁ、孕んじまうかと思ったぜ。」 「ア、ンタねぇ、ちょいちょい下ネタ入れてくんのやめてもらえませんかっ」 「おっまえさー、すっごい童貞くさいよなぁ。そーゆー反応するから、すぐおちょくられるんだぜ?」 図星を突かれて、押し黙る。こうやって誰かと本音で話すのは、いつぶりだろう。彼は…酔い潰れた俺を介抱して、甘ったれた酔っ払いの行為を受け入れ、シラフの俺を煽り自分の身体を差し出して、挙げ句俺のざれごとを聞き、一体何の得があるのだろうか。彼ほど整った容姿なら強面であっても、俺みたいなさえない男を引っ掛けなくたって、いくらでも相手はいるはずなのに。もしかしたらこの人は、とんでもなく損をするタチなのかもしれない。おどけた態度に隠された優しさに、今更ながら気づいて胸が痛む。 「あの、色々……ありがとうございました。」 「あ?急に殊勝になってどうしたよ」 「いや、自分のことでいっぱいいっぱいで…お礼も言ってなかったなって。すみません。」 「おうおう。そう思うんなら、コーヒーもう一杯作ってくれよ。」 あっけらかんと、屈託のない笑顔で そう返す彼に、温かい気持ちが溢れ出す。 「…そんなことで、いいんですか。晩ご飯、デリバリーですけど、ご馳走しますよ。俺、明日も休みなんで、あの…腰とか無理させたし…もう一日、泊まっていって下さい。」 「ふふ、泊まらせて何する気だよ?」 「何もしませんよっ…ピザか弁当、後、カレーのチラシもあったはず…」 「俺、カレーがいいな」 いつしかこの家で彼がいることに、違和感を感じなくなっている。たわいない話をしながら、慣れた動作でコーヒーをもう一度作る。美味しいと飲んでくれる人がいる空間に、胸の痛みがやわらぐ。最初に思ったパーソナルスペースを侵されているような感情は、一切湧かなくなっていた。この人を、もっと知りたい。そう漠然と思う。これっきりでは、終わらせたくないと、どう伝えれば良いだろう。まずは、一番肝心なことを、聞かなくてはいけない。 「今更過ぎますけど、名前…」 教えてもらえませんか? その言葉に微笑む彼の口から 聞いたその名前は 「笑永。笑いが永遠に絶えないような人間になるようにって意味で、婆ちゃんがつけてくれた名前だよ。」 まるで彼そのものの様だと、俺は思った。 end
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