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停車している列車の中から、二人が傘を広げるのも忘れて、抱き合っているのが見える。
気が付くと乗客は、いつの間にか僕一人だけになって、初めは3両あった車体も、僕が乗っている1両だけになっていた。
察するに、どうやら乗客がいなくなると、その車両は消滅してしまうようだ。
なら僕は? 僕は何処で降りればいい?
降りるべき駅を、僕は知らない。
あの女のように、何処かのホームで、僕の息子も待っていてくれるのだろうか?
5歳に成長した姿で?
そう思い乍ら再びホームを見ると、あの親子の姿は無く、列車はもう動き出していた。
僕は車窓に張り付くようにして、列車の向かう先を見つめていた。
優希…何処にいるんだ? 何処で待ってるんだ…?
乗客が僕一人なせいか、列車は誰もいない無人駅にはもう停まらずに擦り抜けて、逸る僕の気持ちと並走するかのように、心なしか速度を上げてゆく。
優希……優希……。
早く会いたい。
たとえ会った先に待っているのが、僕の人生の終点だとしても。僕自身の、”死”だとしても。
”悲しむ事を先延ばしにすると、心は壊死するんですよ……”
あの女の言葉が蘇る。
そうだ。僕はもうとっくに死んでいたんだ。優希が死んだ、あの時に。
それから今迄の5年間もの間に、何度も何度も死んでいたんだ。
壊死していた悲しみが、今甦って、僕にそう告げた。
「次は兜塚駅ー兜塚駅ー。終点です。お忘れ物の無いよう…」
アナウンスが流れると同時に、僕は前方の小さなホームに、小さな男の子が立っているのを両の目で捉えた。
「優希っ!」
僕の声に、男の子がこちらにゆっくり顔を向ける。
間違いない。優希だ。僕には分かる。
産声を上げる事も無く死んでしまった赤ん坊が、5歳の男の子に成長して、僕を待っている。
「パパ…?」
「優希っ!」
僕は停車した列車からすぐさま飛び降り、優希を抱き締めた。
一度もこの手に抱く事すら出来なかった我が子を。
「一人きりで、今迄ずっと寂しかっただろう…? ごめんな、優希…。ごめんな……」
「パパ……パパ……」
僕の腕の中で小さくしゃくり上げて泣いている優希を、僕はもう二度と離すまいと思った。
今日は5月5日、端午の節句だ。
5年間出来なかったお祝いが、やっと出来る。
僕の傍らには、大きな厚f紙で折った黒い兜が、置き忘れられたかのように鎮座していた。
さぁ、パパと二人でお祝いしよう。優希の成長を。
僕は優希の頭に兜を載せた。優希が嬉しそうに微笑む。
そして振り返ると、もう列車の姿は跡形も無く消え去り、僕達は二人きりの、汚れも何も無い、真っ白な静寂に包まれていた―。
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