1 魔王と勇者

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1 魔王と勇者

「うおぉぉぉりゃあぁぁぁあ!」  勇者が持つ聖剣とやらが金色に光っている。なるほど、さすがは歴代魔王を消し去ってきたという“聖なる輝き”……いや、“女神の祝光”だったか。「どっちだったかな」と古い書物で読んだことを思い返しながら、眩しいくらいに輝いている聖剣の切っ先を“壁”で弾いた。 「くっ、当たらねぇ……!」  おっと、今回はなかなかの威力だ。わたしが創った“壁”に亀裂が入っている。 「クソッ、これでもまだ足りねぇってのかよ!」 「いや、先代魔王ならいまの一撃で消し飛んでいたな」 「おまえは消えてねぇだろうが!」 「ふむ。思っていた以上にわたしの魔力は強いらしい」 「……ッ! クッソ、がぁ……!」  勇者が聖剣を振り上げながら突っ込んできた。それを修復した“壁”で弾き返す。  それにしても、勇者というのは毎日同じことをくり返すばかりで飽きないのだろうか。それが勇者だということは知っているが、あまりにも健気な姿に思わず感心したくなる。こんな日々が五十日、いや六十日は続いていた。  勇者一行が魔王城に現れた当初は、こうして連日やって来ることはなかった。それが日課のように現れるようになったのはいつからだっただろう。そういえば、ほかの者たちを見なくなったのもその頃からだ。 (そうか、勇者はたった一人で魔王城に通い続けているのか)  百日は超えていないだろうが人間にとっては長い時間のはずだ。そう考えるとある種の尊敬の念のようなものを抱かざるを得ない。 「クソッ! なんで聖剣なのに当たんねぇんだよ!」 「いや、いまのは少し危なかった。先に入っていた亀裂を修復していなければ、おそらく剣の半分ほどは“壁”を突き抜けていただろう」 「うっせぇ! 憐んでんじゃねぇ!」 「憐みではなく、本当に……」 「うっせぇよ! 魔王なんかに憐まれてたまるかってんだッ!」  危ないと思ったのは本心だ。もしわたしが無意識に“壁”を創り出せる体質でなければ間違いなく亀裂は大きくなり、聖剣が“壁”の内側に入り込んでいただろう。  正直に話したというのに、それを憐んでいると勘違いされるとは人間との意思疎通はなかなか難しい。 「チィ……ッ」  再び勇者が聖剣を振り上げた。わたしの周囲を半球体状に取り囲む“壁”にバチバチと火花が散る。聖剣側も“壁”にぶつかるたびに強烈な光を放った。 「クソッ!」  叫んだ勇者が大きく飛び退いた。振り上げていた聖剣を苛々したように下ろしたということは小休憩といったところか。  改めて周囲に張り巡らした“壁”を見た。前方に二カ所、後方に一カ所、右上と左下にも一カ所ずつ亀裂が入っている。これだけの傷を付けられるのは、聖剣の力というよりも勇者自身の能力が高いからに違いない。それだけの魔力を勇者自身から感じる。 (それでも朝からずっと続けていれば疲れるだろうに)  朝から延々と攻撃し続けているのだから体力も限界に近づいているはずだ。 「今日はもうやめておいたほうがいい。それに、そろそろ日が沈む。帰ってゆっくりと体を休めることだ」 「魔王のくせにいちいちうるせぇんだよッ!」 「明日も来るのだろう? それなら今日はもう休んで体力を回復させるべきだと思うのだが」  勇者は一晩寝れば完全回復すると、いずれかの書物で読んだ記憶がある。それでも一日中ずっと動き続けていたのでは疲れるはずだ。勇者と言えども人間であることには違いないのだし、疲労が蓄積するのは変わらない。 「うっせぇ! 何で全然当たんねぇんだよッ!」  大きく跳躍した勇者がわたしに向かって勢いよく聖剣を振り下ろした。刃が“壁”に当たるのと同時にバチィッと激しい音を立てる。“壁”を分厚くしたからか、さすがに今回は亀裂が入ることもない。  勇者にもそれがわかったのか「クソッ!」と叫んで再び距離を取った。よく見れば肩で息をしている。だから休息を促しているというのに、なぜいつも頑なに拒絶するのだろうか。 (人間との意思疎通は難しいな)  勇者一行が現れたとき、初めて見る人間の様子に興味を引かれた。それ以来様々な書物で人間についてあれこれ調べているが、いまだに興味が尽きることはない。  多くの書物には人間がいかに脆いかということが書かれていた。疲労が肉体的にも精神的にも悪いということも学んだ。それならと人間が口にできる食事やお茶を用意してみたものの見事なほど拒絶され続けている。 (毒など入っていないのにな)  それを証明するために目の前で茶菓子と紅茶を口にしたのに、「ふざけんなッ!」と叫んだ勇者にテーブルごと破壊されてしまった。 (人間は一日に三度食事をすると書いてあったのだが、勇者は違うのだろうか?)  毎日のように書物を読み勇者を観察しているが、わからないことばかりが増えていく。おかげで日々知りたい欲が膨れ上がる一方だ。 「とにかく続きは明日にすることだ」  改めて声をかければ、大きく舌打ちした勇者が聖剣を鞘に収めた。そうしてわたしをギロッと睨んでから煙のように姿を消した。 「転移魔法か? ……いや、これは帰還魔法か」  このような帰り方をしたのは初めてだ。なにやら変わった魔力の気配がしているとは思っていたが、どうやらこれの影響だったらしい。よくよく観察すれば、勇者が立っていたあたりにうっすらと魔方陣の残骸のようなものが見える。 (これまで勇者が魔法を使ったことはない。ということは、どこぞの賢者あたりが魔法具でも持たせたか)  魔法が使えない人間でも魔法具があれば特定の魔法を使うことができる。おそらく勇者は帰還魔法を発動できる魔法具を身につけていたのだろう。  そういった魔法具は主に賢者が創ると書物に書かれていた。以前やって来た一行の中に賢者らしき気配は感じなかったが、どこかで待機していたのかもしれない。 (大賢者が殺されたのは先代魔王のときだから……百五十年ほど前か)  そのくらいの時間が経っていれば次の賢者が生まれていてもおかしくない。その賢者が帰還魔法の魔法具を用意したのだろう。 (しかし、それならなぜ転移魔法にしなかったのだ?)  帰還魔法はその名のとおり一方通行の魔法だ。それよりも二カ所を行き来できる転移魔法のほうが都合がいいはず。魔王城に来るのも楽だろうし、何かあったときにもすぐに帰還できる。圧倒的に便利なのは転移魔法だというのに、なぜ帰還魔法を使ったのだろう。 (たしか、大賢者が転移魔法の魔法具を創っていたはずだが)  先代魔王は、その魔法具を随分と警戒していたらしい。だから真っ先に大賢者を殺したのだろうが、結局その魔法具のせいで歴代最速の速さで消滅することになった。  あのとき大賢者が作った魔法具はどうしたのだろうか。先代魔王が壊したとは聞いていないし、勇者ほどの魔力があれば使うこともできるはず。それなのに使わない意図がわからない。 「やはり、人間の考えることはよくわからないな」  以前よりは人間のことを理解できるような気になっていたが、まだまだということだ。 (わからないことが増えれば増えるほど、ますます興味を引かれる)  できればもう少しじっくり勇者を観察したい。そのためにも無理をせず長く来てほしいのだが、果たしてあとどのくらいの間やって来るだろうか。 (考えたところでわかるはずもないか。取りあえず明日の準備をしておくとしよう)  大広間を修復しながら、魔王城までの道筋に魔獣がいないか魔力を探る。元々魔王城の周囲に魔族は住んでいないから、そちらのほうは問題ない。魔獣の群れもいないようだし、これなら明日も時間どおりにやって来るだろう。 (それにしても、書物に書かれていた歴代勇者と当代勇者は随分違っているな)  魔王城には歴代魔王が書き記した勇者たちについての書物が残されている。そうした書物を書き記すことも魔王の役目の一つなのだが、どの時代の書物を読んでも当代のような勇者はいなかった。  魔王と勇者の戦いは、魔族であっても長いと感じるほど古くから続いている。これまで数多の勇者一行が魔王討伐にやって来たが、当代のような勇者はおそらく初めてに違いない。 (いや、先々代の魔王がおもしろいことを書いていたな)  あの勇者も変わっていると思ったが、当代の勇者とは違う。そもそも一人でやって来る勇者など初めてだ。一行を連れて来るのをやめた理由も気になる。 (大勢いれば勇者も楽だろうに)  かつての勇者一行には賢者や魔道士、拳闘士、時代によっては戦士や僧侶、槍術士、珍しいところでは王子や姫といった者たちもいた。当代もそういった者たちと一緒に来ていたが、いつの間にか誰も連れて来なくなった。 「もしや、わたしが一人だからか?」とも考えた。元々魔王になる気がなかったわたしには歴代魔王のような手下の魔族も魔獣(ペット)もいない。だから一人でも大丈夫と考えたのだろうか。 (まぁ、一人のほうが気が楽ではあるが)  勇者一行を思い出す。あの者たちも書物で読んだ勇者一行とは少し違っていた。  書物で読んだ過去の一行は勇者を大切にしていた。それなのに、当代の一行は勇者を巻き込んでもかまわないといった行動を何度もくり返した。まるで勇者ごとわたしを消し去ろうと言わんばかりの行動には何度呆れたことだろう。  魔族は同族意識が低いと言われているが、それでも仲間と認めた者を傷つけたりはしない。それなのにあの者たちは何度も勇者を危険な目に遭わせていた。 (まったく、人間はわからないことばかりだ)  そう考えると勇者のほうがよほどわかりやすい。毎日同じ時間にやって来て、毎日同じことをくり返すということは勤勉なのだろう。何度“壁”に弾かれても挫けないところは根気強いとも言える。 (人間は飽きやすいと書物にあったが訂正しておくか)  それとも個体差があるのだろうか。それなら当代勇者の記録として書き記しておいたほうがよさそうだ。  修復が終わった大広間を出て長い廊下の奥へと向かった。寝室の前を通り過ぎ隣にある書庫に入る。正確には巨大な書庫の隣の部屋を寝室にしただけなのだが、いっそのこと書庫にベッドを設置したほうがよかったかもしれない。 (それでは寝る時間がなくなってしまうか)  よい読書とは心身共に健やかであってこそだ。勇者が現れるようになってから本を読む時間がめっきり減ってしまったが、そのうちまた以前のようにたっぷりと読書の時間を得たいものだ。 (それよりもいまは観察のほうが楽しいが)  大きな机の引き出しから記録書を取り出し、机上にはお気に入りの羽根ペンと青色のインクを用意する。記録書をパラパラとめくりながら、ふと最初の頃の記述に目が留まった。  今日の勇者は白い鎧を着ていた。  今日の勇者は金髪を少し短めに整えていた。  今日の勇者は魔法防御の施された服を着ていた。  今日の勇者は碧眼が少し疲れているように見えた。 (これではただの観察日記だな)  これでは後の魔王に笑われてしまいそうだ。書物を読むことは好きだが、どうも記すほうはうまくいかない。ペンを持ち、少し考えてから書き始める。  今日の勇者は“壁”に五カ所傷をつけた。そして転移魔法で魔王城を出ていった。 (よし、少しは有益なことを記したぞ)  改めてこれまでのことを読み返す。途中、思い出したことをひと言二言つけ加えながら、ふとした疑問が浮かんだ。 (魔王討伐のためだとしても、一人きりで毎日これほど熱心に通うものだろうか)  人間は敵わない相手だとわかると質より量で攻めてくる。書物を読み返した限り、過去の勇者一行もそのような感じだった。  ところが当代勇者は毎日一人でやって来る。聖剣を振り回し、攻撃が当たらないと文句を言いながらも翌日にはやはり一人で現れた。 (そういえば先々代魔王が興味深いことを書き記していたような)  この城に来て最初に目に留まったのがその書物だった。あまりにも興味深い内容に、ほかにもこういった書物があるのではないかと読み耽っているうちに三十年ほどが経っていた。 (おかげで気がつけばわたしが魔王と呼ばれるようになっていた)  若干面倒くさいが、魔王城にはまだ目を通していない書物が山ほどある。それを読み終えるまではこの城を離れるわけにはいかない。 「あった、これだ」  ほかよりも分厚いその書物は先々代魔王が書き記したものだ。半分ほどは勇者一行との戦いの記録だが、残りは人間についての観察と考察が記されている。これまで随分多くの書物を読んできたが、こんな内容の書物は初めてだった。  こういう書物が紛れ込んでいるから城から離れることができない。しかし魔王をやっていると読書の時間が減ってしまう。かといって城を離れては次の魔王に城を占領されてしまう。 (そうなると、まだ目を通していない書物が読めなくなるからな)  魔王とはなんと面倒なのだろうか。ハァとため息をつきながらパラパラとページをめくる。……あった、これだ。 「人間は恋なる衝動に突き動かされると予想もつかない行動に出る、か」  ――恋とは相手に好意を持つこと。多くの人間が抱く一般的な感情で、延長上でつがい関係を結ぶことが多い。人間は恋をすると周りが見えなくなり、相手に向かって真っ直ぐに突き進む傾向にある。脇目もふらず恋しい相手を求め、何度挫けようとも諦めず、無我夢中で相手に向かうのが恋だと言えよう―― (……うん? これではまるで当代勇者のようではないか)  毎日魔王城にやって来ては休息を取ることもなくひたすら立ち向かってくる。金の髪が頬や首すじに貼りつくほど汗をかこうとも、絶対に見逃さないとばかりに熱い碧眼をわたしに向け続けた。何度退けようとも決して諦めず、日が出ている間はずっとわたしの前に立ち、ひたすらわたしだけを見ている。 「もしや、勇者はわたしに恋をしているのか?」  口にして、なるほどと納得した。てっきり魔王討伐のために来ているのだと思っていたが、それなら一人でやって来るようになった理由もわかる。  おそらく勇者は恋をしている自分の姿を誰にも見られたくなかったのだろう。先々代魔王も人間にはそういう一面があるということを記していた。 (なんと、そんな珍しい出来事の最中に自分がいたとは)  これまで恋という現象について書かれた書物を見たことがない。どういうものがよくわからないが、勇者を観察すればわかるかもしれない。 (なんという幸運だ)  そうとわかればより一層熱心に観察するだけだ。書物には表情の変化が重要だと書かれているから、顔を中心に見るようにしなければ。  あぁ、初めて魔王になってよかったと心底思える出来事に巡り逢えた。高鳴る胸を押さえながら記録書を引き出しにしまい、珍しく眠りの前の一冊を手にすることなく早々と眠ることにした。
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