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斬夢
死番とは…
新撰組の役回りのこと。
先頭を歩く者が日替わり交代で回って来るもので、隊の一番先頭を担当する隊士を「死に番」と呼ぶ。 「ご用改めである」そう名乗ってから斬り込むのが常の新撰組。敵が潜んでいる所には先頭一番でいかねばならず、敵が大勢であっても怯まず斬りこまなければいけない。それゆえ最も「死」に近いポジションと言われている。
天方凛。木刀を肌みはなさず持っていることを除いたら、
おでこのニキビと毎朝にらめっこのどこにでもいる16歳の女の子。
東山純心女学院の二年生でこの春から居合道部の副将を務めている。
枕元に常に黒檀の黒光りする木刀を置き、隙を作らないように半身に構え薄目を開けて外的に備えを施し寝入る事は凛にとってはごく普通の日常のルーティーン。
どうしたらひとかどの剣客になることができるのか
あの人に近づくことができるのか
今の凛はそんな事をいつも考えながら日々を生きてる。
そんな凛は今日も夢を見た。
押し込んでくる相手の刃を睫毛がふれあうほどの差で見切り
ふわりと体を跳ね上げたかと思うとその背後に回り込む。
自らの剣先は音もなくスルリと相手の脛椎を貫く。
快感...
思わず漏れた吐息に少し頬が赤らむ。
でもリアル感はそれほど無い。
もちろん夢の中のみんながそうであるように自分が夢を見ている実感は薄い。
現体験をしているというより映画の中でヒロインを演じている感覚。
どこかのお寺の境内。
深い新緑の木々の間から漏れる一筋の木漏れ陽。
ジリジリとその輪を狭めてくる数十名の刺客達に今一度身構える
「剣先を見るな、足元を見ろ。相手の呼吸を感じろ」
天から降る声を脳内で受け止める。
息づかいの僅かな乱れ。砂を噛むわらじの音。
にじり寄るその足元に数秒先の太刀筋が浮かぶ。
汗の匂いがした。
鼻をつく生臭い吐息。
鞘に納めた菊一文字則宗を今一度握り締める。
半身に構え腰を低く落とし、目線を下にして見上げるように相手を見回す。
─── 殺れる
確信に近い何かが胸に込み上げ、全身に高揚感が満ち満ちていく。
もののふの世に己が生きとし生かされている感覚。
本身の刃を交えてこそ生まれる
太刀筋の1センチの誤差で行なわれる命のやり取り
シュイーーーーーン!!!
辺りの空気を切り裂くように自らの切っ先の残像が糸を引く。
イメージ通りの抜き胴が相手の片腹をか捌いていく。
血しぶきは則宗の剣先が天高く伸びたあとに0,2秒遅れて勢い良く舞い上がる。
恐れをなした輩がじりじりと後退りする草鞋の音を凛は心地良く聞き流しながら尚もその間合いを詰めにかかる。
この場を支配しているのは紛れもなく私・・・・。
あとは己の刃に身を任すだけ。
まるで意思を纏ったかのようなその切っ先は
黙っていても流れるように相手の肉を抉っていく
これぞまさに剣身一体・・・。
「そこまでだ、凛」
ふわりと風に囁くような声が昂ぶって火照った凛の耳を撫でていく。
振り返るといつものように腕を組み少し小首を傾けながら微笑む総さんがそこにいた。
夢の終わりはいつも決まってこうだ。
※※※
夢を見た朝は布団からなかなか抜け出せない凛。
目を閉じたまま過ぎ去った映像を今一度脳内にプレイバックする。
その時間は大切。
天から降る総さんの声が自身の剣を研ぎ澄ましていくから。
夢の中で教えを請う、
それが今の凛の修練の為の何より大事な時間。
「剣先を見るな、足元を見ろ、呼吸を感じろ」
基本だけど、総さんに言われるとまた新たな意味を持つようで新鮮。
「うん、今日はちゃんとできたかも」
夢を反芻して夢を脳内に定着させインプットして朝のルーティーンは終わる。
そこで凛はやっと目を開ける。
まだ眠気眼のままの視界に飛び込んでくるのはいつもの朝の景色。
小豆もまだソファの上で朝のまどろみの中にいて丸まったまんま尻尾だけがぴょんぴょんとはねてる。
窓から見えるお陽さんは東山の上にちょこんと乗っていて、もう黄金色の日差しはあたりを柔らかく覆っている。
今日は少し夢が長引いたせいか時間はいつもより押し気味だ。
「抜き胴かぁ……」
手にはまだその感触が残っているかのようだった。
本身で生身を切り裂く瞬間のそのなんとも言えないサイコな触感。
「あぶない、あぶない」
凛は頭まですっぽりとかぶった布団の中でぷるぷると首を振る。
私はそういうんじゃないんだから。
斬るという行為に溺れている辻斬りの輩や、切り裂きジャックなんかじゃ決してないんだから。
枕元の木刀に手探りで手を伸ばす。ヒヤリとした感触が朝の目覚めにはちょうど良い。中に真鍮が通っている分、いくら握っていてもその冷感は失われることがない。
なんで素振り用でもない木刀に非力なJKが真鍮を通しているのか
それは誰にも言えない凛の秘密。
「凛!あんた何してはんのん!?
ちゃっちゃっと起きてきて、ご飯食べんと、また遅刻え!」
階下からの母の声に我に帰る糸。
眉間にシワを寄せ硬直していた顔の筋肉がフニュッっと溶けるように緩んでいく。
少し下がり気味の大きな目。黒目が大きい分、瞳に力が宿るとつり上がって、
眼力が一層増すけど、通常はこぶりな鼻と口、そして雪のようなま白き肌と相まって、怒っていても微笑んでいるように見えてしまう。
なんともふくよかで癒し系のJKなのである。
「さてと・・今日も生き延びた。明日はそろそろ死番が回ってくる頃かも」
もちろん夢の話である。
何故かここしばらくずっとストーリーがつながる夢を見ている。
それをなんの疑いもなく受け入れてる凛なのだ。
よしっと小さな息を吐くと凛は両足で布団を蹴って、天井を掴むほどの勢いで背伸びをする。顎が外れるんじゃないかと思うほどの大きなあくびを一つする。
つられる様に窓際で朝の日差しをいっぱい浴びて、小豆が大きな口を開けてニャァオと鳴いた。
「お腹空いたね、小豆」
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